たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

入院4日目以降7

2012年11月12日 | 日記

この病院は大学病院らしくいろいろな相談窓口が準備されている。院内散策の途中「がん患者と家族相談」の院内放送があった。近くを歩いていたので相談室へ立ち寄ってみた。中年の御婦人が勤めておられて、がん患者サロン-和み- というらしい。

病衣を着た来客なので気楽に迎えていただいた。「私もがん患者です、7年前に乳がんをやりました。むしろ皆様から逆に力をいただいています」と迎えられた。
乳がんとお聞きして私自身のがんとか、悩みとかはどうでもよくなって、そこから昔話になり、手術された乳がんが亡妻と同じ病院であることが分った。

医師達の名もよくご存知だった。このソーシャルワーカーさんは、公的資格の方ではないようで、自らの病気と向き合ううち、乳腺学会にまで聴講に出かけるようになり、やってみないかと勧められ、この病院の相談員のボランティアをやっているといわれた。

病人や家族は治療の結果が良ければいい病院、いい医師となるし、結果が悪ければ悪し様にいう傾向にあります。亡妻の場合は腰痛をずっと訴えるのに転移を見逃し、あろうことか開業医のCTで、転移を告げられた始末で恨み節になる。この恨み節はかって記事にもし、この相談室でもまた愚痴ってしまった。

乳がんが骨転移して脊椎が侵され、激痛で下半身麻痺が来て末期であるのに、背骨にステンレス棒を補強する整形手術を、院長回診で提案され執刀直前まで行った。
ある50代の女性には実際にこの手術をやられた。この方は個室へ戻って1週間後、脳転移して四六時中うわごとを言われるようになり、間無しに亡くなられた。
この手術の3割負担の保険金は175万円と家族がいわれた。過剰治療か営利主義では?とまたこの相談員に愚痴った。

近郊では当時、この先生は乳癌治療で著名で、多くの乳がん患者が助かりたい一心で押しかけた。相談員によると、「あの先生は乳がんの生検の機械を発明され有名なの」と教えられたが、私はその生検方法さえ知らなかった。今では普通のマンモグラフィーという診断方法も、まだ一般的ではなかった時代だった。
がんの告知さえまだ一般的でなく、当時留学帰りの慶大講師だった伊藤誠先生が、盛んに「がんを本人に告知して同意を得るのが医師の基本」と、啓発されていた時代だった。

ところで相談員の種類にも、呼称にもいろいろあってよく分らない。妻亡き後アルコール問題を生じ、精神病院で治療を受けた際は、生活保護、医療保護を受けている同病者も珍しくなく、ソーシャルワーカーとかケースワーカーという言葉は一般的だった。俗称ワーカーさんと呼ばれていた。当人にお聞きすると、正式には「精神保健福祉士」といって公的資格で、患者のいろんな相談事に当っていた。相談員にもいろいろあります。皆さんご存知でしょうか?

ソーシャルワーカーとは/ ケースワーカーとは/ 精神保健福祉士とは/ ケアマネージャー(介護支援専門員)とは/ 介護福祉士とは/ 社会福祉士とは/

また、看護師に静脈注射ができるのか⇒本来違法だったのですがWikiには”2002年、看護師等による静脈注射の実施について、診療の補助行為の範疇であるとの行政解釈変更が行われた。”とあります。