ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

緩慢な死

2007-03-14 00:10:10 | Weblog
昨夜といってももう午前3時になっていたが、ある人にメールを書いていた。その方から数日ぶりの返信を頂いたからである。その返信に、また返信を書いていたわけである。その方は僕がかなり遅くにメールを書いている様子が伺えるので、体を大切にしてほしい、という有り難い言葉をくださった。それにプロなんだから、余計に意識的な体力維持が必要なんだ、とも。本当に有り難いのひと言に尽きる。それに甘えたのか、僕はその方への返信に書かなくてもよいことを書いてしまった。何故かは分からない。たぶん幾分心が萎えていたからかも知れない。あるいはその逆に高揚していたのかも知れない。あまり詳しくは覚えていない。
僕は確か、唐突に大学1年生のときに、母親が父親の胸を刺し貫いた旨、何の脈絡もなく書いたように思う。そして、その頃からひどい耳鳴りと不眠に悩まされるようになったこと。耳鳴りはとれたが、不眠はその後もずっと続いて現在まで到っていること。歳を重ねるに従ってその不眠はひどくなっていて、いつまで起きていてもだいじょうぶだ、ということ。だから、強い睡眠薬さえ呑めば逆にきちんと眠れるから心配無用、などと書いてから、本題に入った、と思う。
書き終わって、今年の正月のことをつい思い出してしまった。母親とは電話や時折の僕の方からの訪問がいつとはなしに復活していた。たぶん、もう許せるか、という自信のような感情が芽生えていたからだ、と思う。母親は、決して悪い人間ではないが、感情の起伏が激しく、恐らくはその最悪の時に、あの事件も起こったのではないか、と思う。父親は母親との離婚後、十数年して肝臓癌で亡くなった。58歳という若過ぎる死だった。父親の死に関して、その遠因になっているかも知れないというわだかまりはまだ心の片隅に在った。その遠因についてはこの場で何度か書いたので略すが、いつも母親の電話の向こうの声を聞く度に、表現しようのない苛立ちに似た感情が湧いてくるのも事実だった。どんなことで喧嘩になったのかは忘れた。が、電話の向こうの母親の唸り声というか叫び声を聞いた瞬間に胸が悪くなった。もしそのとき目の前にいたら、絞め殺していたかも知れない。僕の裡の怒りは頂点に達した。ムカついた。やってられない、という気分だった。
正月の1日に絶縁状を書いた。何度目かの絶縁だが、今回は本物のそれだ。確信がある。もう二度と母親の声も姿も死に顔も見たくない。だから葬式にも行かない。これが一人息子と母親との決定的な別れとなった。絶縁状を書いたら勢いがついた。47歳で学校を追われるまで、叔母だけは信用していた。叔父もそうだ。幼い頃から、大学を受験して就職までよく面倒をみてくれた、両親よりも信用していた叔母と叔父であった。しかし、学校を追われて、離婚の騒動の最中で、叔母から絶縁された。それは吃音が少し混じるはずの叔父の聞いたこともない、なめらかな絶縁の言葉で終わった。もう二度と連絡するな、という言葉がいつまでも頭の中を駆けめぐった。仕事を失い、家庭を失い、再就職の当てもない状況の中で、この絶縁は最も堪えた。だから僕は自殺を決行した。しかし2度ともに失敗した。生き残ってしまった僕には、これからの人生は単なるオマケの人生のように感じられた。もう絶対に睡眠薬なしには眠れなくなった。それも生き残ってからのそれはたぶん最もきつい睡眠薬だ、と思う。
何年か前に今度はこちらから叔母に対して絶縁状を書いて送った。淡々と書いた。それで終わるはずだった。が、今年の正月に母親に対して絶縁状を書いて、その高ぶった感情が、叔母にも再度向いた。今度は恨み状を書いた。正月にはだから、絶縁状と恨み状の2通を投函することになった。これで、僕の血の繋がった人間との関係は全て切れた。僕はこの世界で、血縁上は一人ぼっちである。こんなはずではなかったのに、という感情と、これですっきりした、という感情の奇妙に入り交じったものを何故だかからだが感じとった。
学校を辞めてからの人生は僕にとっては言葉を少し整えれば、緩慢な死を待っている、という感情に近い。だから、死はいつやって来てもよい、と思って生きている。しかし、もう自分からは死なない。これは僕の美学である。死の様相が現れたら、前回のブログにも少し書いたが、できれば積極的な安楽死をオランダかベルギーで迎えたいが、それは不可能だとすると、無意味な延命措置だけは断固拒否しようと心に固く誓っている。きつい睡眠薬を飲み続けているのだから、どこかの臓器をやられるのは目に見えているが、むしろ僕はそれを待っているフシがある。確信はないが、自然に受け止められるだろう死の予告を想像することはしばしばある。
こういう中で、僕の裡に確実に芽生えてきた感情がある。それは、理由は定かではないが、若者に対する大いなる思い入れである。若者が自ら命を絶つ、という事実に直面すると涙が止まらない。当事者にとっては、勝手な思い入れなんてごめんだよ、と言われるのかも知れない。うざいんだよーって避けられるのかも知れない。でも、僕は構わない。ずっと彼ら、若者に言いたい。輝かしい未来が待っている、とは決して言わない。むしろ挫折も待ち受けているのかも知れないから、生の苦さを噛みしめることだってあるだろう。けれど、絶対に、オレみたいに、なるなよな! と大声で叫びたい。53歳になった。後、何年生きられるやら。ずっと、オレみたいになるなよな! って叫び続けたい、と思っているこの頃だ。

〇推薦図書「アメリカ・インディアンの書物より賢い言葉」エリコ・ロウ著。扶桑社。タイトルそのままの本です。この本は僕の尊敬する方に紹介された本です。読書に疲れたとき、人生に倦んだとき、そっと開くような本だと思います。