『野いちご』 Smultronställe (瑞)
1957年制作、1962年公開 配給:東和=ATG モノクロ
監督 イングマール・ベルイマン
脚本 イングマール・ベルイマン
撮影 グンナール・フィッシャー
音楽 エリク・ノルドグレン
主演 イサク・ボルグ … ヴィクトル・シェーストレーム
マリアンヌ … イングリッド・チューリン
サーラ … ビビ・アンデルセン (二役)
エヴァルド … グンナール・ビヨルンストランド
ヘンリク・アケルマン … マックス・フォン・シドー
シャルロッタ … グンネル・リンドブロム
イサクは76歳の老医師で五十年にわたる医学への献身によって、名誉博士の称号をうける式典に出席することになる。
その当日は自らの人生の縮図でもあった。
早朝にイサクは奇妙な夢を見る。時間の止まった人の気配のしない町角で倒れて溶け出す男、道路を走ってきた馬車が
横転して積み荷の棺桶が落下し、中からイサク自身の手が伸びてくる。イサクはやっと夢から目覚める。
イサクは式典出席のため、飛行機をキャンセルして息子の妻マリアンヌと共に式典会場のルンドへ車で向うことになる。
途中で青春を過した別荘に立ち寄る。そこには野いちごを摘むフィアンセのサーラの幻影が。イサクの弟ジーグフリッドに
サーラを奪われた悪夢がよみがえる。道中で三人の若いヒッチハイカーに出会い神の不在の論争にも立ち会う。
イサクは回り道して年老いた母を訪れたり、車中のまどろみの中で妻カリンと愛人の密会の残影を見たり、またマリアンヌからは
夫との不仲を告白される。夢と現実を繰り返しながら車は式典場に到着、イサクの栄誉が称えられて長い一日が終わる。
その夜、イサクは再び夢を見た。
青春時代の夏の別荘、野いちごの森でサーラが私を入江に案内する。そこには釣糸をたらす父、静かに読書にふける母。
その光景をイサクは穏やかな表情で見つめていた。
この作品は過去の記憶と夢と現在とが複雑に織りなされた縮図により人生の意義を問うベルイマンの代表傑作です。
栄光の老人の内面に吹きすさぶ孤独と挫折感、人生の虚しさと孤独を現実と回想と悪夢の中に、心を閉ざした老人の
苦悩、自分の気持ちに正直に行動できなかった悔恨を、見事なリアリズムとモノクロームならではの瑞々しくなおかつ
深みのある陰影による映像美で完璧に描き上げています。
また、冒頭の悪夢のシークェンスではシュール・リアリズム・タッチにより迫りくる死への恐怖に怯えるながらもそれを
受け入れざるを得ない心境を見事に表現しており、サイレント映画芸術への敬意の表れのようでもありました。
封印された過去と凄惨な白昼夢による悲痛な作品ではあるのですが、それを安らかな気持ちで見せ終える映画話術は
ベルイマンの真骨頂に他なりません。
映画『野いちご』より 冒頭の悪夢のシークェンス 【YOUTUBE】より
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莫大な数の映画作品の中で『野いちご』をベストワンに選びました。
トーキー映画芸術の頂点を極めたこれぞ完璧な映画です。
あまたある作品の中からベストワンに選ばれたのがこの『野いちご』
レビューも素晴らしくて、ベストワンに選ばれた謂れがよくわかりました。
>封印された過去と凄惨な白昼夢による悲痛な作品ではあるのですが、それを安らかな気持ちで見せ終える映画話術はベルイマンの真骨頂に他なりません。
「映画話術」と言う言葉が見事に当てはまってお見事。
トーキー映画芸術の頂点だと納得です。
ベストワン『野いちご』にご理解を示していただきましてありがとうございます。
私の映画に対する視点は「いかにして訴えたいこと(魂の叫び)を、独自の映像美学で表現するか」が
最大の要素だと考えていますので、世間の方々といつも食い違っているようです。
大概の場合、ベストワンが『野いちご』だと言ったら、「君は本当に映画というものを判っているのか?」と
一笑に付されたものです。
そんな中、リスペクトさせて頂いているろこさんにこの上ないコメントをいただきましてとても勇気づけられました。
本当にありがとうございました。