【誕生日】
☆ラフ・ヴァローネ Raf Vallone (1916.2.17~2002.10.31)
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野性的な風貌によって戦後のイタリア映画界を支え、後には欧米各国で活躍したイタリアの個性的な俳優です。
ジャーナリスト時代にジュゼッペ・デ・サンテス監督と知り合い1948年『にがい米』、1949年『オリーヴの下に平和はない』
などのネオ・リアリズモ作品によって俳優として認められるようになりました。
1953年にはフランスのマルセル・カルネ監督の『嘆きのテレーズ』、翌1954年のアンリ・ドコワン監督の『愛の迷路』、
1956年にドイツ映画『枯葉 』、1961年にアメリカに渡って『橋からの眺め』、1962年にはギリシャ映画『死んでもいい』
などに主演、国際的な活動を続けました。
【主要出演作品】
1948年『にがい米』 Riso amaro
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1949年『オリーヴの下に平和はない』
1949年『白い国境線』 Cuori senza frontiere
1950年『越境者』 Il Cammino della Speranza
1951年『アンナ』 Anna
1953年『嘆きのテレーズ』 Thérèse Raquin
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1953年『女の平和』Lysistrata
1954年『愛の迷路』Obsession
1956年『芽ばえ』 Guendalina
1956年『枯葉 』Rose Bernd
1960年『女の部屋』Le Garconniere
1960年『ふたりの女』 La Ciociara
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1961年『橋からの眺め』 A View from the Bridge
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ba/f0b529194e9b6138af9fdb982e9f50ce.jpg)
1961年『エル・シド』 El Cid
1962年『死んでもいい』 Phaedra
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/71/d53bc1191175bf6ae1ab8f8e97ea241f.jpg)
1963年『枢機卿』 The Cardinal
1965年『ハーロー』 Harlow
1966年『ネバダ・スミス』 Nevada Smith
☆アラン・ベイツ Alan Bates (1934.2.17~2003.12.27)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/94/ba9466cbd759083fd1407eed3b806c19.jpg)
1960年前後に起こった「怒れる若者たち」をテーマにしたフリーシネマ運動の一翼を担ったイギリスの俳優です。
音楽一家で育ちましたが子供の頃からの夢であった俳優の世界に入り、舞台劇『怒りをこめて振り返れ』の準主役を射止め
1960年にトニー・リチャードソン監督の『寄席芸人』で映画デビューを果たしました。1962年にはジョン・シュレシンガー
監督の『或る種の愛情』で主役を演じ、1964年の『その男ゾルバ』など役どころに恵まれて世紀を超えて映画に出演し続け
ましたが、本人は映画よりもシェイクスピア劇の舞台がお好みだったようです。
【主要出演作品】
1960年『寄席芸人』The Entertainer
1961年『汚れなき瞳』Whistle Down the Wind
1962年『或る種の愛情』A Kind of Loving
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/09/4dd019f607525dba124ed1824cc53954.jpg)
1963年『逃げる男』The Running Man
1964年『その男ゾルバ』Zorba the Greek
1966年『ジョージー・ガール』Georgy Girl
1967年『まぼろしの市街戦』Le Roi de Cœur
1967年『遥か群衆を離れて』Far from the Madding Crowd
1968年『フィクサー』The Fixer
☆ジーン・ビットニー Gene Pitney (1940.2.17~2006.4.05)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ad/8a7f04c9fa7fe44550e3698bcde2b722.jpg)
典型的なロックンロール『ルイジアナ・ママ』の大ヒットで有名なシンガー・ソング・ライターです。
ハイスクール時代から音楽活動を開め1959年にレコード・デビューしましたがヒットを飛ばすことはできませんでした。
1961年に3枚目のシングル "I Wanna Love My Life Away" でヒットの兆しが見えはじめましたが、彼を有名にさせたのは
同年にリッキー・ネルソンに『ハロー・メリー・ルー』を提供したことでソング・ライターとして脚光を浴びました。
この年に ”Take Me Tonight” をリリースしましたがアメリカではチャート・インはならなかったのですが、このB面に
収められた『ルイジアナ・ママ』が日本で爆発的な大ヒットになりました。
1962年には映画『非情の町』の主題歌がアメリカでヒット、同年の映画『リバティバランスを射った男』は日・米で
大ヒットしました。
しかし、この頃からロックン・ロールも人気が衰え始め、ジーン・ビットニーの歌手生命も終わりを告げました。
【主要歌唱曲】
1961年『ルイジアナ・ママ』Louisiana Mam
1962年『非情の町』Town Without Pity
1962年『リバティバランスを射った男』The Man Who Shot Liberty Valance
1962年『僕と月とキューピット』Mr Moon Mr Cupid and I
1962年『恋のジュークボックス』If I Didn't Have a Dime (To Play the Jukebox)
1963年『恋の二分の一』Half Heaven Half Heartache
1963年『メッカ』Mecca
☆ジョーン・レイトン John Leyton (1935.2.17~ )
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/b2/9f740260f4d4958880df431f4ef53aca.jpg)
英国エセックス生まれの俳優なのですか、『霧の中のジョニー』などによって俳優よりも歌手として有名です。
イギリス人の両親は劇場主の父と元女優の母なのですが、父親から俳優になることに反対され家出、苦学しながら演劇学校で
演技を学び、演劇の端役やTVシリーズに出演するようになります。
1961年から1963年までBBC・TVで放映された "Harpers West One" に「Johnny Saint Cyr」役で出演していた時に、番組の
余興で唄った『霧の中のジョニー』が英国No.1のヒットとなり、俳優というよりも歌手として有名になってしまいました。
その後、アメリカに渡り1963年に『大脱走 』に出演するなど活躍の幅が広がるかに見えたのですが、1966~7年のシリーズ
『ジェリコ』でTVスターに逆戻りし、以後俳優として輝くことはありませんでした。
【主要出演作品】
1963年『大脱走 』The Great Escape
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/28/2afd21b90886d4c021e91a1b871b1d25.jpg)
1964年『バタシの鬼軍曹』Guns at Batasi
1965年『脱走特急』Von Ryan's Express
1968年『ジャワの東』East of Java
↓はジョーン・レイトンの『霧の中のジョニー』【YOUTUBEより】
↓はジョン・レイトンの『霧の中のロンリー・シテイ』【YOUTUBEより】
(当初のカナ表記はジョーン・レイトンでしたが、この頃からジョン・レイトンになっています)