ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

僕の何度目かの卒業式

2007-03-18 23:23:48 | Weblog
今日は2007年3月18日(日)である。テレビでは話題の山崎豊子女史原作の「華麗なる一族」の最終回を迎え、主人公の万俵 鉄平という青年がこの世から哀しく逝ってしまう、という場面が印象的な終焉であった。万俵 鉄平という青年は、山崎氏の裡なる人間の野望と、愛と、夢の挫折という宿命を背負ってこの物語に登場して、最後に自らの命を絶った。そして、また万俵 鉄平が、父に愛を求め、遂に果たせなかったその愛の挫折と死によって勝ち残った父自身もまた、より大きな権力抗争の中でやがては敗北せざるを得ない、という人間の宿命的な終末を暗示して、この物語は幕を閉じた。北大路欣也の父親役と、木村拓哉の演技はすばらしいものがあった。そういう印象が今日という日の思い出の一つであることを僕は胸の裡に秘めておこう、と思う。
さて、僕自身の人生の何度目かの卒業式に関して少し書く。この場で何度も書いてきたように、僕は京都の東山のある女子学園の英語教師として、23年間を過ごした。人生のかなりの部分をこの学校と供に歩み、そして僕の些細な夢は西本願寺という大いなる権威によって、また、その権威に丸め込まれた殆どの教師たちによって、挫折させられた。しかし、僕は、万俵 鉄平のようには潔くは死に切れなかった。そして、その後の7年という歳月を生き残ってしまった。しかし、僕の裡では、まだ教師という仕事に未練があったのだろう。現役の教師時代に、最も信頼をおいていた教師の一人にメールを書き送っていた。外から見た、かの学園について僕なりの観想を書き送っていたつもりだった。何度も返信は途絶え、僕はそれでも辛抱強く、観想を書き送り続けていた。
が、今朝、僕のもとに、その教師から突然メールが舞い込んだ。それは信じ難いものだった。僕にとても腹を立て、返信が来ないのをなじったことに対して、まるで生徒を叱りつけるように、僕に食ってかかるような内容であった。僕より、ずっと年下の、有望な教師である、と思っていた人からの、筆舌に尽くし難いような、僕にとっては切ない縁切りのメールであった。この人を責めるつもりはない。けれど、こういう有望な人が、たった? 7年という歳月の経緯の中でこんなに世界を見る目線がずれてしまうなどとは思ってもいなかった。僕は絶望し、その後に襲ってきたものは空漠感であった。さらに次に襲ってきたものは、夢抱くことの重要な少女たちの夢を、奪うような教育だけは何とかやめてほしい、という願いのような感情であった。ただ、それだけだった。そして、僕は、やっと、教師という、小さいが、たぶんかなり重要な仕事から、やっと抜け出した。これは僕の人生における何度目かの卒業式である。もう、未練はない。かつて自分が英語を教え、保護者と対話し、生徒を褒めて育てた過去から、完全に切れた、と思う。
僕の絶望感は教師という仕事から追放されてから、ずっと続いていた。それは僕の教育に懸けた夢の挫折を認めたくなかったからだろう、と思う。取り戻せない過去を切り離さなくては未来は視えて来ないことは百も承知だった。だが、僕の裡では、小さな炎はくすぶり続けて消えることがなかった。それは努力すれば逆に心の中の炎は大きくなるばかりであった。正直、苦しかった。カウンセラーという仕事にプロ意識が芽生えてからも、それはずっと続いていたからである。今日、唐突にやってきたメールが、僕の絶ち難かった夢の残滓を根底から覆した。それはかなり荒っぽいやり方だったが、僕にはこれくらいが丁度よかった、と思う。
あのまま教師を続けていたら、53歳の僕はどんな人間になっていただろう? 孤立感はますますつのり、傲岸な人間になり下がっていたような気がする。人を教育という名のもとに平気で上から見下すような人間になってしまっていたのは確実である。47歳での再出発はかなりの困難を究めた。しかし、僕の人生にはどうしても必要な壁であったのだ、と思う。僕にとってつらかったのは、どうあがいてもくすぶり続けていた過去への憧憬の念を完全に断ち切れなかったこと、だ。しかし、人生とはよくしたもので、僕らしい、過酷な幕切れが、僕自身を過去から解き放ってくれた。そういうメールを書き送ってきた元同僚に、生徒だけは傷つけてくれるな、という少しの感傷を感じながら、僕は、過去と決別したのだ。
僕は人生に倦み疲れた人といまや同じ目線に立てる。それが誇り、だ。僕は教師には向いていなかった。それも、小さな世界に閉じ込められるようにして、そこからこぼれ落ちる対価としての心地よい待遇をむさぼっていただけだろう。そして、人生の終盤になり、僕は人を見る目を失っていた、と確信する。僕はいまや、新たな人生の地平を見よう、としている。遅ればせながらの卒業である。そして、遅ればせながらの再出発の日が、今日、だ。ドラマの中の万俵 鉄平は、テレビ画面の向こうで今日、命を絶ったが、僕は今日再生したのである。木村拓哉と北大路欣也の俳優としての凄さを見ながら、僕は、いま再生する。今後一切過去に対して弱音は吐かない。それが僕の卒業の鉄則だ。そして、僕の残り少ないであろう人生をいまの仕事に賭ける。そういう決意を、僕はした。

〇推薦図書「夢の浮橋」倉橋由美子著。中公文庫。この小説はスワッピングの不条理の愛が、甘美で虚無的な昇華をしていく様をよく描いた小説です。僕のある意味、不条理な実体のない世界への愛の虚無感とどこかで繋がるところがあります。よろしければどうぞ。おもしろく読めます。