この日も熊野古道歩きからスタートしました。
コースは牛馬童子~近露王子~野長瀬一族の墓~比曽原王子~継桜王子~野中の一方杉バス停ですが、前日の疲れもあり、途中で引き返すことも考慮していました。
車で道の駅熊野古道中辺路に移動し、牛馬童子像を目指します。この日は小雨なのでPhenixの上下レインウェアに撥水帽子と登山靴、それに2年前のCP+で購入後未使用の防水ショルダーバッグにE-M1mark2+12-200mmという装備で歩き始めました。
レンズは明るい12-100mmと迷ったのですが、旅行直前に購入した12-200mmも防塵防滴なので大丈夫だろうと思い、ズーム比の大きな12-200をセレクトしました。
牛馬童子像は熊野古道を代表するマスコット的存在で、今旅行では撮ろうと思っていました。
実際の像は非常に小さく地味な存在でした。道の駅には実物よりずっと大きなレプリカが立っています。この像に乗っている人物は花山(かざん)天皇(法皇)を表しているそうです。
花山天皇の名は熊野各地で目にしましたが、歴史的には藤原家の勢力争いに巻き込まれて在位わずか1年1ヶ月に終わり(984~986)、出家して花山法皇と称し、諸寺を遍歴しました。絵画や和歌に秀で花山院集という歌集を著しました。
牛馬童子の後は近露王子、野長瀬一族の墓と巡りましたが、この先は雨中の上り坂になるということで体力温存のため舗装路を通ってスタート地点に戻ることにしました。
近露王子は九十九王子の一つで最も早くから成立した王子の一つです。近露の名は花山法皇が箸折峠で食事をする際、箸がないので萱の茎を折って箸にした際、茎から滴り落ちる赤い汁を見てこれは「血か汁か」と訪ねたのが語源とされています。ともあれ近露は中世以降霊場及び宿場として栄えたようです。
野長瀬氏は13世紀近露荘下司職となり、その後南朝を助けたが利あらずで近露に帰住。さらに秀吉の紀州征討に抗い一族離散、数十年後再び近露に戻り家運再興、現在に至っているそうです。
余談ですが12-200mmを持参したのは正解で近露王子付近でイソヒヨドリを撮影できました。
特に珍しい野鳥ではないのですが、内陸県在住の私はこれまで撮ったことがないので初撮影でした。手持ちの図鑑では海岸の岩場にいるそうですが、山間の熊野にもいるのですね。なお翌日、那智大社でも見かけました。
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