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突然の別れ

2017-07-13 23:35:45 | さち&コジ
「その日」は突然やってきてしまいました。

さち、具合がまた悪くなったと書いた日の翌日から、少し元気を取り戻していたんです。
病院では強制給餌していただき、家でもアレやコレやと周りの方からのアドバイスを参考に試みるもうまくいかず、大好きな焼き魚にすらそっぽを向くようになったさちに、ダメ元でそれまで見向きもされなかった高齢猫用の別の缶詰を与えたら、少量ずつでも何回かに分けて食べてくれたんです。
その翌日は、退院したばかりで警戒心丸出しの小次郎の後を追いかけるような素振りを見せたり。



(物置と化した部屋なのでモザイクをかけております)

私達の手からしか食べられなかったご飯を自ら餌皿から食べるまでに。



この写真は、2匹揃っての最後の写真になってしまいましたが、こんな光景を見られる日が来るなんて思っていなかったので、涙が出るほど嬉しくて。



↑この1枚は宝物にしたいくらい。
病院でまた強制給餌されて、あまりに辛そうなさちの表情に胸が痛んだけれど、帰ってくればすぐに自分のお皿のご飯を食べ始めたりして「あ〜病院の療養食がマズイだけで、食欲はあるんだな」ってホッとして。
このまま、家で食べる量が増えてくれれば強制給餌も必要じゃなくなり、体力もついて免疫も上げられるかもしれないと、かすかな光を見出だしていた矢先だったんです。

私の不注意でした。
その日、さちが押し入れの上段に入りたそうにしてたので、押し入れは布団がズレ落ちる可能性もあるから諦めさせたら、今度は箪笥の上のさち第1シェルターに上がりたそうな素振り。
迷ったけれど、出来るだけさちの希望を叶えてあげたいという思いから、ついさちを上げてしまったんです。
降りるときは気配でわかると思ったから。
すると、しばらくしてさちが自分から降りる瞬間を目撃。
「ダメ!さちダメーーーーッ!」
気づいた時にはもう遅く、さちは着地は出来たものの、そのまま横倒しになり、発作が起きたのです。
慌てて母とさちを落ち着かせようとしたけれど、のけぞって呼吸も荒く、後ろ足が全く立たない状態。
急いで病院に連れていきました。
レントゲン撮影の結果、骨折などはなく、後ろ足が動かなくなったのは背骨の慢性的な変形のためかもしれない、発作はのけぞったという事を考えると、落下した衝撃で脳に何らかの影響があったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
そして、肺の腫瘍は…
以前よりさらに色濃くなっていました。
酸素室に入れて様子を見ながら治療するため、1日病院に預ける事に。
さち、ごめん!
私が箪笥に上げなければ!
何であんな事しちゃったんだろう!
バカだ!バカだ!私はバカだ!
これが意識のあるさちの最後の姿となりました。



しばらくして病院から電話が。
再び発作が起き、瞳孔も開いていて、危険な状態だから来てほしいと。
急いで買い物に出掛けている母に連絡し、私は先に病院へ。
さちは酸素マスクをされた状態で苦しそうに横たわっていました。
「さち!さち!もうすぐお母さん来るよ!大好きなお母さん来るよ!」
泣きながら必死に呼びかけました。
あぁ、住み慣れた家で大好きな母の腕の中で穏やかに命を終えてほしかったのに、目の前の光景は何だ!
おまえのせいだ!
そう、私のせいだ…!
母がようやく駆けつけ、2人でさちの足や体を撫でながら声をかけました。
もうさちは意識がないようです。
何度も呼吸が止まりそうになりながらも、その度に大きくお腹が動く。
そんな時間がどれだけ過ぎたか…
泣きじゃくっていた私も少しずつ落ち着いて来て、本当の覚悟が出来てきました。
「さち、頑張ったね」
「すごいね、えらいね」
「小次郎も待ってるよ、早く帰ろうね」
冷たくなっていく肉球をさすり、さちの大好きなお尻たたきや肩まわりのマッサージをしながら、さちを労う。
先生は「心臓はまだしっかり動いてる、この子凄く頑張ってます」と、何度も心臓に刺激を与えてくれました。
正直、もう助からないのはわかっていました。
腫瘍が濃くなったレントゲン写真を見たとき、良くなるどころか悪くなってる事に愕然とし、前から院長先生に「この子はいずれ苦しみますよ」と言われてもいました。
それを回避したくて、何とかしたいともがいて、ネットで調べてそれを試みようと思っても、次から次へとさちの体に新たな症状が現れて、全然対処が間に合いませんでした。
右目の瞳孔が開きっぱなしなのも腫瘍の影響、鼻血も同じ、そのうち白内障も出て来て出血も始まり右目は赤く染まりました。
院長先生「眼圧は正常だから緑内障ではないので、激しい痛みはないでしょう」
「この右目は少しは痛みがあるんでしょうか」
院長先生「まぁ、多少はあるでしょうね…」
そうか、表情じゃわからないけど、さちはもう右目に痛みを感じていて、それがこれからもっと酷くなっていくのかもしれない。
鼻血が詰まって苦しそうな鼻呼吸もこれからもっと酷くなっていくのかもしれない。
肺の苦しみももうすでにあって、これからもっと酷くなっていくのかもしれない。
今までの診察を思い返し、もうこのまま看取ってあげた方がさちのためなのかも…と思い始め…
「家に連れ帰ることは出来ますか」
「その方がいいと思います」
小次郎のいる家に連れて帰って看取りたい!
でも、キャリーバッグに入れようとしても身体に無理が掛かってしまい、呼吸の質が変わってきてしまったようです。
「心臓が弱まり出してる!ちょっと厳しいかもしれない!」
もうここで看取ってあげるしかない。
周りのスタッフさんも他の患者さんに回って「送迎の時間が迫ってるんですが、まだ掛かりそうですか」なんて私達のいる前で言い出す始末。
仕方ないけど。
それでも先生は最後までさちの命に向き合ってくださいました。
私が何度も「もう酸素マスクを外してください」と言おうと思っても、その度にさちが呼吸をぶり返し、前足を動かし、瞬きし…
意識がない中での、ただの反射的な動きなのかもしれない。
苦しい故のもがきなのかもしれない。
それでも「まだ生きようとしているの?」と思うと…!
「もう最後だと思うので声をかけてあげてください。この子には絶対届いてるはずです!」
「さち、頑張ったね」
「さち、もういいよ」
「おうち帰ろう」
「ありがとね」
涙と鼻水で顔を汚しながら、さちを優しく撫でる。
そのうち完全に呼吸が止まりました。

先生は、その後もさちの肛門付近をきれいに洗ってくださり、黄色いバンダナを首に巻いてくれて、研修医さんがお庭のお花を摘んで手向けてくださいました。
キャリーバッグに入れられないので、ペット霊園の箱を用意してくださり、丁寧にさちの体を移してくださいました。
院長先生が不在の中、さちのために手を尽くしてくださいました。
さちが生きようと頑張っていた事をさちの顔を撫でながら褒めてくださいました。
「すでに腫瘍も広がって、先程の血液検査でアンモニアの数値が高かったので、毒素が脳に回っていたのかもしれないし、いろいろな状況によって遅かれ早かれこうなっていたとは思いますので、全て落下した事が原因とは言えませんから、あまり自分を責めないで」とも言ってくださいました。

でも、初めて発作を起こしたきっかけはやっぱり私のせい。
例え余命が僅かでも、あんなにご飯を自力で食べられるようになっていたさち、落下の引き金さえなければ、あと数日は我が家で過ごせたかもしれない。
美味しいご飯も味わえたかもしれない。
通院を始めてから、わずか19日。
本当にガンは恐ろしい。
ガンそのものより、それによって併発してくる様々な症状でどんどん身体が冒されていく。
1ヶ月前は元気そのものだったのに。
食いしん坊のさちの食欲がなくなった時点で早く病院に行っていたら。
もっと早く今の病院に変えていたら。
「○○していたら…」
「○○だったかもしれない」
言い出したら切りがないけど、こんなに急に逝かせてしまった。
苦しみながら逝かせてしまった。
私がさちの寿命を縮めてしまった…!
さちはもっと生きたいと思っていたはずなのに…!

どんな最期を迎えても飼い主は後悔します。
前の猫が18年生きて老衰で静かに亡くなっても「もっとしてあげられた事があったんじゃないか」と思うくらいですから。
だから、さちの最期は悔やんでも悔やみきれない。
私にとって申し訳なさでいっぱいなのです。

さち、生まれてきて幸せだった?
うちに拾われて、うちで暮らして幸せだった?
ホントに言葉が交わせたら…
私を責めても何でもいいから、さちの気持ちが知りたい…!



ゴメンね、さち…





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コメント (6)
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