○ひがみ根性はイカン!失うものが多すぎるからね。
ふとした瞬間に、遠すぎて霞みかけた記憶が、いま、ここで起こっている物事以上に鮮明に蘇る瞬間がある。最近、そんな一瞬、一瞬の、唐突な記憶の蘇生がしばしば起こる。悦ばしいものよりも、苦い思い出の方が圧倒的に多い。歳のせいかも知れぬ。
ずいぶんと前の出来事だなあ。僕が英語教師になって、たぶん2,3年が経った頃のこと。一通のハガキが舞い込んだ。結婚披露宴への招待状。高校時代の友人から、何人もいたはずの友人の中から、僕だけが高校時代の友人代表ということで、スピーチの依頼まで丁寧な言葉で書き送ってきたわけである。東京芸大の音楽科で、打楽器専攻。そこに至るまでは、少し変遷がある。もともとカラヤン崇拝者だったから、当然当初の希望は指揮科。点数が足りず、金管楽器に。練習を重ねるうちに唇のアレルギーが出る。それで、打楽器科へ、とこうなる。結婚のお相手は、同じ東京芸大でバイオリンを専攻している女史。結婚後には、ふたりでオーストリアに音楽留学なんだと書いていたか。
ハガキの欠席の欄に○印をつけて、さっさと投函してしまった。理由は単純なひがみ根性故だ。オレがしがない英語教師で、あいつは夫婦して世界に羽ばたこうとしている。すでに人生の行く末の分かれ目がはっきりと見えた気がしたからだ。気立てのいい、それは育ちの良さ故なのだが、自分がひがみの対象になっているなんて絶対に気づきもしない純朴な青年だったのに。あのときの自分がいかに屈折していて、社会に埋もれることに抵抗しながら、それでもいったい何をなせば、自分自身のこの鬱屈をなだめることが出来るのか、皆目見当もつかない状態だった。しかし、それでも目をつむってでも、あの男の披露宴には出席し、ひがんでひきつった笑みであっても何とかスピーチしておけばよかった、とつくづく思うね。
コンドウくんとは、高校一年のときの同級生で、同じクラスだった。なぜか気が合って(気があうことに理由があるとも思えないが)、ちょくちょく彼の家に招待された。大抵は泊りがけのそれで、神戸の山の手のデカイ家だったから、かなり気が引けた。大きな土地で、平屋建て家屋なんだから、そりゃあ、相当の金持ちだわね。教師になってから、無理をして、建て売りに限りなく近い方式で家を建てはしたけれど、必要な広さを確保するには、どうしても二階建てだ。平屋建ての家なんて、そもそもそんな広い土地が買えるはずもないから、後になるほど彼と自分の当時の生活様式の格段の差異が分かったくらい。そりゃあ、そうだろう。当時の僕は借金取りに追われる父親の代わりに怖いオニイサンたちにペコペコ頭を下げていたんだから、貧富の差そのものやな。まあ、友だちだし、気が合っていても、その頃からひがんどったね。人の、いや、僕の感性の貧しさは、度し難いと思う。つくづくと、そう思う。
ゴツイ応接間に、これまた特注の音響システム(当時は音楽はようわからんかったけど、ええ音や、ということは僕にだってわかったから)をしつらったステレオで、カラヤン指揮の交響曲を聴かされる。コンドウくんに悪気はない。カラヤンはこれだけすばらしいのだから、僕にも分かるだろう、と信じて疑わなかったフシがある。いまは好んで聴くクラシックとの出会いは、コンドウくんが仕込んでくれたお陰だから、当時の気持ちとは裏腹に、彼には感謝するばかりだ。
カラヤンを聴かされている間中、体中が強張って、肩が凝った。ところが、2時間くらい我慢すると、コンドウくんは、どこでどう彼の感性が繋がっているのかはわからないのだが、当時の大人気アイドルの、天地真理のLPレコードを全部持っていて、これを聴かせてくれるのである。これはよかった。実によかった。僕の生活の次元と同じところにコンドウクンが降りて来てくれる瞬間だったから。
何度目かの訪問の際の、天地真理のLPレコードを聴いているときに、コンドウくんは、普通科の高校は一年で辞めると告白したわけである。オレはカラヤンみたいな音楽家になる、と言い放つ。一片のユラギもない。そこで僕はつくづくと思ったね。人生に対する前向きな挑戦を宣言し、それに立ち向かえるには、オレみたいな、親父の借金取りの相手をしているような男には無理やな、とまたまたヒガンでみる始末。情けない。
宣言どおり、高校一年でコンドウくんは、学校を辞めて、東京の音楽大学付属の高校受験に邁進する。毎週、神戸から東京まで楽器のレッスンに行く生活。音楽は金がかかる!これが、その後も何度もコンドウくんの家でうまい飯をご馳走になり、ふんわりとしたベットで眠る度に心をよぎる思いだった。私学の音楽大付属高校に落ちて、一浪して、入学し、卒業後、東京芸術大学を受験するも二度失敗して、それでも彼は三度目の正直で、東芸大に入る。凄まじい精神力だと思いながら、やっぱり支えてくれる親がいるのといないのとでは、初めから勝負あり、や、と彼の健闘を讃えながらもやはりヒガミが出る。ここまでくるとアホとしか形容のしようがないね。そして、コンドウくんの結婚披露宴への欠席と繋がる。彼の気持ちを裏切り、彼との縁もそこで切れた。さもしい根性では、さもしい人生しか送れぬ。この歳にて、やっと気づいたことだ。どこまでも気づきが遅くて困る。取り返しのつかないところでやっと人並み、だ。人間の本性の中でもヒガミは、最悪のファクターだと思う。確実に大切なものを失う。なにより、自分が腐るのが一番いけないね。これからは気をつけて生き抜くことにしますよ。
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
ふとした瞬間に、遠すぎて霞みかけた記憶が、いま、ここで起こっている物事以上に鮮明に蘇る瞬間がある。最近、そんな一瞬、一瞬の、唐突な記憶の蘇生がしばしば起こる。悦ばしいものよりも、苦い思い出の方が圧倒的に多い。歳のせいかも知れぬ。
ずいぶんと前の出来事だなあ。僕が英語教師になって、たぶん2,3年が経った頃のこと。一通のハガキが舞い込んだ。結婚披露宴への招待状。高校時代の友人から、何人もいたはずの友人の中から、僕だけが高校時代の友人代表ということで、スピーチの依頼まで丁寧な言葉で書き送ってきたわけである。東京芸大の音楽科で、打楽器専攻。そこに至るまでは、少し変遷がある。もともとカラヤン崇拝者だったから、当然当初の希望は指揮科。点数が足りず、金管楽器に。練習を重ねるうちに唇のアレルギーが出る。それで、打楽器科へ、とこうなる。結婚のお相手は、同じ東京芸大でバイオリンを専攻している女史。結婚後には、ふたりでオーストリアに音楽留学なんだと書いていたか。
ハガキの欠席の欄に○印をつけて、さっさと投函してしまった。理由は単純なひがみ根性故だ。オレがしがない英語教師で、あいつは夫婦して世界に羽ばたこうとしている。すでに人生の行く末の分かれ目がはっきりと見えた気がしたからだ。気立てのいい、それは育ちの良さ故なのだが、自分がひがみの対象になっているなんて絶対に気づきもしない純朴な青年だったのに。あのときの自分がいかに屈折していて、社会に埋もれることに抵抗しながら、それでもいったい何をなせば、自分自身のこの鬱屈をなだめることが出来るのか、皆目見当もつかない状態だった。しかし、それでも目をつむってでも、あの男の披露宴には出席し、ひがんでひきつった笑みであっても何とかスピーチしておけばよかった、とつくづく思うね。
コンドウくんとは、高校一年のときの同級生で、同じクラスだった。なぜか気が合って(気があうことに理由があるとも思えないが)、ちょくちょく彼の家に招待された。大抵は泊りがけのそれで、神戸の山の手のデカイ家だったから、かなり気が引けた。大きな土地で、平屋建て家屋なんだから、そりゃあ、相当の金持ちだわね。教師になってから、無理をして、建て売りに限りなく近い方式で家を建てはしたけれど、必要な広さを確保するには、どうしても二階建てだ。平屋建ての家なんて、そもそもそんな広い土地が買えるはずもないから、後になるほど彼と自分の当時の生活様式の格段の差異が分かったくらい。そりゃあ、そうだろう。当時の僕は借金取りに追われる父親の代わりに怖いオニイサンたちにペコペコ頭を下げていたんだから、貧富の差そのものやな。まあ、友だちだし、気が合っていても、その頃からひがんどったね。人の、いや、僕の感性の貧しさは、度し難いと思う。つくづくと、そう思う。
ゴツイ応接間に、これまた特注の音響システム(当時は音楽はようわからんかったけど、ええ音や、ということは僕にだってわかったから)をしつらったステレオで、カラヤン指揮の交響曲を聴かされる。コンドウくんに悪気はない。カラヤンはこれだけすばらしいのだから、僕にも分かるだろう、と信じて疑わなかったフシがある。いまは好んで聴くクラシックとの出会いは、コンドウくんが仕込んでくれたお陰だから、当時の気持ちとは裏腹に、彼には感謝するばかりだ。
カラヤンを聴かされている間中、体中が強張って、肩が凝った。ところが、2時間くらい我慢すると、コンドウくんは、どこでどう彼の感性が繋がっているのかはわからないのだが、当時の大人気アイドルの、天地真理のLPレコードを全部持っていて、これを聴かせてくれるのである。これはよかった。実によかった。僕の生活の次元と同じところにコンドウクンが降りて来てくれる瞬間だったから。
何度目かの訪問の際の、天地真理のLPレコードを聴いているときに、コンドウくんは、普通科の高校は一年で辞めると告白したわけである。オレはカラヤンみたいな音楽家になる、と言い放つ。一片のユラギもない。そこで僕はつくづくと思ったね。人生に対する前向きな挑戦を宣言し、それに立ち向かえるには、オレみたいな、親父の借金取りの相手をしているような男には無理やな、とまたまたヒガンでみる始末。情けない。
宣言どおり、高校一年でコンドウくんは、学校を辞めて、東京の音楽大学付属の高校受験に邁進する。毎週、神戸から東京まで楽器のレッスンに行く生活。音楽は金がかかる!これが、その後も何度もコンドウくんの家でうまい飯をご馳走になり、ふんわりとしたベットで眠る度に心をよぎる思いだった。私学の音楽大付属高校に落ちて、一浪して、入学し、卒業後、東京芸術大学を受験するも二度失敗して、それでも彼は三度目の正直で、東芸大に入る。凄まじい精神力だと思いながら、やっぱり支えてくれる親がいるのといないのとでは、初めから勝負あり、や、と彼の健闘を讃えながらもやはりヒガミが出る。ここまでくるとアホとしか形容のしようがないね。そして、コンドウくんの結婚披露宴への欠席と繋がる。彼の気持ちを裏切り、彼との縁もそこで切れた。さもしい根性では、さもしい人生しか送れぬ。この歳にて、やっと気づいたことだ。どこまでも気づきが遅くて困る。取り返しのつかないところでやっと人並み、だ。人間の本性の中でもヒガミは、最悪のファクターだと思う。確実に大切なものを失う。なにより、自分が腐るのが一番いけないね。これからは気をつけて生き抜くことにしますよ。
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃