○人生の岐路-僕の場合
老いも若きも、そして、この僕にも、人生の岐路に突き当たるときは何度もある。これまでも、いま現在も、そしてこれからも。思い起こせば、生の岐路に立ち至ったとき、僕は、その時々の直感力で進むべき道を選びとってきたはずだ。しかし、どうも僕の思考のありように想いを巡らせると、直感と経験知とが相矛盾するもののように感じとられているようで、それゆえに失敗も多い。人生まっしぐらだとか、直球勝負の人間だとかと屁理屈をつけていたが、失策の多くは、やはり思想のありかたにその原因が潜んでいたように、今さらながら思い至るのである。
一般に閃きという瞬時が人には誰にも訪れる。この閃きという概念を直感と言い換えても差し支えない、と思う。さて、閃きだが、その時々の人生舞台における経験知の積み上げが閃きという概念に内包されていないはずがないのである。だからこそ、人間の諸活動における閃きが、文化・文明という大きな枠組みのかたちにすら影響を及ぼすことが可能なのである。人の才能の現れ方はさまざまだが、キリスト教文化における才能は、talentよりもgiftという語彙が、より才能という定義としては意味が深い。なぜなら、giftとは、神から与えられた天賦の才のことだからである。人間とはどこまでいっても不平等なもので、才能を与えられた人間にこそ、その閃きには、大いなる影響力があり得るし、実際に不特定多数の人間の生を変革させもする。
才能が神から与えられた天賦のものであるにせよ、それが原型のままで通用するはずもない。そこには、与えられた才能を間断なく磨き続けようとする強い意思と、そこから生み出される確かな経験知が原型の才能をより次元の高いものにする。したがって、閃きにも次元の違いがあるのは必然なのである。当然のことだが、直感力が、それ自体の概念のまま、屹立しているはずもなく、やはり才能の積み上げと同様に、経験知の蓄積が、直感力の次元を高める。
というような、考えてみれば、至極常識的であるはずの概念から、僕は敢えて重要なファクターを剥ぎとった原型を、鋭角的な直感だと錯誤していたのである。これほど無意味で無価値な行動の指標があり得ようか?人生を踏み誤ってきたことにも合点がいく、というものである。
僕は自分に言い聞かせる。前を向け!人生という時間を浪費するな!直感に従え!しかし、直感とは、経験知との複合体である。それを世間知などと云って軽蔑することなかれ!と。遅きに失する認識だろうが、致し方なし。これが自分の力量と限界性だ。心して、残りの人生を生き抜くこととしよう。
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
老いも若きも、そして、この僕にも、人生の岐路に突き当たるときは何度もある。これまでも、いま現在も、そしてこれからも。思い起こせば、生の岐路に立ち至ったとき、僕は、その時々の直感力で進むべき道を選びとってきたはずだ。しかし、どうも僕の思考のありように想いを巡らせると、直感と経験知とが相矛盾するもののように感じとられているようで、それゆえに失敗も多い。人生まっしぐらだとか、直球勝負の人間だとかと屁理屈をつけていたが、失策の多くは、やはり思想のありかたにその原因が潜んでいたように、今さらながら思い至るのである。
一般に閃きという瞬時が人には誰にも訪れる。この閃きという概念を直感と言い換えても差し支えない、と思う。さて、閃きだが、その時々の人生舞台における経験知の積み上げが閃きという概念に内包されていないはずがないのである。だからこそ、人間の諸活動における閃きが、文化・文明という大きな枠組みのかたちにすら影響を及ぼすことが可能なのである。人の才能の現れ方はさまざまだが、キリスト教文化における才能は、talentよりもgiftという語彙が、より才能という定義としては意味が深い。なぜなら、giftとは、神から与えられた天賦の才のことだからである。人間とはどこまでいっても不平等なもので、才能を与えられた人間にこそ、その閃きには、大いなる影響力があり得るし、実際に不特定多数の人間の生を変革させもする。
才能が神から与えられた天賦のものであるにせよ、それが原型のままで通用するはずもない。そこには、与えられた才能を間断なく磨き続けようとする強い意思と、そこから生み出される確かな経験知が原型の才能をより次元の高いものにする。したがって、閃きにも次元の違いがあるのは必然なのである。当然のことだが、直感力が、それ自体の概念のまま、屹立しているはずもなく、やはり才能の積み上げと同様に、経験知の蓄積が、直感力の次元を高める。
というような、考えてみれば、至極常識的であるはずの概念から、僕は敢えて重要なファクターを剥ぎとった原型を、鋭角的な直感だと錯誤していたのである。これほど無意味で無価値な行動の指標があり得ようか?人生を踏み誤ってきたことにも合点がいく、というものである。
僕は自分に言い聞かせる。前を向け!人生という時間を浪費するな!直感に従え!しかし、直感とは、経験知との複合体である。それを世間知などと云って軽蔑することなかれ!と。遅きに失する認識だろうが、致し方なし。これが自分の力量と限界性だ。心して、残りの人生を生き抜くこととしよう。
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃