スナップ:雲取山頂看板(埼玉県設置)
何かも初めて、1泊2日の山行であった。しかし、かけがえの無い経験を味わった。
(コース)
西東京市・西武線田無駅ー拝島駅乗換ーJR奥多摩駅・乗換・西東京バス=鴨沢・・・ブナ坂分岐・・・奥多摩小屋・・・小雲取山・・・雲取山・・・雲取山荘(泊)・・・小雲取山・・・七つ石山・・・鷹巣山・・・将門馬場・・・六石山分岐・・・JR奥多摩駅・・・往路に同じ。
(一日目)
単独山行で、初めて1泊2日のプランで、山小屋に泊まった。
鴨沢バス停に降り立った。数名の男女、皆ベテランの様に感じた。
バス停から、集落の中の急坂を進む、ブナ坂までに、若い女性の登山客と前後して登ったことを思い出す。
この女性はテント携行で奥多摩小屋のテント場に宿泊していた。
もう一人は、後で分かるが、雲取山荘の人であり、ブナ坂直前の急坂で私をスイスイ追い抜いていった人である。
山荘の夕食時、声をかけてくれて、ブナ坂で会ったということが分かった。
ブナ坂から防火帯の中の登山道を進む。
この登山道は、開放的な感じがし、雲取山までのだらだら坂を楽しみながら登った。
途中、奥多摩小屋に寄る。
私は、てっきり雲取山荘と思い立ち寄った。初めて、山小屋の内部を見た。シンプルというか、みすぼらしいというか、こんなところに泊まるのかと感じた。
この小屋は東京都が、国体の登山競技のため建てたとの、予備知識を得ていたが、中の様子を伺い、すばらしい建物のイメージがあったので、驚いた。
テント場の傍には、ヘリポートもあった。
雲取山頂上の直前は、やや急な坂でジグザクの登山道、ここを登りきり、岩場に腰を掛け、今登ってきた道を眺めつつ、30分くらい、満ち足りた気分と登山の余韻を楽しみながらすごしした。
雲取山は、東京、埼玉、山梨の境となり、それどれが山の標識を建てている。
雲取山から、雲取山荘に急な下り坂を進む。この際、老人夫婦に同道していて、この御夫婦百名山を踏破されたとのこと、この思い出話を聞く。
途中、木に引っかき傷を指し、これは、ごく最近熊が出たことを示すものだと教えてもらった。
今、思い出すと、恐いことだが、二日目、鷹巣山を過ぎ、昼食をとり30分ばかり午睡を取ったが、全く無防備で、熊のことはすっかり忘れていた。
宿到着直前、明日迷うことがないよう、明日の帰り道を確認した。
宿で、若い従業員の人の受付を終え、1Fの奥の部屋に8畳の間か、案内された。
既に、私と同じ年代の人が休んでいた。その後、親子連れ何人かが、同部屋となった。1人1畳も無かった。
山小屋は大変素晴らしい建物で、水洗のトイレを備えていた。小屋前の広場には、休憩所、水場があり、自炊者が食事を摂っていた。
夕食の内容はよく覚えていない。印象深いのは夜空の星で、すごく綺麗で、間じかにせまって、手に取るように見えたことだ。
(二日目)
ご来光を仰ぐ。まん丸な大きな太陽だ。雲ひとつない青空に。
朝食をとり、早々と宿を発つ。
昨日、同じ部屋の人と同道、最初その人が左周りの巻き道を選ぼうとしていたので、昨日確認していた右周りの巻き道へ導いた。
この人のペースがはやく、10分少々で先に行っていただく。
笹道を進む。
雲取山を迂回し、小雲取山に出て、富士山をはるかかなたに見る。
ブナ坂までは同じ道。それから、七つ石山を経て鷹巣山へ。
鷹巣山避難小屋で休憩、水場で水補給、避難小屋の中を見学する。
ここから急登、鷹巣山頂上で休んだが、ここからも下山できるとも思った。
しかし、JR奥多摩駅まで歩こうと決断する。疲れ軽減のため、巻き道を進むことにした。
雲取山避難小屋に宿泊した人と一時話したが、ここで初めて避難小屋に泊まれることが分かった。
将門馬場前で、若い人3人に追い抜かれた。
奥多摩駅から、鷹巣山や雲取山に向かう人は、ごく少数で、確か4~5人だったと記憶する。
六石山分岐に着たが、山には登らす通過した。
JR奥多摩駅直前は、足が疲れが出て、エアーサロンパスを吹きかける。これで急場を凌ぎ、ようやく奥多摩駅に着いた。
今、思えば、恐いもの知らずの登山、よく歩いたものだと、我ながら感心する。
ある一面からは、6年または5年前の暴挙かもしれない!!