日々のできごと。生物準備室より

理科教育、生物教育に関して考えたことをぼちぼち更新。たまに授業実践報告をします。

まずは授業者から。ー自己調整学習ー

2018-07-22 09:37:04 | 最近読んだ本

学生を自己調整学習者に育てる:アクティブラー二ングのその先へ

北大路書房

 

私自身のレセプターが反応した部分だけをピックアップしました。
もし、3ヶ月後、半年後、1年後に読み直したらまた読み方も変わってくるはず。
その時にゼロから読まずに済むように読書記録を残します。

 

早速。

自己調整学習者とは?

 p1 L1〜  「自ら新しい知識を獲得、保持、検索できる、意図的、自律的、自己主導(self-directed)的な学習者を意味する。そうした学習者だけが、職業生活のなか拡大する知識とスキルに習熟し続け、仕事がなくなってしまったあとも新しい職業に適応できる。新しい職業に適応する必要性は社会で実際に生じている。」

 「一度身につけたら安泰の知識とスキル」なんてないんだよね、
を導入から確認。

何か大きな壁を我慢して苦労して乗り越えれば、
学ばずとも極楽な世界が待っている訳ではないのです。
刻々と変化する社会の中で、
生き生きと過ごし続けたいと思ったら、
自己調整学習に焦点を当てることは不可欠なのでしょう。

それでは、その自己調整学習の効果はというと、

 

p13.L161〜 「自己調整学習によって以下が高められることについて多くの証拠が蓄積されてきた。

1.授業や授業の単元における学生のパフォーマンス/達成度

2.学生の思考の量および深さ

3.自分の学習に対する意識的な集中

4.内省的で責任感をともなう専門意識(professionalism)」

といった抽象的な、、、、ふわっとした感じです。
この書籍以外で重要性を感じ、
でも、個別の事例に落とし込んできる訳ではなく、
見よう見まねの導入によって、

様々な問題?様々なつまずきが多数、起こっていました。

 

p13 L23〜 「自己調整学習において主要な役割を果たす1つの心理的な過程である自己評価と学習との関係を見てみよう。不正確な自己評価は自己調整の低さと関連するということは理解できる。しかし、不正確な自己評価はパフォーマンスの低さとも関連するのである。(略)学生に自分自身の成績基準を作らせるという解決法は効果がないということがわかっている。その方法では、解答の質を区別することや、彼らが予測した成績と教員やたの学生がつけた成績の一致度を高めることができなかった。唯一希望の光があるとすれば、成績が低い学生の自己評価は歪んでいるものの、その自己評価に対する自信は、より自己評価が正確な、成績が高い生徒に比べ低い、という結果が得られていることだろう。」

 

実際に自己評価を授業に導入した時感じたハードルとして、

・  評価=総括的評価のみ、と認識している同僚とのギャップ。

・  評価内容と基準が使用されず、同一の評価(全てA、全て普通など)の自己評価がなされる。

があります。後者はやはり、「成績が低い」とされる生徒に多いのではないか、という実感はありました。
本人のやる気の問題?と片付けてしまえば、それまでなのですが。



p14 L18 自己調整と自己効力感は互いを強めあうというバンデューラの知見を思い出そう。結果として、うまくいっている学習者は統制の所在を内的に位置づけ、学習の成否を自らの学習習慣や努力に帰属することができる。

 

やっぱりここで出てきたか、バンデューラ。

どんな場合に自己評価が機能しないのか?
ついつい、欲が出てしまい、これぐらいできるのではないか?という過剰な期待と、
足場かけもなしに課す課題。
これは自分自身の手抜きの傾向?粘り強さ不足?

期待と手抜きで、
学習者の自己効力感を奪っていく感じなのかも?

 

ヴィゴちゃんとバンデューラ。
意識して意識しようとしないと流れていくね、やっぱり。

 

 

P35. 第3章 読む、見る、聞くことの自己調整
L10 「生涯学習のより多くの部分が読むという行為に依存するため、読解力、効率性、持続性や記憶保持力を強化するために、学生たちを支援することが必要である。

P36 L5(動画や音声による反転授業について)「しかしながら、プラニングやモニタリング、学習の評価なしに、人は何でも見たり聞いたりすることができてしまう。そのため、いくつかの制約のなかで、読むことを高める自己調整学習の課題と同様のものを、聞いたり見たりする宿題に対しても適用すべきである。」

 

自分で読んで知識やスキルを得るよりも、
要点がまとまっているものを教えてもらって習得した方が、早い&楽。
自分で読む、見る、聞く、という力がなくても、
動画や音声によるコンテンツが充実していくだろう世界でこれから生きていく。
だから、自分で求めていかなくても良いのか。
時間はかかる&楽じゃない、は、当然、授業受け悪いし、、、。

それでも自分から求めることに価値があると考えるのならば、
覚悟して臨む活動なのでしょう。

制約は付き物なのです。

 

p81 第6章 試験と小テストによる自己調整学習

L1 小テスト(quizzes)や試験(exams)は、学生にとって学習経験となるようにすべきであり、それらは効果的に行うことができる。しかし、小テストや試験を単なる総括的評価として見なしている限りは、それは実現しないだろう。

 

このタイミングで読んで、一番ハッとさせられた章かも知れません。
定期考査なんて無くなってしまえば良い、

何となく、そんな気持ちでいたので。

もちろん、業務が面倒だからではなく、

テストに出るから勉強するという動機付けに嫌悪感があっただけです。

黙っていても実施の日程が組まれる定期考査を
前向きに活用しない手はないな、と思うようになりました。

 

 

その他、ほほぉと思ったところ。

 

p59 ミニッツ・ペーパー に書く具体的な内容例
いや〜、例示は必要だよね。

 


p66  真正で「曖昧な」問題
  問題解決の記録・・・問題解決でとった手順を詳細に記述すること。
  質の高い事例とPBL


2回目はもう少しじっくり読む。

 

 

p83.L29〜学生には、内的状態を表す動詞は使わないように助言しよう。例えば、「知る」「理解する」の代わりとして、「識別する」「同定する」「再生する」「説明する」「適応する」「解決する」「分析する」「比較や対比する」「関係付ける」「論じる」「評価する」「創造する」のような能動的な動詞を使うようにする。

 

p95 思考の手本を見せる

・・・だね。

 

P97 学習日記に書く内容例

いや〜、例示は必要だよね(その2)。

 

P147 負担になる?  

量をこなす負担感、授業で教えるべき内容の圧迫

>>授業の内容に焦点を当てている、だからノープロブレム。
そーなんです、でもね、そーもいかないのですよ。の部分。


P107 学生が先延ばしを克服できるように助ける

「ダイエットは明日から。」昔のCM
「明日やろうはバカヤロウ」院生室の入り口に貼られていた文言

を思い出しました。自分自身に重ねることが多い内容でした。

 


p150 始めること

L7 ここで、学生の自己調整学習を生み出す最良のプランを阻害し得る、あるいは、その可能性のあるコースの構成要素に関する問題の例をいくつか示そう。

L22 要するに、自己調整学習を思い切って取り入れようと考えている授業者は、自分がどのように教え、授業を行っているのか、学生の取り組みをどのように評価し、保証しているのかをしっかりと自覚しておく必要がある。

 

結局、TP必要だよね、にたどり着きました。