ふるさとの風景 喪中はがきは下の写真をぼかして入れました
昨年の正月明けは元会社の先輩の葬儀で、その帰途友人数人と喫茶店へ行き、喪中ハガキの文面が話題になりました。文例は2例あります。
1、喪中につき新年(年頭、年末年始)のご挨拶を ご遠慮させていただきます
2、喪中につき新年(年頭)のご挨拶を 失礼させていただきます
友人は2が正しい、分りやすいという説でした。この慣習は新年の挨拶をするような、気分や状態ではないので年賀を欠礼します、ということのようです。遠慮という言葉は、「他人に対し言葉や行動を控えめにすること」と辞書にあるので、自分の行動に「ご遠慮」と敬語(謙譲語でもある)にするのはおかしい。
まして、遠慮とか欠礼と冒頭で言いながら、次の段落で「本年中のご厚情を深謝・・・」したり、「明年も変わらぬ・・」と、付記したりするのは、支離滅裂ではないか、との意見でした。
日本人はキリスト教徒でもないのに、クリスマスを祝ったり、カードや贈り物をする民族なので、あまりこだわることもないでしょうが、みなさまはどう思われるでしょうか」と、投げかけたのです。
朝日新聞に投書したら、思いもよらず採択され掲載されました。世間の反応は?と注目していましたが、この投書を間違っているとか、反論とかの投書はなく、「喪中を知らせたら翌年の賀状減る」、「喪中ハガキ 故人をしのぶ文面を」、「ハガキで文通ほどよい手軽さ」等、関連投書がつづきました。
喪中ハガキをもらったら、寒中見舞いを出すのがよいとの助言もありました。
喪中ハガキをもらった方に賀状を出しても、別段失礼には当らないともいわれます。
投稿し採択されると、新聞社の選者から、投稿者確認の電話がきます。若い女性編集者に疑念を述べると、「どう思われるかとの問いかけなので、この論旨でいいではありませんか、掲載します」と採択されました。
後から謝礼3,000円分の図書券が贈られました。調子に乗って後日「ポスト菅をつらつら考える」も採択されました。さらに何通か投稿しましたが非採択がつづいてブログになりました。新聞投書は結構読まれている証拠に、新聞投書を読んだと級友が賀状をくれました。