【誕生日】
☆ルチナ・ウィンニッカ Lucyna Winnicka (1928.7.14~2013.1.22)
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ポーランド・カードル派のイエジー・カワレロヴッィッチ監督の夫人でポーランドを代表する女優です。
弁護士の娘として ワルシャワで生まれ、 1950年にワルシャワ大学法学部を卒業しました。しかし、大学時代に演劇の魅力に
とりつかれ、ワルシャワ演劇アカデミーの俳優科に転じて舞台に立つようになりました。
1954年に後の夫となるポーランド・カードル派のイエジー・カワレロヴッィッチ監督による『フリジアの星の下で』の主演を
つとめて注目され、その後もカワレロヴッィッチ作品に出演、特に『尼僧ヨアンナ』で見せた抑圧され鬱折した人間の性の
表現は息をのむほどの見事さとして高く評価されました。
【主要出演作品】
1954年『フリジアの星の下で』Pod Gwiazdą Frygijską
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1957年『戦争の真の終り』Praudziwy Koniec Wielkiej Wojny
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1959年『夜行列車』Pociag
1960年『尼僧ヨアンナ』Matka Joanna Od Aniolow
1960年『鉄十字軍』Krzyzacy
☆アナベラ Annabella (1910.7.14~1996.9.18)
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フランスの巨匠たちの著名な作品群に名を残しましたがハリウッドで失敗したフランスの女優です。
セーヌ県ラ・ヴランヌ・サン・ティレーに「旅行新聞」の支配人の娘として生まれました。中等教育を終えた1926年に
作家のツェルステヴァンから巨匠のアベル・ガンス監督に紹介されて『ナポレオン』の端役で映画界入りを果たしました。
また、シャルル・デュランについてアトリエ座で演技を学び、コンセルヴァトワールに入ったものの卒業試験に失敗して
しまいました。しかし1931年、ルネ・クレール監督の『ル・ミリオン』の踊り子役が認められ、続く『巴里祭』における
パリの下町娘役が大いに受けてフランスのトップスターとしての地位を確立しました。
その後も『戦ひの前夜』『地の果てを行く』『北ホテル』などの名作に出演していましたが、1938年にハリウッドに渡り
20世紀フォックスと契約して『スエズ』に出演したまでは良かったのですが、共演者のタイロン・パワーと結婚したことで
二人の結婚を望まなかったフォックス社の大御所ダリル・F・ザナックにより冷遇されてやがてパワーと離婚して傷心の
ままフランスに帰国、カムバックを試みたものの軌道には乗らず引退を余儀なくされてしまいました。
【主要出演作品】
1926年『ナポレオン』Napoléon
1931年『ル・ミリオン』Le milion
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1931年『搔払ひの一夜』Un soir de rafle
1931年『巴里祭』14 Juillet
1931年『春の驟雨』Marie, légende hongroise
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1934年『モスコウの一夜』Les nuits moscovites
1935年『戦ひの前夜』Veille d'armes
1935年『地の果てを行く』La bandera
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1935年『ヴァリエテ』Varieté
1935年『最後の戦闘機』L'équipage
1938年『北ホテル』Hotel du Nord
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1938年『スエズ』Suez
1948年『永遠の争い 』Éternel Conflit
☆リノ・ヴァンチュラ Lino Ventura (1919.7.14~1987.10.22)
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強烈な個性でフィルム・ノワールなどで活躍したフランスの俳優です。
イタリアのパルマで生まれ幼い時に家族でパリに移り住みましたが、かなりのやんちゃ坊主であったらしく、8歳で学業を止め
格闘技の世界に入りました。第二次大戦後にはより稼げる仕事であるプロレスラーに転身しましたが怪我で断念しました。
そんな時、『現金に手を出すな』で新しいイメージのギャング役を探していたジャック・ベッケル監督に認められて出演し、
その強固な肉体といかつい雰囲気で大いに注目を集めました。
以来、フィルム・ノワールで悪役を務めるうちに堂々と主役を演じるようになり1967年の『冒険者たち』でアラン・ドロンや
ベルモンドと肩を並べるほどの人気俳優になりました。
【主要出演作品】
1954年『現金に手を出すな』Touchez pas au grisbi
1955年『筋金を入れろ』Razzia sur la Chnouf
1957年『火薬に火』Le feu aux poudres
1957年『赤い灯をつけるな』Le rouge est mis
1958年『殺人鬼に罠をかけろ』Maigret tend un piège
1958年『死刑台のエレベーター』Ascenseur pour l'échafaud
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1958年『モンパルナスの灯』Les Amants de Montparnasse
1959年『野獣は放たれた』Le fauve est lâché
1959年『自殺への契約書』Marie-Octobre
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1959年『学生たちの道』Le chemin des écoliers
1960年『地獄の決死隊』Un taxi pour Tobrouk
1961年『飾り窓の女』La Ragazza in vetrina
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1962年『三文オペラ』Die Dreigroschenoper
1962年『ヒッチ・ガール』Les petits matins
1962年『フランス式十戒』Le Diable et les dix commandements
1964年『太陽の下の10万ドル』Cent mille dollars au soleil
1967年『冒険者たち』Les Aventuriers
1969年『影の軍隊』L'Armée des ombres
1969年『シシリアン』Le Clan des Siciliens
1971年『ラムの大通り』Boulevard du rhum
【ご命日】
★ジョー・ハーネル Joe Harnell (1924.8.02~2005.7.14)
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ニューヨーク生まれのピアニスト、バンド・リーダー、オーケストラ指揮者。
1963年にリリースしたボサノヴァの名曲『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』の大ヒットで脚光を浴びる。