ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

教育と愛と挫折と芽生えつつある未来について語ろう、と思う

2008-07-01 23:04:44 | 観想
○教育と愛と挫折と芽生えつつある未来について語ろう、と思う

世間一般の常識においては、僕はかつて教育者の一人であった、ということになっている。教師時代の自分について触れるのは、新たな価値観を発見しない限り、今日が最後である。また、そのように総括したい、と思う。

僕がなぜ教師という職業に徹し切れなかったのか? という理由については、すでに書いた。ただ、その理由の殆どは外延的・周縁的なるそれである。自分が教師でありながら、ついに教師になりきれなかった最も核心的な理由は、精神的な意味における自分の裡なる不全感と、それが招いた、屈折した成果主義がもたらした残り滓のような教育活動のドタバタ劇である。少し厚顔に言うと、僕は決して不真面目な教師ではなかった、と自負している。むしろ僕の脳髄の中は、たぶん誰にも劣らぬほどの、教育に対する強烈な向上心に満ち満ちていたとさえ言える。さらに言うと、そのエネルギーが生み出した結果としての、僕の言動には、生徒が受けざるを得なかった不幸への限りない共感と、その克服に向けての援助、生徒の点数主義という表層的な学力? ではない、生きる力に直結すべき学力、あるいは生きる力、生徒の他者に対する優しい眼差しの育成、他者と協力することの大切さとその意等々が、間違いなく現れていた、と確信する。恐らくは、これだけの要素が僕の裡なる掛け値なしの確信になっていたら、僕は抗いがたいほどの不全感に悩まされることなどなかったはずである。あるいはまた、僕の視野の中に、世のあらゆる権威に対する怨念にも似た感情が入って来なければ、僕は教師という仕事を全う出来たのかも知れない。

常軌を逸した政治への関わりゆえに、自分の中に根づいて離れなくなった反抗の論理、あらゆる権威に対する抗いの精神的エネルギーが、いや言葉を換えれば、僕の過去の総体が、僕に教師であり続けることへの不全感と不可能性とを、否応なく僕の教育思想の有り様に多大な影響を与えずにはおかなかった。たぶん僕は自分の能力の限界点をとっくに超えたところで、さらなる宗教という権威に対する憎悪を深めていったのだ、と思う。いや、宗教という心の救いがその名に値するあり方を存分に発揮しているのであれば、僕はむしろ宗教という存在を積極的に認め、その宗教的影響力でさえ、教育の論理の中に組入れることすら出来たのではなかったか? と思う。だが、少なくとも、僕の関わった宗教は、宗教という名に値しないどころか、その根っこたる宗教思想自体が腐り果てていた。

僕は23年という永きに渡る教師時代に、吝嗇家、好色家以外の僧侶たちと出会ったことがない。仏教が宗教本来の救済の概念を捨て、単に様式化された葬式仏教に成り下がった醜悪な様は、自分の目を塞ごうとしても、塞ぎ切れないほどに腐れ果て、その腐食の深度は僕自身の教育の論理さえ呑み込んでしまいかねないものであった。眠っていたはずの、裡なる権威に対する命がけの反抗の力が、僕自身を教育の世界から逸脱させ始めたのである。僕は教師という仕事を実質的に放棄した。僕は自分自身が、教師という名をかりた、かつての極左運動家としての自己に変質していくのを、止めることなど出来はしなかったのである。教育者としての敗北は、このときすでに決定的になっていた、と思う。敗北を意識した上での抗いは、たぶん僕が教師という仕事を初めて間もなく訪れてきた期待せざる来客であった。僕のその後のあらゆる教育的なる言動の底には、宗教的権威に対する鋭角的な攻撃の火種が燻って消えることがなかったのである。僕は教師ではあり得なくなっていた。教師という安穏な生活の論理も、自分にとって欠くことの出来なかった二人の息子たちの存在も、僕を押し止める力にはなり得なかった。孤独で、寒々とした荒涼たる風景が眼前に広がっていた。僕が教師という仕事を追われるのは時間の問題に過ぎなかった。

いまとなっては、その当時の自分に何が決定的に欠落していたのかがよく分かる。僕は結局、自分の思想には忠実であったのかも知れないが、目の前の生徒たちに対する深い愛が希薄だったのだろう、と思う。眼前の、救いを求めている存在たる生徒たちも、自分の息子たちも、僕の視野から外れていった。僕は遠くの、手の届くはずのない、巨悪にしか感応しなくなっていた、と思う。目の前の、将来の可能性に満ちた生徒という存在が見えず、愛すべき対象を愛せなくなった教師など如何ほどの価値があろうか? 眼前の生徒を救い、受容し、生きる力を与え、その一方で巨悪に立ち向かうという力量が、僕にはなかったのではなかったか? 愛しつつ、反抗すべき思想の力が欠落していたのではなかったか? 巨悪に対抗しつつ、最も大切な、愛するという意味を喪失していったのではなかったか? そうでなければ、僕が学校を追放されようとしているときに、自分の仲間であると信じて疑わなかった同僚たちが去っていくはずがないではないか? 間違いなく、僕は自己の裡なる反抗のためのエネルギーを蓄えるために、それとは意識せずに他者を切り捨ててきたのである。まさに身から出た錆である。教師を追われてからずっと考え続けてきて気づいた観想である。もう、この種のことは書くまい。未来を見据えて生きていこう、と思う。心の底からの想いである。ウソはない。

京都カウンセリングルーム
長野安晃