ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

人生の失格者としての自分を見た・・・

2007-03-25 23:54:25 | Weblog
今日、妻を泣かせた。まずは心の治療家としては、ここで失格である。夫婦喧嘩なら何の問題もないが、これはもっと僕の人生観に関わる重要な問題が絡んでいる。僕はいま人生の岐路に立っている、と痛感している。53歳にして、自分の裡なる破滅への願望を駆きたてる事件が起こった。詳細は書かない。みなさんは読んでもつまらないだけだし、呆れるだけだからだ。しかし、僕は痛感している。自分の裡なる破滅への願望が、自分の人生の道筋にきちんとプログラミングされていて、それは地雷のようなもので、誰かが、それを踏むと爆発するようなものだ、ということが。自分でもどうしようもない。自制が効かないのである。たぶん、僕は裡なる、かなりリアルな破滅への欲動につき動かされているのだ、と思う。僕はブログを読んでくださっている方はよくご存じだが自殺未遂者である。それも2度の未遂者である。だからこそ、ここにいらっしゃる皆さんの救いになれるかも知れないと、カウンセラーを志した。そしておそらくは結構な数の人々のためにはなれた、と確信している。
妻は何故泣いたのか、というと、僕の、結局は心の奥底に眠っている自滅への願望が自分の力で癒せていない、という無力感で泣いたのだ、と思う。その意味で、僕は人間としても失格である。正直にそう感じた。
僕は殺人未遂者の子どもである。それは夫婦どうしの問題であろうと、母は父を殺し損なった。父は命はとりとめたが、その結果、長く苦しんでこの世を去った。僕がいけなかったのは、父に母を訴えるな、と懇願したことである。その結果、父だけが死に、母は生き残った。そして、僕はその母の一人息子なのだ。いまでも苦しい。母とはこの正月に縁を切った。もう耐えきれなかったし、顔も見たくなかったからである。しかし、彼女の血は僕の裡に脈々と流れ続けていて、その恐怖感にぞっとすることがある。自分の行動が、彼女のそれから切れたいがために、破滅したい、という願望がごく自然に何かのきっかけで、その姿を亡霊のように姿を現すのである。理性では止まらない瞬時があるのが自分でも分かる。実存主義者が言うのもおかしいが、これは僕が背負った宿命のようなものではないか、と思う。
このまま、何も自分を激しく揺さぶることが起きないことを願っている。そうでなければ、僕はまた、同じように破滅への階段を下り始めるだろう。その衝動は自分でもよく分かっている。だが、かなり努力をしないとそこからは抜け出ることが出来ないのも事実だ。親の、子どもに対する影響力のただならぬ大きさにいまさらながらに驚いている。僕は大学の一年生の頃、決定的に心の裡なる失ってはならぬものを、失った。もうその欠落感は説明しようもないが、ぶすぶすと心の中にくすぶっているのが僕の現況なのである。
僕は自分の二人の息子に何をしてやれたのだろうか? 同じような重さを背負わせてしまったのではないだろうか? いま、離れてしまった息子たちへの責任の重さを痛感している。
僕はカウンセラーという仕事をこのまま続けていけるのであろうか? 確信がない。ただ、僕のホームページに書いたことは、僕の本質でもあるから、そのことに嘘はない。だから、もし僕のところを訪れてくださる方々がいるとすれば、そこをきちんと読んでいただければ、と思う。そうすれば、僕とクライアントとの精神の共同作業が成立するとは思う。ただ、僕は育ちが良くないので、あまり世の中に揉まれていない方が精神を病んでいらっしゃる場合は、その傷をえぐることになるかも知れないので、僕との精神の共同作業をしてもよい、と思う方は、僕のホームページの内容を良く読んで納得してから来ていただくと効果は絶大である。そうでなければ、クライアントは途中で逃げ出すことになる。心の準備が十分に出来ていないと、逆に心の傷を自分で見つめられなくなってしまう人も中にはいらっしゃるからである。そういう方は、ご自分で喋ることをただただ、黙って聞いてくださるカウンセラーをお勧めする。永い時間がかかるが、その方が安全である。僕のカウンセリングは早いが、ある意味荒っぽいのである。たぶん自分の中の破滅への欲動を感じつつ、生きているからである。心の癒しだけを求める方は僕を避けた方がよい、と思う。ただ、僕は責任をもって完治させる。それが僕の唯一の誇りである。

〇推薦図書「ヒコクミン入門」島田雅彦著。集英社文庫。自称現代日本の青二才であるとして憚らない島田は、痛快に「現代」という難物を氷解させてくれます。エッセイです。心が沈んだら、読まれることをお勧めします。一読の価値はあります。僕も永遠の青二才として、共感するところ大でした。よろしければどうぞ。