【誕生日】
☆ネルソン・リドル Nelson Riddle (1921.6.01~1985.10.06)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/71/8f323d84cf88bddbd23986ed3d8ac9ad.jpg)
映画音楽などで活躍したアメリカのトロンボーン奏者、楽団指揮者です。
ニュージャージー州オーラデールで生まれ、幼少の頃からピアノとトロンボーンを学び、1943年から約2年間ニューヨークの
商船学校に入りますが、並行してジェリー・ワルド楽団、チャーリー・スパーク楽団でも活動、1944年にはトミー・ドーシー
楽団のトロンボーン奏者として参加していました。
1946年に徴兵を終えてハリウッドに移り、1950年にはキャピトル・レコードと専属契約を結び、フランク・シナトラの曲の
アレンジと指揮を一手に引き受けました。1955年には自前の楽団を率いて演奏した映画主題歌の『リスボン』が全米2位の
ミリオン・ヒツトとなり一躍演奏家として名をあげ、その後はアレンジや作曲で映画音楽にもかかわるようになりました。
【主要演奏曲】
1956年『懐かしのリスボン』Lisbon Antigua
1958年『皆殺しの唄』Deguello
1960年『はるかなるアラモ』The Green Leaves Of Summer
1962年『ルート66』Route 66 Theme
【主要映画音楽作品】
1956年『リスボン』Lisbon
1957年『夜の豹』Pal Joey (編曲)
1957年『パジャマゲーム』The Pajama Game (編曲)
1958年『オーシャンと11人の仲間』Ocean's 11
1960年『カンカン』Can-Can (編曲)
1962年『ロリータ』Lolita
1963年『パリで一緒に』Paris-When It Sizzles
☆リンダ・スコット Linda Scott (1945.6.01~ )
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/14/98bbcd401142c9c7e2c30a2269a34924.jpg)
TVのパーソナリティーとして活動して人気を博したアメリカの女性ポップシンガーです。
ニューヨーク市クイーンズに生まれ、1959年ハイスクール時代に米国CBS系列のラジオ番組のオーディションに合格し、
同番組にレギュラー出演していた時にエピックレコードと契約を交わし、リンダ・サンプソンのクレジットで歌手として
デビューを果たしました。デビュー曲の "In-Between Teen" は不発に終わりましたが、1961年にリンダ・スコットに改名して
『星に語れば』で再デビュー、これが全米3位の大ヒットになりポップシンガーとして成功を収めています。
1965年からはTVショー番組 "Where The Action Is WTAI" の司会などを担当し、1966年以降は歌手としての活動も縮小されて
1970年代当初にショービジネスから引退しています。
【主要歌唱曲】
1961年『星に語れば』I've Told Every Little Star 全米3位
1961年『なぜかしら』I Don't Know Why
1962年『イエスサリー』Yessiree
1962年『涙のスクリーン』I Left My Heart In The Balcony
1964年『ベッドで泣いて』Who's Been Sleeping In My Bed 『僕のベッドは花盛り』の主題歌。
☆マリリン・モンロー Marilyn Monroe (1926.6.01~1962.8.05)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/f7/04157f1e803715b42090471448a3f604.jpg)
「頭の悪い金髪女」のイメージで1950年代にアメリカン・セックス・シンボルと言われた伝説の女優です。
出生から謎も多く、ロサンゼルスで生まれ育ったモンローは、幼少期のほとんどを里親と孤児院で過ごしたとされています。
1945年頃からノーマ・ジェーン・ベイカーとしてモデル活動を始め、1946年に20世紀フォックスのオーディションに合格し
マリリン・モンローとなって1947年に20世紀フォックスの『嵐の園』に端役で初出演したものの全く注目されませんでした。
その後も数本の映画に傍役として出演していましたが、1953年『ナイアガラ』でのモンロー・ウォークで注目を集め、以後の
作品においても「頭の悪い金髪女」を演じてセックス・シンボルとして一躍トップ・スターとなりました。
しかし、撮影所では遅刻や台詞忘れの常習犯のトラブル・メーカーで、共演者のキャスティングに難癖をつけて交代させたり、
「お熱いのがお好き」でもビリー・ワイルダー監督と相変わらずトラブルを連発するなど、かなり思い上っていたようです。
また、ケネディ一家やマフィアとのスキャンダルもあり、1962年の『女房は生きていた』の撮影中に「睡眠薬過剰摂取による
急性バルビツール中毒」により死亡、自殺説や陰謀説が飛び交いましたがいまだに謎に包まれています。
【主要出演作品】
1947年『嵐の園』The Shocking Miss Pilgrim
1950年『アスファルト・ジャングル』The Asphalt Jungle
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1950年『イヴの総て』All About Eve
1952年『ノックは無用』Don't Bother to Knock
1952年『人生模様』O. Henry's Full House
1952年『モンキー・ビジネス』Monkey Business
1953年『ナイアガラ』Niagara
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1953年『紳士は金髪がお好き』Gentlemen Prefer Blondes
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/d1/d6be8010df83b68c276ebe6eb6e9c51e.jpg)
1953年『百万長者と結婚する方法』Niagara
1954年『帰らざる河』River of No Return
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/c9/e0b28c8434b679d4796cb8ff14957dd0.jpg)
1954年『ショウほど素敵な商売はない』There's No Business Like Show Business
1955年『七年目の浮気』The Seven Year Itch
1956年『バス停留所』Bus Stop
1957年『王子と踊子』The Prince and the Showgirl
1959年『お熱いのがお好き』Some Like It Hot
1960年『恋をしましょう』Let's Make Love
1961年『荒馬と女』The Misfits
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【主要歌唱曲】
『帰らざる河』River of No Return (同名の映画主題歌)
『ダイヤが一番』Diamonds are a Girl's best friend (紳士は金髪がお好き)
『愛されたいのに』I Wanna Be Loved By You (お熱いのがお好き)
『バイバイベイビー』Bye Bye Baby (お熱いのがお好き)