ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

過去に縛られない人間なんて存在し得ないはずだ

2008-07-24 00:07:20 | 観想
○過去に縛られない人間なんて存在し得ないはずだ

大昔、そう、僕が小学生の低学年の頃だろうか、その頃の神戸の繁華街の中心地は、現在の三ノ宮などではない。三ノ宮などはまだ繁華街にもなり得ていなかった。当時の神戸っ子の、大人の匂いが漂う憧れの街とは、あくまで新開地だったのである。50代以上の年齢の方で、神戸を知っている人なら誰もが認めるところだろう。しかし、時の流れとは酷薄なもので、いまや新開地は、当時の繁栄の座を三ノ宮に完全に譲り渡した恰好だ。新開地は、裏びれた、朽ち果てていくことを予感させる、街の残骸になり果てた、と思う。

何カ月か前に行ってみて、時の流れと人々の関心のうつろいやすさを膚で感じざるを得なかった。当たり前のことだろうが、何故か、自分の過去の総体が朽ち果てていくような感慨とない交ぜになって、切なくなった。老いとは、この種の切なさと無縁ではないだろう。そして何もかもが失われて、人は己れの死を受容しなければならないのだろう。

小学生の頃、己れの内面を磨くことを放棄した感のあった父が、繁華街を闊歩することで、内奥の疼きを、享楽の世界に身を浸すことによって忘却しようと必死になって抗っていた場、それが新開地という歓楽街だった。映画館がどれだけたくさんあったか数え出すとたぶん10本の指では足りないほどだった、と思う。どういうわけか、父は母と連れ立って新開地に出かけるよりは、僕を引き連れては、大人の世界をかいま見せるのが楽しみだったようだ。父なりの、一人っ子であった僕に対する教養のつけ方だったのだろう、と思う。映画館のハシゴは日常茶飯事だったし、当時は喫茶店と言えば、いまのようなスターバックスコーヒーなどどこにもないわけで、通称、「純喫茶」と呼ばれる喫茶店で父はコーヒーを啜り、僕は生クリームがたっぷりのっかったパフェを平らげることになっていた。それが僕たち父子の暗黙の了解だった。新開地の道を一筋横にずれると、さすがに父も子どもの僕を連れていくことを多少は憚った感のある、福原という歓楽街があった。父なりに気をつかったのか、女性のいないバーに僕を連れて入り、アルコール抜きのカクテルをバーテンダーにオーダーしてシェイカーを振らせた。大人の世界に完全に踏み込んだという恐怖感と満足感の入り交じった感情が僕を支配した。が、それは決して不快な感情ではなかった、と思う。

新開地に話をもどすが、当時は見せ物小屋がたくさん出ていて、現代ならば、人権無視というそしりを免れないが、要するに身体に障害のある人の、その障害を大げさに見せ物に仕立て挙げては、「親の因果が子にたたり・・・・・」という独特のドラ声のおっさんが大声でがなり立て、好奇心を刺激された人々は、結構な額の入場料を支払って、小屋に入っていったものである。胸が異様に高まるままに、僕も好奇心を刺激された一人として父とそんな見せ物小屋によく入ったものだ。小屋を出てくるとき、ドラ声、そこはトルコ風呂(いまは呼び名が変わったね)や、怪しげな家族風呂などという、性が横溢する場の賑わいが、僕を圧倒的な威力で萎縮させもした。おっさんの宣伝文句とはまるで違う結果を見せられて、いつも軽い失望感を味わって、もう来るものか、と思った。それでも懲りずに違う見せ物小屋がやって来ると、映画の帰りに立ち寄ってしまうのである。父が何を果たして考えていたのか定かでないが、たぶん、彼が日常生活の退屈感を紛らわせるためにやれることは、僕と一緒に行動する範囲内で憂さを晴らしていたと、考えざるを得ない。父は、いつも何か満たされない気持ちを、享楽的な世界に立ち入ることによって、非日常を体験していたのだろう、と推測する。それしか、父には出来なかったのだろう、とも思う。

マスコミの言葉狩りから言えば、書いてはならない表現なのだろうが、「親の因果が子にたたる」という表現は、いまの僕にはかなりな角度で、真実を射抜いている言葉なのではないか、と思う。僕はまさに、親の因果が子にたたった人間として、父とはまったく違う道のりをこの年齢に至るまで生きてきたが、それらの体験はまとめてしまえば、非日常を体験したい、という希求に似た感覚であり、それらの総体が、現在の僕という人間の不安定感の原質になっていると確信しているからである。僕は、僕なりの表現手段を持ち得たが、たとえそうであっても父と同じ質の日常性に耐え難い退屈感を抱く素養をもった人間として成長し、老い、死につつあるのである。いまの僕には、確固としてなし遂げたものなど何一つない。親の因果が子にたたった典型例である。それでよいのだ、と居直ってもよいが、まだ少しでも負の要素を取り戻せる可能性があると無理やりに仮定した上で、敢えてなし遂げられなかった事どもを、少しは補正修正しながら細々と生きていこうか、とも思う。細い路しか残されてはいないが、もうそれしか己れをなにほどか自己受容するべき方法はないだろう、とも思う。近頃は恥ずかしいことばかりを書き遺しているようだ。十分に意識しているが、敢えて恥を晒そうと思う。もうそれほど永い時間が残されているとも思えないからである。今日の観想とする。

〇推薦図書「心では重すぎる」 大沢 在昌著。文春文庫(上)(下) 心に比べれば、体など軽いものさ、という主人公の心のありようを現代的なサスペンディッドな世界像で、読者に提供してくれます。よろしければ、どうぞ。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃