日々のできごと。生物準備室より

理科教育、生物教育に関して考えたことをぼちぼち更新。たまに授業実践報告をします。

発する言葉とココロの変化

2017-12-26 14:38:56 | 最近読んだ本
君の膵臓をたべたい (双葉文庫)
クリエーター情報なし
双葉社

 

人体の胴体模型を作成中に話題になったこの本。
勤務校の図書館で予約して2週間、ようやく読みました。

リンクを貼るついでに、アマゾンでの書評を読みましたが、
あぁ、そういう読み方もできるのね〜、という感じで、
そもそも、書評ってあまり読んでいない自分に気づかされました。


主人公と膵臓を病む少女との会話を追っていくと、
主人公が発する言葉は、
その表面上だけでないことが描写されています。
少女の発する言葉の内側は、後半でまとめて出てきますが、
その過程で憶測することができます。

たまたま、授業に関するインタビュー&逐語録まとめの途中だったせいか、
一つ一つの言葉にどんな意味が隠れているのか、
勝手に想像できた分、
読み終えたら満足感がありました。

会話中に発する言葉は、表面だけでしかない。
でも、助詞一つ違うだけで、
内側にあるココロの変化が伝わってくる。

本を読んだ感想、というより、
インタビューを終えた感想かも知れないな、これ。

ま、いいかぁ。




 

 


教育の哲学×教師の哲学

2017-11-03 07:45:01 | 最近読んだ本
問い続ける教師―教育の哲学×教師の哲学
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学事出版


どう読むか、だなぁ、というのがいちばん最初に浮かんだ感想です。
「ノウハウ本」として読むと、
言っていることは分かるけど、状況が違うからなぁ、で終わる気がします。


帯には「実践知X哲学知の融合」とあります。
カリスマ的な小学校教師である多賀さんを
教育哲学者である苫野さんが解いていく流れです。


教育哲学とは、
「そもそも教育とは何か?」
「どうあれば『よい』と言えるのか?」という問いに、
共通了解可能な”答え”をとことん見出すこと、とのこと。


苫野さんは別の書籍で、
教育は、すべての子どもが、「自由」に、つまり「生きたいように生きる」ための”力”を育むためにある、
と記しています。

また、
自分自身が「自由」に生きるためにも、他者の「自由」を認め、尊重できる、つまり、「自由の相互承認」の感度を育むことが、教育の役割である、
と記しています。

 

苫野さんの本をふむふむ、ほーっと読んでいても、
自分に落とし込むことには遠すぎてイメージが難しいところが、やはりあります。
その点、多賀さんの実践を通してイメージされやすくなった感じがしました。

他人の実践を疑似体験?妄想体験?

明日の授業に即、役立たなくても、
何かどこかに深みを持つことができるのかも知れません。
でもそれは、ノウハウ本のような即効性はなく、コスパは悪いでしょう。 

 

結局、タイトルにすべて集約されている感じです。
「問い続ける」ことの大切さ。
でも、問いを持つことは難しいのです。
続けることはもっと難しいのです。


自分自身を学習者と思えるか思えないか、
分かれ道だなぁ。

 


対立構造は終わりに近づいています、塾と学校の関係。

2017-10-21 08:59:28 | 最近読んだ本

みかづき

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集英社

 

戦後まもなくから現在までの「塾」を巡る人々のフィクションです。
フィクションと言っても戦後の教育史はそのまま描かれており(多分)、
教員だった祖父や叔父たちの話、自分が児童・生徒だった頃や職に就いてからの経験と自然とリンクし、復習するような感覚が何となくありました。

舞台となる塾の所在が千葉県の第2学区あたり。
私立学校に勤務していた頃に塾周りに関わっていた地域でした。
塾は児童・生徒に学校を紹介してもらうための大切なお客様。
「粗品」を持参して営業に回るのですが、
個人塾の経営の厳しさは、訪問先でも、集計した資料からも感じていました。

また、公立中学校に勤務先を変更した後は、
定期テストや進学先を巡って、担任と塾が静かに対立している状況にも遭遇しました。
対立に意味がないことは明らかです。
ただ単に互いに批判していても建設的ではありません。

自治体によって差があると思いますが、
この本に書かれている状況より、連携はかなり進んでいると思います。



「今回のことでわかった。子どもっていうのは、顧客であって、顧客じゃない。だって、入退会を決めるのも、お金を払っているのも、彼らじゃなくて保護者だから。塾に通ってくる子どもたち自身は、いつも、どこまでも無力なんだよね。その点で他のビジネスとは絶対的にちがうって気づいたら、もう、今みたいな商売のやり方を続けていくのが怖くなっちゃって(p328)」


私自身は、塾に関わった経験はありません。
でも、私立学校で葛藤していたことに重なり、当時のことを思い出した部分です。
極端に表現すれば、子ども中心でも、教員中心でもなく、保護者中心。
教員である自分たちの生活が掛っているから仕方ない、
そんな思い込みで組織に対する理念を疑いもしませんでした。


塾との関係も、
お客様から、対立業者?、そして現在はwin-winに、
どんどん変化しているのかな、と思い、このタイトルで書き始めましたが、
ただ単に、自分の所属が変わったから感じたことなのか?
何が言いたいのかよく分からないまま投稿ボタンぽち。 

 

 




 

 


授乳にロマンを感じる時。

2017-04-08 17:26:07 | 最近読んだ本

とうの昔に授乳は終えましたが、

この本を読んでいたらもっと授乳時間を肯定的に、誇りを持って過ごせたかもしれません。

「おっぱい」色々な角度から、ホモサピに至るまでの道筋をたどります。

愛情、とか絆とか、強調されないおっぱいの本です。

進化の単元でネタにできそう

 

おっぱいの進化史 (生物ミステリー)

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技術評論社

学びの相似構造

2017-04-08 17:20:51 | 最近読んだ本

ワールド・カフェを基盤としているラウンドスタディを通した教師の学びが勧められています。

子どもの学びと教師の学びは相似構造、だよなぁと納得するところも数多くあるけれど、全体として物足りない感が残りました。


やはり小中学校の事例だから感じたことだと思います。

既存の校内研修の文化の上に増築されている感じだから?そもそも研修を望むならば外に出て学ぶ機会を得ることの方が多い高等学校には馴染みやすいものではないから?

好きで読んで、勝手なコメントかも知れませんが、ワールドカフェについてもっと知りたくなりました

[Round Study]教師の学びをアクティブにする授業研究─授業力を磨く! アクティブ・ラーニング研修法
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東洋館出版社

フィードバックもいろいろ。

2017-03-28 21:04:57 | 最近読んだ本

 

フィードバック入門 耳の痛いことを伝えて部下と職場を立て直す技術 (PHPビジネス新書)
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PHP研究所

部下が自分を変えようとしないならば、いわば「外科的手術しか方法はありません。それは、配置転換、降格、組織からの退出ということになります。フィールバックは、配置転換、降格、退出などの血生臭い人事施策とセットで考えるのが「鉄則」です。(p156・157)


 仮に学校内部に当てはめたとして、違和感がある部分は、この部分です。

 部下=フィードバックの相手が、児童・生徒であると想定した場合、
児童・生徒の育成そのものが学校組織のミッション(のはず)なので、鉄則にはならないと思うからです。セットで考えるべき組織は、ミッション達成のために、人材育成が不可欠だという位置付けなのでしょうか。仮定に無理がありました。

 部下=フィードバックの相手が、公立学校の教職員を想定した場合、
フィードバックを行う「上司」にどこまで権限がどのようにあるのか、ルールは見えても実際を私自身が知らないからです。



 安易に「外科的手術」に走らないことを重要だとは述べられていますが、スッキリせず読み終えました。
「外科的手術」でない治癒方法を模索する必要性を感じます。
また、教職員間で「外科的手術」に頼る風土があれば、
自ずと児童・生徒との関わりに適応する、影響するのではないかという懸念があります。

うーん、やっぱりスッキリしない 

 

 


形成的な評価のために

2017-03-09 18:32:17 | 最近読んだ本

名著復刻 形成的な評価のために

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明治図書出版


1986年に刊行された書籍の復刻版。
復刻版だけあって、時代を考えながら読む必要がありましたが、
現在にも通じることはたくさんありました。 

 

<気になったところだけメモ>

 

P17 2 形成的評価の理念と思考
 L8 「まとめの評価、行き止まりの評価ではなく、そこからまた何かが始まっていくような評価、指導や学習の当面する課題や方向性等を指し示すような評価が、ここでは志向されている。別の言葉で言うならば、教師の側で持っているねがいやねらいの実現を目指す活動の中で、子どもがほんとうに変わっていきつつあるかどうかを見てとり、それを手がかりにして、ねがいやねらいがよりいっそううまく実現していくための手だてを講じていく、というのが形成的評価である。
 そうすると、先に述べた「評価という視点から教育を見直す」ということは、そのまま形成的評価の理念である。」

 

P19 行き過ぎた評価事例

  

P21 実践的な評価研究の手順とポイント

成長保障のためには、揺さぶりや子どもからの追求といった要素が、また、学力保障のためにはまとめと共有化、ドリルと定着化、等々の要素が、指導計画の中に組み込まれていなくてはならないだろう。

 

P27 表2 開・示・悟・入と指導方法・活動例

「『示』だけの教育にならないためのバランス作りのポイント」

「(3)先行学習でのつまずきや、先行学習で形成された整った構え、見方等を的確に診断し、それが当面の学習の障害にならなぬよう十分な手立てを講じているか。」

「(9)やればやったことだけのことがある、と子どもが効力感を持つよう、課題の出し方、言葉かけの仕方、小テスト内容や回数、等々に工夫を凝らしているか。」

 

P31 授業に期待されるもの

(1)「わかる・できる・おぼえるといった基礎学力を身につけさせる面(学力保障)と、体験する・育つ・形成する、といった個人的で人間的な成長の基礎づくりをする面(成長保障)のいずれをも十分に満足するような授業

(2)「計画な見通しと構造性」

(3)「児童・生徒を認知的情意的にゆさぶり、また豊かな体験性を多様な形で包括した授業である。」

(4)「『つもり』の指導、『はず』の指導に終わることなく、それぞれの目標に応じて授業の家庭での達成状況をモニターし」「それに応じて補充指導したり、次の段階での指導のあり方を変えたりする」

(5)「目標や計画を土台にし尊重しながらも、時にはそれを大きく乗り越えて展開する、といった跳躍的な授業である。あらかじめ定められていあるところをそのままなぞっていく、といった無味乾燥な指導や学習ではなく、児童・生徒にとっても教師にとっても授業の中で発見や創造があるような授業、十分な準備の上に立って臨機応変の、そして自由闊達な展開を測る、といった授業」

 

 

P38~ 新しい評価観への転換

・目標の明確化(目標分析:ねがい・ねらい)

・到達度評価(到達度の測定・評価:モニター・チェック)

・形成的評価(評価の形成的機能:次の手立て・今後の指導)

 

P46~ 学ぶ側の論理への「呼びかけ」

「一人ひとりの子どもが自分なりのねがいとねらいを持つようになる」「教える側がそのねがいやねらいをそのまま押しつけたり、教え込んだりしていくということではない。」「教える側と学ぶ側の基本的な違いとそれぞれの独自性を大前提にしながら、それぞれの目標意識を基本的な方向性としては一致させていく。

 

 

P70~ 評価は科学的合理的であればよいか

「評価というと、客観性を持ち、厳密であって、科学的合理的なものである、あるいはそうあらねばならない、と考えられがちである。」

「しかし、こういった科学性合理性が自己目的化したとき、評価を巡っての悲喜劇が生じる」

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<客観テスト法の進歩によってもたらされること>

「学力とは断片的な知識の集積である。という浅薄な学力観がはびこったことである。」「何ごとにもただの一つの正しい(あるいは望ましい)答えが存在する、という汎正解主義的教育風土を強化していかざるをえない」

 

 

P74~ 評価観を一新するための課題

(1)目標設定の問題

・達成目標(ex.知識・理解)

・向上目標(ex.論理的思考力・創造性)

・体験目標(ex.発見)

 

P76~

(2)指導と評価との関係

(3)目標と指導計画と実践の関係

(4)評価の方法と時期の多様化

 

P84~ 形成的評価の基本的な考え方

ブルームの「形成的評価」>>>マスタリー・ラーニングのためのもの

達成目標タイプのみ。単元末に実施される補充・深化指導の内容を指示する形成的テスト

 

P96~評価的な活動と効力感

「必ずしも得点化されない評価、記録として残るわけではない評価、成績づけに繋がっていくわけでない評価、そういった『柔らかい』評価こそが必要なのである。『柔らかい』評価によって学習する側と、教育する側の双方に、頑張っているかどうか、成果を挙げつつあるかどうか、を日常的にフィードバックしていくということこそが必要なのである。この意味において、記録やデータとしての評価からは、どうしても脱却しなくてはならないのである。」

 

P100~ 記録やデータから形成的な評価へ

「管理的で第三者的な評価感が支配的」

「結局、指導計画そのものが、体系的にきっちりと作成されなければならない。

「評価がそれのみで考えられるのではなく、どこでどのような評価をし、それをどう生かすか、が指導の流れの中に適切に位置付けられていなくてはならないのである。」

 

P121~到達度テストとその生かし方

 

P154 自由記述式の解答:観点例

(1)見方や考え方、論理の独自性

(2)記述の一貫性、論理性

(3)記述の説得力と実証性

(4)明確な課題意識と将来に向けての追求の発展性

 

 


やり抜く力 GRIT

2016-12-25 17:26:46 | 最近読んだ本

 

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける
クリエーター情報なし
ダイヤモンド社

 

<読み終わって頭に残ったこと>

遺伝子検査で「才能遺伝子」を調べるか否か(授業配布資料として使えそう)・・・生命倫理の視点を除いても、調べる意味は?
 

内側からグリットを伸ばす

 ①興味

 ②練習

 ③同じ目的につながる目標を生かす・・・究極の目標は変わらない。ビジョンを思い浮かべることができるか。

手応えがないと「学習性無力感」にはまってしまう・・・親として、教員として関われること、推奨されること。マインドセットの重要性。(授業における褒め方、フィードバックの仕方)

外側からグリットを伸ばす・・・課題活動の重要性、周りの人々の支えの重要性。


「やり抜く力」をはかるグリット・スケールが記載されていて、自分の力を測ることができます
子育て研究では「賢明な育て方」診断テストも 

 


自分や自分の組織が持つ「前提認識」に気づくために

2016-11-02 18:06:47 | 最近読んだ本

先日、「『力のある学校』の探求」を読んだ時に感じた「懐かしさ」はどこからきたのか?

もう一度思い返してみると、一番懐かしく感じた部分は、
「荒れ」を経験した学校の組織文化 について書かれた部分。

私自身は局所的な「荒れ」と、
「荒れ」から立ち直りつつある学校で勤務した経験があります。
その学校の持つ「組織文化」に懐かしさを感じたみたいです。 

以前、高校勤務の経験しかない教員に、
「荒れ」を経験した中学校の指導体制について、
真っ向から否定されたことがありました。
文化の違いを伝えようとしましたが、
そもそも、そんな学校の文化なんてないと、
文化そのものを否定されました。
その時、言葉で表現できなかったことを、
この本が支えてくれたような気がしました。


 
組織文化とリーダーシップクリエーター情報なし白桃書房


P3
ー文化は、「現在、そこに存在する」ダイナミックな現象であると同時に、さまざまな方法でわれわれに影響を及ぼす、堅固な基礎的構造であるとも言える。
ー文化は、われわれとほかの人たちとの接触によってつねに再構成され、新たに生みだされ、またわれわれ自身の行動によって形作られている。

P7
ー文化から引き起こされる社会や組織内の状況から生みだされるフォース(力)は極めて強力だ。
文化に伴うフォースを理解することによって、われわれ自身のことをより深く理解できるようになる。

 

われわれが、ほかの人たちの行動や価値観の形成に影響を及ぼしているときには、
それを「リーダーシップ」と認識し、
新しい文化の形成のための条件を生み出しているとすると、
リーダーが成功を収めるためには、文化の理解こそ不可欠なものとなる。

文化の理解については、

P438
ー私自身、文化に対してわれわれの感受性をさらに高めるにはどうしたら良いかという質問をたびたび受ける。私の即答は「もっと旅をしてください」というものだ。われわれ自身により多様な文化における様々な経験を付与することを通じて、われわれは文化の多様性を学び、文化に対する謙虚な態度を育むことができる。学習するリーダーは、自分の組織の外でたくさんの時間を費やし、できるだけ数多くの他の文化へ旅することを心がけるべきなのだ。

 また、リーダーシップを実際に発揮するために、

P452
ー自分自身と自分の組織に関して高いレベルの客観性を保つことが求められる。このような客観性を育むためには、自分のキャリアのなかで多様な環境の中で経験を積むことが求められる。そのような環境で彼らは違った文化と比較、対比することが可能となる。将来のリーダーを開発するに当たっては、数多くの組織が海外経験を重視している理由が理解できる。

 


文化を理解するために必要な感受性は、
海外経験までしなくても、
文化の違いを比較・対比するチャンスはあり、高められると思います。


教育制度の違いについて書かれた書籍を、ま、オランダの制度だからねぇ、
IBだから可能だよね、
と最初から別物として読もうともしない、とか、

学校訪問や見学をする時に、〇〇の違いが大きいから参考にならない、
と割り切ってしまうとか、

こんな小さな拒絶も、自分の持つ前提認識が安定したものであればあるほど、
無意識に修正されるものではないようです。




意図的に旅に立たなければ。