MKママと親爺の『四季つれづれ』

古希を迎た田舎おやじがMKママ(家内)と孫とワンコで綴る気まぐれ日記。

津の海~散歩道

2016-06-16 16:28:34 | 日記
久しぶりの更新です。忙しい日々が続き、いただいたコメントのお返しも出来ず大変失礼しておりました。今日は、田舎親爺の友人、都会親爺のレポートをお届けします。

田舎親爺の友人、都会親爺が津の海、ヨットハーバー辺りを散歩していると言う。
田舎親爺には、懐かしい所、高校時代から15年もお世話になった町、善きにつけ、悪きにつけ、思い出が詰まった町。

都会親爺は昔から津の海の近く柳山で育った生粋の地元民。
その、都会親爺も転勤族で、まだ津に戻ってそう長くない。その都会親爺の散歩道は、津、阿漕浦海岸通り、ヨットハーバー、おしゃれなレストランも建ち並ぶ。田舎親爺も時間があると、よく海を見に行った阿漕海岸通り。懐かしく、都会親爺に頼んでレポートしてもらった。遠浅で綺麗な津の海のレポ、是非ご覧ください。


この近くに、中部国際空港セントレアへの近道、空港アクセス港、津なぎさまちがあります。

右下、阿漕塚。阿漕平治で有名です。

左上、おしゃれな洋菓子屋さん『T2』、右上『高虎ドッグ』


阿漕塚の由来



阿漕平治、地元伝説。孝行平治の話を伝える阿漕塚、孝行平治の話は、今も受け継がれています。
少し長いお話ですが、よろしければお付き合い下さい。


むかし、阿漕(あこぎ)の浜に漁師の平治(へいじ)がおかやんとすんどった。
 ある時、おかやんが病気になってな、
「平治、すまんなぁ、じっきにようなるでな」
と、言うたんやけど、おかやんは、ようなるどころか日に日にやせていくばっかやった。
 平治は、心配でどうしようもなく、うろうろ歩いとると、浜におったおじやんが、
「平治よ。おまえんとこのおかやんの病気には、やがらが一番、やがらしかないのう。せやけど、やがらは阿漕浦(あこぎうら)やないとおらんでなあ」
と教えてくれたんや。やがらっちゅうのは、細い体で矢が飛んでくみたいに泳ぐ魚でな、阿漕浦におって、他んとこにはめったにおらんのや。
 ところが阿漕浦は、お伊勢さんにささげる魚を獲(と)る海でな、漁師が勝手に入れん海や。このおきてを破ったら、むしろでのり巻(ま)きみたいに巻かれて、生きたまんま海へしずめられることになっとる。
「阿漕のやがらか…」
 どうしたもんかと思いなやみながら、うちに帰ると、おかやんが部屋のすみにうずくまり、
「はぁ、はぁ、はぁ」
って荒(あら)い息で苦しんどった。
「おかやん、おかやん」
 平治はおろおろするばっかり。どうすることもできんかった。

 その晩、平治は心を決めてこっそり舟(ふね)を出した。入ってはならん阿漕浦に入って網(あみ)を打ったんや。一回、二回……暗い海から鈍(にぶ)う光るやがらがあがってきた。平治はふるえる手でやがらをつかむと、うちにもって帰った。
 次の朝、
「おかやん、かげんはどうや朝ごはんやでえ」
 おかやんはやがらをうまそうに食べた。やがらのおかげか、体もようなっていくみたいやった。平治はそれがうれして、やがらがのうなると、また阿漕浦に舟出したんや。 そんな夜のことや。何べん網を打ってもやがらがかかってこん。
「こんどこそ」
と網を打ったとき、なんやら波の向こうに灯りが見える。闇をすかしてよう見ると、役人の舟が浜から出てくるやないか。
 平治はなんもかも捨てて、舟をこいで、こいで、暗闇の海をにげかえった。
   
  夜が明けると、役人が平治をつかまえに来た。手には平治の菅笠(すげがさ)を持っとった。あん時、あわててにげたもんで笠落としてしもたんや。
 平治は、おきてどおりにむしろに巻かれて阿漕浦に沈(しず)められた。おかやんもじっきに死んでしもた。 
それからさ、何日もせんうちにな、真夜中から
  ザザーッ、ザザーッ、
と網打つ音がずーっと聞こえとった。
「昨日の晩、阿漕浦から人の泣(な)き声聞こえてきてなあ、もう、うちねれへんだわ」
なんちゅう話が広がってな、そこらの人は
「網打っとるの、平治やろ。まんだやがらをさがしとんのやろ。気のどくになあ」
「平治のおかやんが泣いとんのとちゃうやろか」
と言いおうた。そのうち泣き声やら網の音やらを聞いた者(もん)が病気になってな、みんなえらい困(こま)ったわ。
 ところでな、阿漕の上宮寺(じょうぐうじ)に、平治が何かと頼りにしていた西信津師(さいしんりっし)っちゅう坊(ぼう)さんがおらんした。この坊さんの夢に平治があらわれて、
「おれ、おかやんのためにきまり破っておかやんより先に死んでしもた。親より先に死ぬなんて一番の親不孝や。その罪であの世にも行かれん。どうぞ、坊さんのお力で成仏させてくだされ。お礼に家(うち)の仏さん、今は柳山の知り合いの家にあるんやけどお寺へ納(おさ)めますで」
 不思議に思った坊さんが柳山にあるその家へ行ってみると、ちゃあんと夢に出てきた仏さんがあったんや。坊さんは、平治の沈められた浜の石を拾(ひら)って、お経(きょう)の一文字ずつを写して海へおさめると、網打つ音も泣き声もやんで、病気の人もようならんしたと。
 みんなは、平治のために塚(つか)作ってな、平治の話を語り伝えたんや。
 そいでな今でも平治盆(へいじぼん)いうて、八月の十六日にさ、上宮寺の坊さんがお参りしてな、盆踊り(ぼんおどり)もあるんやに。
 

出典:三重県

やがら

出典:ウィキペディア
コメント (8)
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