○ホントの自分なんて、そもそもないのかもなあー。
若かりし頃の、わけの分らぬ、妄想じみた観念的な追及。いろいろあるように思うけれど、その中でもとりわけ僕が拘っていたのは、自分が評価されるとき(それほど多くはなかったにしても)、評価する側の他者は、いったい僕の何を、どこを見て評価するのだろうか?という、ある種、強迫的な感覚だった、と思う。評価の内実は、無論、良くも悪しくもされるわけだけれど、悪く評価される場合は、それなりの覚えがあり、何となく納得してしまうわけである。歳を重ねるに従って少々ずるくもなるので、身に覚えがあっても、悪評に対しては、一応、不条理だ!などとうそぶいてみるようにもなる。これはまあいいんだ。僕がずっとひっかかってきたのは、たまたまにしろ他者に良く評価されるときの、評価基準というか、そういう要素って、ほんとに自分の本質的なことを褒めてくれているのか、はたまた、たとえば、勉強が出来るだの、運動が出来るだの、集団の中で目立つだの、学歴だの、社会的地位がどうだの、といった、なんだかどうでもいいようなことで、自分の像が出来あがり、自分にとっては、存在論的にはなんの根拠もないような(と思っていたわけです)おまけみないな属性が評価の対象になっているのではないか、とずっと思ってきたわけだ。そういうときの内心の叫びは、ホントの自分なんて誰もわかっちゃあいないんだよな、というアホらしさだった。
まあ、上記のようなことを考える人たちもいるのだろうが、大抵はそのうちに忘れる。けれど、僕には自分が評価されることに関して云えば、悪評価ならばまだいいけれど、評価の対象にもならなかった苦い経験がちょっと前にある。10代の後半に、すでに疲れきって、向上心も喪失して、一旦は社会離脱してしまおうかと思い、大学受験も捨てて東京に逃げた。しばらくして大学受験を目指すも、当然学力はガタ落ちで、金もないのに3流どころの私大に籍を置くのがやっと。このあたりはまだいいか。他者の評価どころの騒ぎではなかったし。しかし、このあたりまで来ると元の自分に立ちもどろうとしたところで、すでに時遅しで、のし上がってやろうとしても大体は先が見えても来る。英文学という、自分にとっては興味関心のないところから、研究者になるような強靭な精神など生まれ出て来ようはずもなく、結局、安易に私学の中学・高校の英語教師になった。ともかく精神力も学力も落ちるところまで落ちていたので、これでも何とか飯が喰えるか、という安堵さえ覚えたくらいだから、凡庸の極みである。教師として、たぶん一生懸命に仕事をしたのは、こんな心構えで生徒さんの前に立つことの言い訳みたいなものだったのかも知れない。つくづく嫌な人間だったと思う。
それにしても、長年私学の教員という立場にいると、慣れも出てくるわけで、何ほどかの社会的信用度があると錯誤して来るようになる。縁戚も含めて、まわりの人々もそれなりに認めてもくれる。自分では不満タラタラであっても、教師という身分相応の評価がなされていたわけである。人間の意識など、低きに流れると云うが、たぶん当時の僕は低きに流れた末の、人からの評価に結構居座っていた感がある。恥ずかしいことである。
学校経営者とのトラブルで、学校を去ることになって、長年の教師という看板を降ろす。それも先行き何の見通しもなく、そうなったのであって、まわりの人間からすれば、僕は完全な社会的落後者と映ったことだろうね。彼らの僕に対する態度の豹変からすれば、そう思うのが最も妥当な解釈だ。血縁なんて他人さまと何ら変わるところなし。みなさん、そっぽを向いた。つぎに行動に移すまでの1年くらいの期間、よくしたもので、僕はうつ病患者になり、強度の不眠症に陥った。病気には違いないが、病気にかまけている間は、自殺など考える余裕もないわけで、これも無意識な自己防衛だったのか、とも思う。深いうつ病に陥って自殺に至る人の大半は、抗うつ剤の効用で、うつ病から脱しかけた頃が多いのは、適切な表現ではないと思うが、それなりに心の余裕が出来てくるからだろう。ともかく僕の評価は落ちるところまで落ち、悪評価すらされなくなった。で、僕は思った。つくづくと。あの頃の僕こそ自分にまつわるあらゆる属性を剥ぎとった存在だったわけで、若かりし頃に想い描いたホントの自分とは、こういうものに過ぎなかったのである。結局、僕の強迫的な観念の中のホントの自分の実体とは、あたかも玉ねぎの皮を一枚一枚剥いでいくと、後には何も残らないことと何一つ変わることなどなかったことになる。
さて、結論。ある人にとってのホントとは、彼/彼女が到達したその時々に身にまとった全ての属性を相対的に見た姿のこと。ただし、いまの僕から少なくとも確信を持って言えることは、生きることに虚飾や自己欺瞞が介在すると、自己評価にも他者からの評価にも間違った要因が入り込むことになる。生に虚飾や自己欺瞞が蔓延していることに慣れ切ると、そういう負の要因が自分を壊すことに繋がるわけで、ロクなことはない。自己欺瞞よりは、自己満足の方がややましかな?ともあれ、どのような生きざまをしていようと、ウソ偽りなき生を生きたいという願いは必ず実を結ぶものだろう、と、この歳にして想う。おれって、なんて手のかかる人間だろう、というのが正直な慨嘆である。今日の観想として書き遺す。
京都カウンセリングルーム
アラカルト京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
若かりし頃の、わけの分らぬ、妄想じみた観念的な追及。いろいろあるように思うけれど、その中でもとりわけ僕が拘っていたのは、自分が評価されるとき(それほど多くはなかったにしても)、評価する側の他者は、いったい僕の何を、どこを見て評価するのだろうか?という、ある種、強迫的な感覚だった、と思う。評価の内実は、無論、良くも悪しくもされるわけだけれど、悪く評価される場合は、それなりの覚えがあり、何となく納得してしまうわけである。歳を重ねるに従って少々ずるくもなるので、身に覚えがあっても、悪評に対しては、一応、不条理だ!などとうそぶいてみるようにもなる。これはまあいいんだ。僕がずっとひっかかってきたのは、たまたまにしろ他者に良く評価されるときの、評価基準というか、そういう要素って、ほんとに自分の本質的なことを褒めてくれているのか、はたまた、たとえば、勉強が出来るだの、運動が出来るだの、集団の中で目立つだの、学歴だの、社会的地位がどうだの、といった、なんだかどうでもいいようなことで、自分の像が出来あがり、自分にとっては、存在論的にはなんの根拠もないような(と思っていたわけです)おまけみないな属性が評価の対象になっているのではないか、とずっと思ってきたわけだ。そういうときの内心の叫びは、ホントの自分なんて誰もわかっちゃあいないんだよな、というアホらしさだった。
まあ、上記のようなことを考える人たちもいるのだろうが、大抵はそのうちに忘れる。けれど、僕には自分が評価されることに関して云えば、悪評価ならばまだいいけれど、評価の対象にもならなかった苦い経験がちょっと前にある。10代の後半に、すでに疲れきって、向上心も喪失して、一旦は社会離脱してしまおうかと思い、大学受験も捨てて東京に逃げた。しばらくして大学受験を目指すも、当然学力はガタ落ちで、金もないのに3流どころの私大に籍を置くのがやっと。このあたりはまだいいか。他者の評価どころの騒ぎではなかったし。しかし、このあたりまで来ると元の自分に立ちもどろうとしたところで、すでに時遅しで、のし上がってやろうとしても大体は先が見えても来る。英文学という、自分にとっては興味関心のないところから、研究者になるような強靭な精神など生まれ出て来ようはずもなく、結局、安易に私学の中学・高校の英語教師になった。ともかく精神力も学力も落ちるところまで落ちていたので、これでも何とか飯が喰えるか、という安堵さえ覚えたくらいだから、凡庸の極みである。教師として、たぶん一生懸命に仕事をしたのは、こんな心構えで生徒さんの前に立つことの言い訳みたいなものだったのかも知れない。つくづく嫌な人間だったと思う。
それにしても、長年私学の教員という立場にいると、慣れも出てくるわけで、何ほどかの社会的信用度があると錯誤して来るようになる。縁戚も含めて、まわりの人々もそれなりに認めてもくれる。自分では不満タラタラであっても、教師という身分相応の評価がなされていたわけである。人間の意識など、低きに流れると云うが、たぶん当時の僕は低きに流れた末の、人からの評価に結構居座っていた感がある。恥ずかしいことである。
学校経営者とのトラブルで、学校を去ることになって、長年の教師という看板を降ろす。それも先行き何の見通しもなく、そうなったのであって、まわりの人間からすれば、僕は完全な社会的落後者と映ったことだろうね。彼らの僕に対する態度の豹変からすれば、そう思うのが最も妥当な解釈だ。血縁なんて他人さまと何ら変わるところなし。みなさん、そっぽを向いた。つぎに行動に移すまでの1年くらいの期間、よくしたもので、僕はうつ病患者になり、強度の不眠症に陥った。病気には違いないが、病気にかまけている間は、自殺など考える余裕もないわけで、これも無意識な自己防衛だったのか、とも思う。深いうつ病に陥って自殺に至る人の大半は、抗うつ剤の効用で、うつ病から脱しかけた頃が多いのは、適切な表現ではないと思うが、それなりに心の余裕が出来てくるからだろう。ともかく僕の評価は落ちるところまで落ち、悪評価すらされなくなった。で、僕は思った。つくづくと。あの頃の僕こそ自分にまつわるあらゆる属性を剥ぎとった存在だったわけで、若かりし頃に想い描いたホントの自分とは、こういうものに過ぎなかったのである。結局、僕の強迫的な観念の中のホントの自分の実体とは、あたかも玉ねぎの皮を一枚一枚剥いでいくと、後には何も残らないことと何一つ変わることなどなかったことになる。
さて、結論。ある人にとってのホントとは、彼/彼女が到達したその時々に身にまとった全ての属性を相対的に見た姿のこと。ただし、いまの僕から少なくとも確信を持って言えることは、生きることに虚飾や自己欺瞞が介在すると、自己評価にも他者からの評価にも間違った要因が入り込むことになる。生に虚飾や自己欺瞞が蔓延していることに慣れ切ると、そういう負の要因が自分を壊すことに繋がるわけで、ロクなことはない。自己欺瞞よりは、自己満足の方がややましかな?ともあれ、どのような生きざまをしていようと、ウソ偽りなき生を生きたいという願いは必ず実を結ぶものだろう、と、この歳にして想う。おれって、なんて手のかかる人間だろう、というのが正直な慨嘆である。今日の観想として書き遺す。
京都カウンセリングルーム
アラカルト京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃