科学者の時間を導入するようになって、
改めて考えさせられたのは『学び合い』の位置づけです。
『学び合い』は、私にとって運命的?な関わりがあります。
興味を持ったきっかけは、
当時の勤務校が新幹線が止まる駅に近いという理由で、
『学び合い』の研修会の会場校を3回引き受けたこと。
今、考えると、贅沢な環境だったと思います。
ミニレクチャーは、
10年ぶりに天体分野を担当したこともあり、
特に熱い思いがある分野でもないので、
教科書の流れには抗うことなく進めました。
「学びを活かして考えよう」の部分を、
一つ一つ丁寧に解説することを求める空気が伝わってきましたが、
考え方の解答を暗記させてもなぁ、、、、。
そんなことを考えながら、
自分にとっては慣れ親しんだ『』を導入しました。
学習者は、
自分1人で取り組むことも、
他者(授業者含む)に質問することも可能な空間で、着地点を目指そうとしました。
担当した学年で推奨されている活動はペアワーク。
推奨に従って、管理統制されたアクティビティにすることを避けたい、
という思いもあったからです。
でも、結局、短時間での着地点を設定して、
幅の狭いレールに乗せていることには変わりない?
いやいやいやいや、、、
個の尊重とレールの幅に差があるでしょ、やっぱり。
そう思ったものの、
廊下から怪訝そうに覗かれたり、
グループ活動の制限を徹底するような通知文書が会議で出されたりすると、
怖気ます、当然。
『』導入だけで、
こんなに葛藤するとは思いませんでした。
慣れ親しむって実はとても危険。