○この世界はねえ・・・個人情報という問題との関連で。
何事にも情報は必要不可欠だけれど、かといって、現代のような情報化社会と呼ばれるような社会構造になってしまうと、個人情報というものも簡単に掌握することが可能な時代だ。世の中は、個人情報保持のための一大キャンペーンでもやっているように、何でも個人情報なので、教えられません、とくる。しかし、この種の個人情報なんて入手したところで、大半は、たいしたものではない。ブッシュがテロとの戦いだ、と言いだした前後から、アメリカのセキュアリティシステムは革命的に進化した。ただ、何のことはない、こういうセキュアリティというのは、あくまで国家体制にとって必要な情報収集に関わるものだ。アメリカのセキュアりティプロジェクトは、それこそ24時間体制で、個人情報を搾取している。その施設に勤務する人間は5万人なんだと。大枚の税金を投入しているわけだ。テロを必要以上に怖れ、テロ対策に躍起になるのは分かるが、その大元の原因をつくっているのは、他国に遠慮会釈なく介入しようとするからだ。恨みを買うのは必然だろう。無論、その国の経済を実質的に牛耳ろうとする狙いがそうさせるわけで、情報管理に要する膨大な金も必要経費なんだろうか。
ブッシュ以前から、国家の情報網はたいしたものになっていて、特にテロリストなどの容疑者の西欧各国の登録者人数は10万人とも15万人とも云われていた。それ以上なのかも知れない。苦い思い出がある。イギリスのヒ―スロー空港の税関をくぐり抜けるときに、二度僕は私服警官に本格的なボディチェックを受けた。イギリスには二度しか行ったことがないので、そういう意味ではイギリスの印象はよろしくない。40代の頃だ。連れの男の人相の方が数段悪い。それにまわりを見渡すといかにも怪しげな人物が溢れるほどいるというのに、僕だけがターゲットになった。もう一つ。カナダからアメリカに車で入るときに、カナダ人の友人と同乗していたもう一人の男がいたのである。僕はアメリカ側の小さな空港から小さなプロペラ機でシアトルに飛ぶ予定だった。国境警備隊がおり、パスポートさえ見せればすんなりと国境を越えられるはずだった。が、図体のデカイブラックアメリカンの警備隊員が、僕だけを別室に連れ込んで散々しぼりやがったのである。約1時間くらい。アメリカもイギリスも同じ規模のテロリストに関する情報を保有していたというから、たぶん、僕はアジアのどこかの国のテロリストに酷似していたのだろう。そうとしか考えられない。だって、人相の良し悪しで言えば、その時々の連れの人間たちの方がずっと悪かったと思うし、もっと言えば、人相の良し悪しなんて彼らは見てはいないのだろう。ともかく、個人情報云々というと必ず、このことが頭をよぎるから不思議だ。いまだにそうだ。
情報は金になる。これはずっと以前から。日本の原始的とも云える情報提供会社でも、信用調査という名目で銀行などから依頼を受けて、融資先の会社の会計状況も含めて、かなりな細目に渡る情報を金で売っている。個人情報などという割には、金さえ払えば大抵の個人情報が得られる。それも合法的に、である。とりわけ日本においては、秘密保持という概念があいまいであるのに、個人情報開示に対して無思想で盲目的なヒステリー状態下にあるような気がしてならない。
ある良心的なサイトに僕の主催するカウンセリングルームの登録をしていて、サイトの運営者は実に面倒見がよい。登録だけさせて放置するところばかりと言っても過言ではないのに、このサイトは特別な存在である。そこからのお知らせは、フェイスブックへの登録の件。登録の仕方まで指導してくれるという。そうしようか、とも思ったが、国家規模の情報搾取の、この時代。フェイスブックなどは、彼らにとって格好のターゲットだろうなあ、と思うと空恐ろしく、またアホらしくなり、ことわりの電話を入れたところである。
こんな時代に日本の情報のあり方はどうなっているのだろう?かつての東西冷戦時代、日本はスパイ天国と言われたくらいだから、実態は、本来の機密保持などという概念とは程遠いのではなかろうか。それなのに世の中、個人情報保持という言葉が独り歩きしているあり様。どうなっているんだろうか、この日本という国は。
京都カウンセリングルーム
アラカルト京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
何事にも情報は必要不可欠だけれど、かといって、現代のような情報化社会と呼ばれるような社会構造になってしまうと、個人情報というものも簡単に掌握することが可能な時代だ。世の中は、個人情報保持のための一大キャンペーンでもやっているように、何でも個人情報なので、教えられません、とくる。しかし、この種の個人情報なんて入手したところで、大半は、たいしたものではない。ブッシュがテロとの戦いだ、と言いだした前後から、アメリカのセキュアリティシステムは革命的に進化した。ただ、何のことはない、こういうセキュアリティというのは、あくまで国家体制にとって必要な情報収集に関わるものだ。アメリカのセキュアりティプロジェクトは、それこそ24時間体制で、個人情報を搾取している。その施設に勤務する人間は5万人なんだと。大枚の税金を投入しているわけだ。テロを必要以上に怖れ、テロ対策に躍起になるのは分かるが、その大元の原因をつくっているのは、他国に遠慮会釈なく介入しようとするからだ。恨みを買うのは必然だろう。無論、その国の経済を実質的に牛耳ろうとする狙いがそうさせるわけで、情報管理に要する膨大な金も必要経費なんだろうか。
ブッシュ以前から、国家の情報網はたいしたものになっていて、特にテロリストなどの容疑者の西欧各国の登録者人数は10万人とも15万人とも云われていた。それ以上なのかも知れない。苦い思い出がある。イギリスのヒ―スロー空港の税関をくぐり抜けるときに、二度僕は私服警官に本格的なボディチェックを受けた。イギリスには二度しか行ったことがないので、そういう意味ではイギリスの印象はよろしくない。40代の頃だ。連れの男の人相の方が数段悪い。それにまわりを見渡すといかにも怪しげな人物が溢れるほどいるというのに、僕だけがターゲットになった。もう一つ。カナダからアメリカに車で入るときに、カナダ人の友人と同乗していたもう一人の男がいたのである。僕はアメリカ側の小さな空港から小さなプロペラ機でシアトルに飛ぶ予定だった。国境警備隊がおり、パスポートさえ見せればすんなりと国境を越えられるはずだった。が、図体のデカイブラックアメリカンの警備隊員が、僕だけを別室に連れ込んで散々しぼりやがったのである。約1時間くらい。アメリカもイギリスも同じ規模のテロリストに関する情報を保有していたというから、たぶん、僕はアジアのどこかの国のテロリストに酷似していたのだろう。そうとしか考えられない。だって、人相の良し悪しで言えば、その時々の連れの人間たちの方がずっと悪かったと思うし、もっと言えば、人相の良し悪しなんて彼らは見てはいないのだろう。ともかく、個人情報云々というと必ず、このことが頭をよぎるから不思議だ。いまだにそうだ。
情報は金になる。これはずっと以前から。日本の原始的とも云える情報提供会社でも、信用調査という名目で銀行などから依頼を受けて、融資先の会社の会計状況も含めて、かなりな細目に渡る情報を金で売っている。個人情報などという割には、金さえ払えば大抵の個人情報が得られる。それも合法的に、である。とりわけ日本においては、秘密保持という概念があいまいであるのに、個人情報開示に対して無思想で盲目的なヒステリー状態下にあるような気がしてならない。
ある良心的なサイトに僕の主催するカウンセリングルームの登録をしていて、サイトの運営者は実に面倒見がよい。登録だけさせて放置するところばかりと言っても過言ではないのに、このサイトは特別な存在である。そこからのお知らせは、フェイスブックへの登録の件。登録の仕方まで指導してくれるという。そうしようか、とも思ったが、国家規模の情報搾取の、この時代。フェイスブックなどは、彼らにとって格好のターゲットだろうなあ、と思うと空恐ろしく、またアホらしくなり、ことわりの電話を入れたところである。
こんな時代に日本の情報のあり方はどうなっているのだろう?かつての東西冷戦時代、日本はスパイ天国と言われたくらいだから、実態は、本来の機密保持などという概念とは程遠いのではなかろうか。それなのに世の中、個人情報保持という言葉が独り歩きしているあり様。どうなっているんだろうか、この日本という国は。
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文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃