港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『さすらい』 旅の友・シネマ編 (24) 

2018-10-16 18:11:39 | 旅の友・シネマ編



『さすらい』 Il Grido (伊)
1957年制作、1959年公開 配給:新外映 モノクロ
監督 ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本 ミケランジェロ・アントニオーニ、 エリオ・バルトリーニ、 エンニオ・デ・コンチーニ
撮影 ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽 ジョヴァンニ・フスコ
主演 アルド … スティーヴ・コクラン
    イルマ … アリダ・ヴァリ
    ヴィルジニア … ドリアン・グレイ
    エルヴィア … ベッツィ・ブレア
    アンドレーナ … リン・ショウ
    エデラ … ガブリエラ・パロッタ



北イタリアのポー河流域の寒村の精糖工場に勤めるアルドは、イルマという女と同棲して七年になり、二人の間には六歳の
ロジーナという娘がいる。イルマには七年前にオーストラリアへ行ったまま音信不通になっていた夫がいたが、ある日のこと、
その夫の死亡通知が送られてきた。アルドはこれで晴れてイルマと結婚できると喜んだが、イルマには別の男への想いが
芽ばえていたためアルドの想いを拒絶し逆に別れ話を持ち出す。アルドはイルマの固い意志に打ちのめされ、娘を連れて
家を捨てあてどない放浪の旅に出る。以前にアルドが愛したことのあるエルヴィアを訪ねたがそこで心の癒しを得ることは
できなかった。また、一人でガソリンスタンドをやりくりしている若いヴィルジニアの手助けをしたがヴィルジニアが娘を
嫌ったので娘をイルマのもとに送り返したがそこでも長続きはしなかった。さらに病弱で貧しいアンドレーナと出会ったが、
彼女は裏で売春をしていた。様々な女性と出会いを重ねたもののアルドの心の隙間を埋めることはできず、逆にどん底に
追いやられてしまう。希望も失せてしまったアルドは放浪の果てにイルマと過ごした家に足を運んだ。しかし、窓越しに中を
覗くとイルマは他の男との間にできた赤ん坊をあやしている。すべてに絶望したアルドはかつて働いていた精糖工場の
高い塔に登り始める。そこへイルマが彼の後を追って来た。アルドは塔の真下のイルマを見下ろしながら無言で塔から落下、
イルマの絶叫が響きわたった。



ミケランジェロ・アントニオーニは映画批評を手始めに、ロベルト・ロセリーニ監督の脚本を書いたり、マルセル・カルネ監督の
『悪魔が夜来る』の助監督をつとめ、その後にジュゼッペ・デ・サンテスの『荒野の抱擁』の脚本に参加、これによって彼の心の
内部がネオ・レアリスタとして形成されていきました。1950年に『ある恋の記録』でひとり立ちを果たし、1953年には『巷の恋』で
オムニバスの一編を撮りイタリアン・リアリズムとは一風変わった新しい息吹を吹き込みますが当時は高い評価を得るまでには
至りませんでした。そして1955年に『女ともだち』を発表、これを機に映画は物語を見せるものではなく登場人物の心理を
映像表現する映画へと進化、ここに彼独特の知的リアリズムの開花となりました。そして、この『さすらい』が知的リアリズムの
完成形となり、さらに『情事』『太陽はひとりぼっち』『赤い砂漠』という映画史に燦然と名を残す作品群の起点となりました。



『さすらい』は女に捨てられた男の悲哀を描いた作品ですが、これはアントニオーニ自身の実際の経験談でもあるようです。
彼は最初の妻レティツィアからいきなり「もうあなたを愛してないの」と別れを告げられて去っていかれてしまった。その時の
強烈な孤独感、悲哀感がこの作品の中に刷り込まれ、後の『愛の不毛・三部作』へとつながっています。
孤独に苛まれ絶望しながらも脱出を求めて苦闘する姿は、心のつながりを失って孤立し漂流する現代人の不安そのものを
表わしていて、癒しきれぬ真実の愛への絶叫はまさにこの映画のタイトル”Il Grido”(叫び)そのものとなっています。



アントニオーニはこの作品を撮るにあたって、ロケ地を彼の故郷である北イタリアのフェラーラ郊外の寒村を選んでいます。
そこはポー川の流域で見渡す限り平坦で荒涼とした大地であり、たえず冷たい風が吹き抜けていくさまが満たされない
虚無感を抱えてさまようアルドの絶望を強烈に浮かび上がらせています。モノクロの映像美の中に、心の渇きを背後に
広がる冷淡な風景と重ねて合わせるという優れたイメージ処理によってアントニオーニ独特の映像芸術が確立され、
他に追随を許さない知的リアリズムの完成となりました。





『ソン・コサス・デル・バンドネオン』 エンリケ・ロドリゲス楽団 (唄・ロベルト・フローレス)

2018-10-15 17:48:51 | アルゼンチンタンゴ

”Son cosas del bandoneon” Enrique Rodriguez (Roberto Flores) 【YOUTUBEより】 



この曲は1938年にエンリケ・ロドリゲスが作曲、ドミンゴ・エンリケ・カディカモが詩をつけたアルゼンチン・タンゴです。
タイトルの”Son cosas del bandoneon”は「バンドネオンまかせ」という意味合いで、バンドネオンの音色は我が心の痛みを
代弁するし、そして陽気な騒ぎにもなる、そして今夜も酒場でバンドネオンが泣き叫ぶ、といった内容です。

Son cosas del bandoneón 
que se ha puesto a rezongar, 
no son mías las tristezas 
de esta noche de champán... 
No tengo que ocultar 
ningún amor de ayer 
ni tengo penas que desenterrar. 
Si algún dolor está 
flotando sin querer 
sépanlo todos, compañeros, que… 
son cosas del bandoneón, 
que por gusto, nada más, 
esta noche de verbena, 
se le ha dado por llorar. 


本日の日替わりメニュー(75)

2018-10-14 17:43:36 | 本日の日替わりメニュー

『アマポーラ』 マントヴァーニー楽団
”Amapola” Mantovani and his Orchestra 【YOUTUBEより】 



1922年にホセ・M・ラカージェが作曲、ルイス・ロルダンが作詞したメキシコ産の世界的なラテン・ナンバーで、
タイトルの『アマポーラ』はヒナゲシ(虞美人草)、愛する人を可憐な花のヒナゲシに喩えた甘いラヴ・ソングです。
1941年にはジミー・ドーシー楽団 ( ボブ・エバリー&ヘレン・オコーネル ) 盤が全米で大ヒット、ポップスとして
永遠のスタンダード・ナンバーになりました。
ラテン調の演奏でお馴染みですが、しっとりとしたマントヴァーニーの演奏もなかなかいいですね。

本日の日替わりメニュー(74)

2018-10-13 18:10:59 | 本日の日替わりメニュー

『ミスター・ロンリネス』 ジーン・ヴィンセント
”Mr.Lonliness” Gene Vincent 【YOUTUBEより】 



1961年にブラッド・ブーヴィス、ロバート・スティーヴンス、ネフューの三人が共同で作詞・作曲したアメリカン・ポップスです。
唄っているジーン・ヴィンセントは、1956年に『ビー・バップ・ア・ルーラ』で全米7位を記録、同年の映画『女はそれを我慢できない』には
挿入歌とされるなど、ミスター・ロカビリーとして活躍していました。
この曲が発表された1961年には既にロカビリー・ブームも去っていてラジオのベストテン番組でもランクインすることはありませんでしたが
冒頭の”Ya ya ya ya”で強烈な印象を残した一曲でした。
歌詞の内容は、今まで淋しさしか知らなくてミスター・ロンリネスとよばれていたけれど、素敵な彼女に出会って、今日からはミスター・ハピネス、
淋しさとはお別れだ!… とその喜びを唄っています。

Ya ya ya ya
Mister loneliness I conface
I've never known happiness
I'm looking for company
A girl to kiss tenderly
Mister loneliness the onliest
Unhappiest guy
Well I wanna try
Rearrangi' and chengin' things
All the sadness that heartache brings
Getin'out of my lonely room
Stain' innocent will be my doom
Mister loneliness the onliest
Unhappiest guy I feel like I would cry


『デ・ミ・バリオ(私の街では)』 フランシスコ・カナロ楽団 (唄・イサベル・デ・グラーナ)

2018-10-12 17:00:09 | アルゼンチンタンゴ

”De Mi Barrio” Francisco Canaro (Isabel De Grana) 【YOUTUBEより】 



この曲は1920年にピアニストのロベルト・ゴジェネチェが作詞・作曲したものなのですが、本場のアルゼンチンではあまり高い
評価を受けておりませんでした。ところが、1961年12月にカナロが来日したときに、専属歌手のイサベル・デ・グラーナによる
この曲がプログラムに組み入れられ各地の講演で唄われたため日本で広く知れわたりました。
タイトルの”De Mi Barrio”は直訳すると私の近所という意味で、邦題も『私の街では』となっていますが、これは歌詞の唄い出し
”Yo de mi barrio era la piba más bonita”(私の近所では私は一番美しい女の子だった) から命題されたようで、
そのあとに続く歌詞の内容は、令嬢暮らしに憧れて金持ちの悪い男に騙され、やがてはキャバレーのホステスに身を落とし、
その恨みを晴らすために酒場で愛を売り、男たちから金を搾り取ってその償いをさせる、という転落人生の恨み節となっています。

Yo de mi barrio era la piba más bonita,
en un colegio de monjas me eduqué
y aunque mis viejos no tenían mucha guita
con familias bacanas me traté.
Y por culpa de ese trato abacanado
ser niña bien fue mi única ilusión,
y olvidando por completo mi pasado,
a un magnate entregué mi corazón.

Por su porte y su trato distinguido
por las cosas que me mintió al oído,
no creí, que pudiese ser malvado
un muchacho tan correcto y educado.
Sin embargo, me indujo el mal hombre
con promesa de darme su nombre,
a dejar mi hogar abandonado
para ir a vivir a su lado.

Y es por eso que mi vida se desliza
entre el tango y el champagne del cabaret
mi dolor se confunde en mi sonrisa,
porque a reír mi dolor me acostumbré...
Y si encuentro algún otario que pretenda
por el oro mis amores conseguir,
yo lo dejo sin un cobre pa' que aprenda
y me paguen lo que aquel me hizo sufrir.

Hoy bailo el tango, soy milonguera
me llaman loca y ¿qué se yo?...
Soy flor de fango, una cualquiera
culpa del hombre que me engañó...
Entre las luces de mil colores
y la alegría de cabaret,
vendo caricias y vendo amores
para olvidar a aquel que se fue...