教え子からもらう手紙は嬉しいものです。しかし,失意の内に相談してくる手紙には,何度ペンを持っても,返事が書けないものもあります。封筒の厚さが,そのままその子の悩みの重さになっている手紙もあります。何とか「先輩」として応えてあげたいと思いながらも,どうしても書き出せない手紙。夫や子どもが寝た後に書いているであろう手紙。読んでいる私の無力を痛感させられる手紙…。
「足長おじさんへ」という書き出しの手紙をもらったことがあります。私立中学校に合格し,寮生活をし,剣道部に入った女の子でした。以前から『あしながおじさん』を愛読していた子でしたが,寮生活になり,より身近に17歳の「ジュディ」を感じたのでしょう。
ねえ,おじさま。だれもがもつべきもっとも大事な要素は,想像力だと思うんですの。それによって人は,他人の立場に自分を置くことができます。それによって人は,親切で同情深く,ものわかりよくなります。それはこどものうちに養うべきものですわ。ところがジョン・グリア・ホームでは,すこしでもそのきざしが見えると,必ず踏みにじってしまいました。(中略)こどもはすべて,愛情からの行動をするべきですわ。」 J・ウェブスター著 中村佐喜子訳『あしながおじさん』 |
この「想像力」-イメージを描けることは,何かが「わかる」ことにとって不可欠な要素です。「他人の立場に自分をおくこと」~思いやりと言い換えてもいいでしょう。他人の痛みを自分の痛みと感じ、他人の喜びが喜べる、これができないために、「利己心」「我執」にとらわれるために、私たちはいつも不幸な結果を招いているのではないでしょうか。
ジュディも少女の感受性で,想像力の大切さを明確に意識しています。そのうえで、それを踏みにじるものは「ホーム」だといっています。これを「家庭」「学校」「社会」と置き換えて読むと,痛烈な批判になります。想像力を育成する場所が「家庭」「学校」「社会」であるべきなのに、その場所が逆に「想像力」を踏みにじって伸ばそうとしていない。
中1の教え子が『あしながおじさん』を読み続けている。自らの想像力を高めながら、次第に「思いやり」の心を育て、自分の考えを形成しつつある。嬉しく思う反面,ぬるま湯に浸かっていられないとも反省した記憶があります。
今後も子どもたちは,ともに人生を生きる仲間として成長していくでしょう。今、Daddy Long Legs-そう呼ばれるのは照れくさいけれど,子どもの成長とともに,いつまでも「人間を」「生き方を」一緒に考えられる「あしながおじさん」でありたいと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます