たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

退院しました

2012年11月01日 | 日記

岐阜大学医学部 付属病院 正面 新しい大きく豪華な病院です

昨日、無事退院できました。甲状腺腫瘍の疑いで先月22日(月)入院、2日後の24日(水)手術を受け術後は何の問題もなく、傷口の治りも順調で標準日程の術後1週間で、抜糸していただき即退院を許可されました。

病院のスタッフのみなさま大変お世話になりありがとうございました。心からお礼と感謝を申し上げます。
私は生来、亡妻があきれるほど健康で、無茶な日常を過ごしてきましたが伴侶が乳癌で先立ったためか、70才前後から急にいろいろ患うようになりました。

中でも日本人の男性が2人に1人、女性の3人に1人が罹患するといわれる癌をやるようになり、入院前のブログに詳細をアップした次第です。
癌は老化現象でもありますので仕方が無いと言えば仕方がないのですが、兄弟4人のうち何故か私だけが癌の標的にされています。

77歳で逝った父は脳失血、今春108歳で逝った母は高山市最高齢者の訃報報道までしていただき、癌の血統ではないのですが、乱行が祟ってここ数年私だけが苦労しています。

さて、「甲状腺腫瘍の疑い」というのが、手術に当っての診療計画書の正式病名です。症状は「無症状、右頸部の腫れ」とあります。手術内容は「全身麻酔下で甲状腺半切除」となっていました。同意書の医療行為は「右甲状腺腫瘍摘出術(右葉狭部切除)」でした。
ここ数年いくつかの癌手術を家の近くの岐阜県総合医療センター(俗に県病院)でやってきましたが、今回は地域医療の中核病院、岐阜大学医学部付属病院で受けました。(俗に大学病院)

H21.3月県病院で直腸切除半年後の10月、経過観察でCTを撮り「肺と甲状腺に怪しき影」と診断、PET-CTを撮り診断されるもはっきり断定できず、また半年後のH22.2月CTでやはり肺に異常とされ、5月に右肺を3分の1切除しました。

また半年後の22.9月、今度は甲状腺をしっかりしようと、消化器外科の主治医から宣告され県病院の耳鼻咽喉科へ紹介。
エコー検査等で大きさは3センチと大きい、手術の必要ありと診断。細胞診の検査は、内分泌科で調べたほうがしっかりするとのことで、内分泌科で細胞診と血液の腫瘍マーカーの検査を受けました。その結果は「良性腫瘍」と出ました。

ここから、私は迷路に入り込み、迷走し多くの県病院の先生やスタッフの方々に大迷惑をかけることになりました。往生際が悪いですね。

最近はやりのセカンド・オピニオンを受けたいと申し出て、内分泌科の先生や耳鼻科の先生に無理を聞いていただき、大腸の執刀医の先生が、「いい先生でしょう、私の大好きな恩師です」と、臆面もなく公言される、岐大病院・耳鼻咽喉科・頭頸部外科の科長・臨床教授先生を紹介していただきました。
横着にも先生の個人名宛てセカンド・オピニオンの書類とデータを送っていただき、H23.4月その診断を受けました。(セカンド・オピニオンは検査機器で診断はされません、紹介元から送られたデータに基づいて意見を述べられるだけです)

挙句の果て手術をためらい、ついでに転院の許可までいただき昨年7月、今度はエコーで初診を受けました。「摘出した方はよいが、甲状腺がんの9割を占める乳頭がんでは無い」と、画像診断で明言され、15%を占める「濾胞癌か濾胞線腫かの細胞診はなかなか判定し難い特徴がある」こと、「乳頭がんは転移しないが、濾胞癌だと肺とか他の臓器に転移する恐れ」があると説明されました。
良性腫瘍でも3センチ(病院によっては4センチ)を限界に、手術が標準治療だと言われ、限界値なのですが、それでもわがままを言って様子見、経過観察をお願いし、半年後の今年1月と7月に再診。
0.5mmとか1.0mm単位で腫瘍が大きくなること。7月の穿刺細胞診ではうまく細胞が採集できず、様子を見るか、手術か、決断の時期を迎えました。

お忙しい大先生にあまり迷惑をかけられませんし、多くの先生全員が「基本は手術だ」といわれ、この間、先生は嫌な顔もされず優柔不断なお爺にお付き合いいただき、ようやく手術を決断した次第です。
そういうわけで、この病院は外科に甲状腺外科の診療科目があるのですが、耳鼻咽喉科・頭頸部外科でお世話になった次第です。くどい文章ですがお許しください。手前が付属病院・向こうが医学部校舎です。