○這い上がってやる!などという心境から自由であれ。
人はある種の苦難に直面したとき、その苦難の底から這い上がってやる、という強い決意をしてしまうことがある。しかし、幸か不幸か、このような苦難に立ち向かい、抗いした結果、眼前に立ちはだかる壁にぶちあたり、その壁を己れの力業で瓦解させたつもりでも、その抗いの過程で傷ついた傷口からは血が滴り落ち、時には膿を孕み、その人の生涯に渡る人格的な成長に暗い翳を落とすことになる。
人が精神疾患に陥るのは、自分の精神の許容範囲を上回る出来事が生起した場合、自己防衛のために、自らの精神が折れるようにシステム化された、制御装置の働きが正常に機能している、と考えるべきだ。先天的なそれは別として、後天的な精神のバランスの乱れは、その乱れを自覚し、自覚の上に立って、精神薬やカウンセリングの助力を受けて、傷ついた心を癒すのである。その癒しの過程で、これまで眠っていた心の受容力さえ芽生えてくるのではなかろうか?
自分が直面するどのような苦悩とも対峙出来る、と考えるのは若さゆえの暴挙とでも言うべき精神的反駁の現れである。自分が如何なる心の闇とも云うべき深き穴に落ち込んでも、そこから誰の力も借りず、這い上がってみせる! という決意のどこに生を生き抜くための価値があるだろうか? もし、結果的に這い上がれたとしても、その結末は無残なものではなかろうか? その人に備わっていたはずの柔らかき個性、他者に対する思いやりの気持ち、あるいは自己受容のための心のゆとり等々と引き換えるようにして、孤独なままに、心の、あるいは生活の闇の中から這い上がってきた人の個性は、歪み、たわみ、柔軟性を失い、個性的な欠陥を自己の精神に刻印するハメになる。これが人間にとって大いなる不幸と言わずしてどのように表現できようか?
僕の、この歳に至るまでの精神の彷徨などの、どこに人として成熟できる可能性があっただろうか?さらにいえば僕の裡なる柔軟な個性が現出し得ることなどあり得ただろうか? 自己の個性の中には、頑な価値意識が芽生え、生の過程において、自己の価値と相いれぬものたちを、それが人であれ、事物でれ、躊躇なく切って捨ててきた人生だった、と思う。いま、僕はその喪失感に悩まされ、寂寥感に打ち震え、孤独にさえ耐えきれなくなってしまった。不甲斐ない、と心底、思う。しかし、この不甲斐なさをいまは居直って、他者との言語交通によって、何ほどか、他者の孤独に共感し、あるいは、人生におけるドブ板を踏み抜いた人々の哀しみに共鳴し得る可能性はある、と感じてはいる。しかし、同時に、他者との精神的共有感などあり得ないのかも知れないという絶望的な気分も同居しているのである。さて、これから、この短い生をどのように生き、どのように締めくくればいいのだろうか?
〇推薦図書「もう切るわ」 井上荒野著。光文社文庫。心の中の迷路(ラビリンス)を軽妙な語り口で描いた作品です。この作者はごく最近直木賞を受賞しました。以前から評価していた作家ですので、うれしいかぎりです。人生に倦んだ方は、ぜひどうぞ。
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
人はある種の苦難に直面したとき、その苦難の底から這い上がってやる、という強い決意をしてしまうことがある。しかし、幸か不幸か、このような苦難に立ち向かい、抗いした結果、眼前に立ちはだかる壁にぶちあたり、その壁を己れの力業で瓦解させたつもりでも、その抗いの過程で傷ついた傷口からは血が滴り落ち、時には膿を孕み、その人の生涯に渡る人格的な成長に暗い翳を落とすことになる。
人が精神疾患に陥るのは、自分の精神の許容範囲を上回る出来事が生起した場合、自己防衛のために、自らの精神が折れるようにシステム化された、制御装置の働きが正常に機能している、と考えるべきだ。先天的なそれは別として、後天的な精神のバランスの乱れは、その乱れを自覚し、自覚の上に立って、精神薬やカウンセリングの助力を受けて、傷ついた心を癒すのである。その癒しの過程で、これまで眠っていた心の受容力さえ芽生えてくるのではなかろうか?
自分が直面するどのような苦悩とも対峙出来る、と考えるのは若さゆえの暴挙とでも言うべき精神的反駁の現れである。自分が如何なる心の闇とも云うべき深き穴に落ち込んでも、そこから誰の力も借りず、這い上がってみせる! という決意のどこに生を生き抜くための価値があるだろうか? もし、結果的に這い上がれたとしても、その結末は無残なものではなかろうか? その人に備わっていたはずの柔らかき個性、他者に対する思いやりの気持ち、あるいは自己受容のための心のゆとり等々と引き換えるようにして、孤独なままに、心の、あるいは生活の闇の中から這い上がってきた人の個性は、歪み、たわみ、柔軟性を失い、個性的な欠陥を自己の精神に刻印するハメになる。これが人間にとって大いなる不幸と言わずしてどのように表現できようか?
僕の、この歳に至るまでの精神の彷徨などの、どこに人として成熟できる可能性があっただろうか?さらにいえば僕の裡なる柔軟な個性が現出し得ることなどあり得ただろうか? 自己の個性の中には、頑な価値意識が芽生え、生の過程において、自己の価値と相いれぬものたちを、それが人であれ、事物でれ、躊躇なく切って捨ててきた人生だった、と思う。いま、僕はその喪失感に悩まされ、寂寥感に打ち震え、孤独にさえ耐えきれなくなってしまった。不甲斐ない、と心底、思う。しかし、この不甲斐なさをいまは居直って、他者との言語交通によって、何ほどか、他者の孤独に共感し、あるいは、人生におけるドブ板を踏み抜いた人々の哀しみに共鳴し得る可能性はある、と感じてはいる。しかし、同時に、他者との精神的共有感などあり得ないのかも知れないという絶望的な気分も同居しているのである。さて、これから、この短い生をどのように生き、どのように締めくくればいいのだろうか?
〇推薦図書「もう切るわ」 井上荒野著。光文社文庫。心の中の迷路(ラビリンス)を軽妙な語り口で描いた作品です。この作者はごく最近直木賞を受賞しました。以前から評価していた作家ですので、うれしいかぎりです。人生に倦んだ方は、ぜひどうぞ。
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃