かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 410

2025-02-27 09:17:00 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究49(2017年5月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【睫はうごく】P164~
      参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
           レポーター:泉 真帆               司会と記録:鹿取未放 
 

410 みずからのひかりのなかにわく涙きみのそとへそとへあふれだす

             (レポート)
 「きみのそとへそとへ」が作者らしい表現だとおもう。前の歌(赤崩(く)えにまひるのひびく光さし山の顫(ふる)えはひそかになさる)を受け、山肌がすこしずつ崩れるように、君の内側から君の涙は外へあふれる。愛しい君の涙は「ひかりのなかにわく涙」と輝いてみえ、作者をもその光と一体になっているようだ。(真帆)


            (当日発言)
★上の句がいいと思いました。光りも涙も切り離せないものなのですね。(慧子)
★このきみはいとしい人なんでしょうかね。(A・Y)
★そうですね、「そとへそとへ」あたりを考えるともう少し抽象的な読みもできるように思うのですが。また、この歌、涙以外すべてひらかなですね。そのひらかなが涙の一粒ひとつぶのようで面白く読みました。(鹿取)
★冷静に考えると主語はひかりなのかなという気がしてきました。ひかりみずからがひかりがひかりを生むように。(真帆)
★みずからは誰ですか? (T・S)
★ひかりです。(慧子)
★408番歌に「地球から遠ざかりゆく月の面君のおでこのようにかがやく」とあって相聞とも読めますから、恋人みずからが内面にたたえているひかりが持ちこたえられないようにいっぱいになる、思いの純真さが涙となってあふれ出すというように読んでもいいのではないでしょうか。また、この一連光りがテーマですから抽象的に読んでもいいと思います。そういう二重性を持たせているのかもしれませんね。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 409

2025-02-26 15:00:27 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究49(2017年5月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【睫はうごく】P164~
       参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:泉 真帆               司会と記録:鹿取未放 
 

409 赤崩(く)えにまひるのひびく光さし山の顫(ふる)えはひそかになさる 

              (レポート)
 南アルプスの大きな崩壊斜面、赤崩(あかくずれ)をみつつ作者はいま山のこころになっている。遠目には聳える山であるが、白昼をくずれつづける震動がある。偉容を誇る山の内がわに秘かに震えるこころがあるように感じる。(真帆)


              (当日発言)
★「まひるのひびく光さし」のところ、どこにどうかかっていると読まれましたか?(鹿取)
★ここのところは随分入れ替えがしてあるのかなと思ったところです。「まひるの」は野原の野かとも思ったのです。後の方に光りが射す歌が次々と出てくるので、この歌も時間が今真昼であって、その光りが射していて、そんなふうに漠然と取りました。(真帆)
★「光さし」は「ひそかになさる」に掛かるのでしょうかね。「まひるの光」の形容として、その光りはひびくようだというのでしょうか。(鹿取)
★書いてあるとおりに読むとひびくような光線だったということですよね。(真帆)
★そうですね、光りって波動ですけど、それが音を出しているようだと。山は崩れ続けていて、ふるえているような感じなんですね。そのふるえが投影して山に射す光りまでがひびくように感じられているのではないでしょうか。僅かずつ崩れ続けている山に対する痛ましさでしょうか。(鹿取)
★「なさる」というのは尊敬ですか?(A・Y)
★いや、尊敬ではないです。「なす」+「る」で、「る」は自発じゃないですか。自然にそんなふうに進行しているって。(鹿取)

 

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 408

2025-02-25 09:25:03 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究49(2017年5月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【睫はうごく】P164~
      参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:泉 真帆               司会と記録:鹿取未放 
 

408 地球から遠ざかりゆく月の面君のおでこのようにかがやく 
    
       (レポート)
 この歌集もいよいよ巻末にきた。そこで今一度、あとがきの冒頭にある作者の「こころ」に思いをよせて鑑賞してみたい。               
 「言葉はそれだけで自律した世界にあるが、同時に言葉を生みだしているのはこころである。言葉がなければこころはないのかもしれないが、こころがなければ言葉なはい。そして私はすこしだけこころの方に重点をおいている。そういう素朴な位置に立っているのだ。」(『寒気氾濫』あとがきp.168より引用)
 額にみえるのだから上弦の月だろうか。宵に現れた月も日没頃には空の真上にのぼり深夜には見えなくなる。地球から遠ざかってゆく月を寂びしみながらも、作者は愛しいひとを思い浮かべたのだろう。「君のおでこのようにかががやく」とユーモアたっぷりに言いながら輝いているのは君に恋する作者の心なのだろう。月の引力にひっぱられて海が膨らむように、なんだか君のおでこも膨らみをおびて輝いているようだ。「君のおでこ」が抜群に効いている一首だ。     (真帆)
 

         (当日発言)
★君のおでこに例えているのが近づいてくる月ではなく遠ざかっていく月であるところがいいなあと思いました。    (慧子)

★そうですね、近づいてくるのだとあまりにモロですが、遠ざかっていく月に微妙なニュアンスが出ていますよね。また遠ざかるのが「山の端」等で無く地球であるところが甘さを抑えて即物的にしているし、おでこのおかしみも小さいところに落とさない効果があると思います。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠  134 ネパール②

2025-02-24 14:40:02 | 短歌の鑑賞

   2025年度版 馬場あき子の外国詠16(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)83頁~
    参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H  司会とまとめ:鹿取 未放

                    
         ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
     近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
          (この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


134 暮れ残るニルギリ山頂一点のひかりとなりてわれあるがごと

           (まとめ)
 暮れてゆくニルギリを眺めている。だんだんと光がその山肌から消えてゆき、今や山頂に一点のひかりとなって残っているだけだ。もう、まるで自分が一点の光となって暮れ残る山頂にいるようだ。それほどに、暮れてゆく山を見つめつづけているのである。(鹿取)


135 眠りゐしをとめ醒むると声をのむほのかなりニルギリの初(う)ひのくれなゐ

              (レポート)
 夜のとばりに包まれていたニルギリが、仄かな朝日に照らされて、目を覚ますと(光が当たってくると)、全く息を呑む美しさである。その紅の色は。(T・H)


           (まとめ)
 山のいちばん高いところ、針のような一点に紅色が射す。そして徐々にその紅色が広がり山を覆っていく。初めて朝の陽光が射した瞬間の紅色の美しさ、それを眠っていた処女が目覚めたととらえた。(鹿取)

 

 

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馬場あき子の外国詠 133 ネパール②

2025-02-23 11:34:38 | 短歌の鑑賞

   2025年度版 馬場あき子の外国詠16(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)83頁~
    参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H  司会とまとめ:鹿取 未放

                    
         ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
     近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
          (この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


133 東より陽のけはひありまほに見るニルギリに向けば卑しきかわれ

         (レポート)
 東から太陽が昇ってくるようだ。真っ正面からニルギリに向き合えば、ますます自分の小ささが思われ、謙虚に頭が下がる。(T・H)


        (まとめ)
 明け方、東の方角から陽が昇ってくる気配がある。ニルギリの背後がほのかに明るみを増していく様子だろう。「まほに」は、「真秀」あるいは「真面」か。「源氏物語」には「正面から充分に見極める」意味で使われている。明け方のニルギリと真正面から向き合っていると、と言うのだからもちろん位置関係のみではなく、心の傾け方を言っている。原初のままの姿に向き合っているといかにも自分は卑小な存在に思えるという。結句の「か」は疑問ではなく、詠嘆だろう。(鹿取)

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