かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 132 ネパール②

2025-02-22 09:47:34 | 短歌の鑑賞

   2025年度版 馬場あき子の外国詠16(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)83頁~
    参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H  司会とまとめ:鹿取 未放

                    
         ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
     近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
          (この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


132 いつしかに弓月が嶽に雲わたる声調を思へりき雲湧くヒマラヤ

              (まとめ)
 柿本人麻呂の「雲を詠む」と題した万葉集の歌「あしひきの山川の瀬の響るなへに弓月が嶽に雲立ちわたる」がある。力強い声調をもつダイナミックな歌で、島木赤彦が誉めたことから有名になったという。この歌、雲湧くヒマラヤを眺めていると、いつのまにか人麻呂の「弓月が嶽に雲わたる声調を」思いだしたことだというふうに繋がる。雄渾なヒマラヤの景色を前にした心のたかぶりが伝わってくる。ちなみに人麻呂の歌は「山川の流れる音が高まるにつれて、弓月が嶽に雲が湧きのぼってくることよ。」の意。「あしひきの」は「山」に掛かる枕詞。「なへに」は、上代の助詞で「~するに従って」「~するにつれて」の意。(鹿取)  

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馬場あき子の外国詠 131 ネパール②

2025-02-21 10:25:22 | 短歌の鑑賞

   2025年度版 馬場あき子の外国詠16(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)83頁~
    参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H  司会とまとめ:鹿取 未放

                    
         ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
     近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
          (この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)

 

131 処女峰の全容をもて迫りたるニルギリを見きただ二日のみ

            (レポート)
 四千万年前、インド亜大陸を乗せたプレートが、ユーラシア大陸に向けて進むにつれ、両者を隔てていた海は狭まった。海底の地殻はユーラシアプレートの下に沈み込み、マントルの一部になった。山頂付近から発掘される海洋性の化石により、鉛直方向に動いたスケールを知ることができる。そのヒマラヤ山脈の一つである処女峰のニルギリに、今、馬場先生は対峙しておられる。何万年前の出来事と対峙し、人間の存在を考えるに、たったの二日ではあまりにも短かすぎる。永遠にニルギリと対峙していたい、馬場先生のお気持ちである。(T・H)


          (当日意見)
★ヒマラヤの造山活動の時期については、前の歌でも言ったように諸説あるようですが、レポーターが書かれている「何万年前の出来事と対峙し」という所は、私は違う意見です。130番歌(真夜さめ て七千メートルの処女峰の月光を浴ぶむざねと対す)にあった「むざね」をここでは「全容」と言っていますが、「むざね」は精神を全面的に抱え込んだ山の肉体そのもののような印象がありましたが、「全容」は姿の方に重心があるような言葉ですね。対峙しているのはあくまでも目の前にあるニルギ リの山そのもので、山が向こうから自分に迫ってきたように感じた。けれども、ニルギリに向き合えたのはたったの2日間に過ぎなかった。(鹿取)

 

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馬場あき子の外国詠  130 ネパール②

2025-02-20 12:06:03 | 短歌の鑑賞

   2025年度版 馬場あき子の外国詠16(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)83頁~
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、
           T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H  司会とまとめ:鹿取 未放

                    
         ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
     近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
            (この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)

  

       左側がやや高いようなので7061メートルの北峰だろうか?  

 

130 真夜さめて七千メートルの処女峰の月光を浴ぶむざねと対す

          (レポート)
 今、馬場先生はムスタンの宿にご就寝中、フト夜中に目が覚められた。窓からは眼前に白雪を被った高い峰が月光を浴びて煌々と輝いているのが目に入った。ニルギリは北峰(7061メートル)と南峰(6839メートル)とがある。そのどちらを眺めているかわからないが、これら両峰はいずれも地元住民の反対があって、いまだ未踏峰である。「むざね」と対す……馬場先生は今、何万年前か、インド大陸がユーラシア大陸にぶつかってヒマラヤができた、その生まれたままの姿のニルギリと対峙しておられる。自分の全存在を賭けて対峙しておられる。そこでは人間の小ささ、有限な人間の命など、もろもろの感慨があったことだろう。ここには悠久の地球の歴史と人間の儚い命との対峙がある。(T・H)


           (当日意見)
★インド大陸がユーラシア大陸にぶつかったのは7000万年くらい前だと読んだ記憶があります。最もヒマラヤが今の高さに落ち着いたのは2000万年前~数万年前と諸説があるみたいです。 (鹿取)


            (まとめ)
 真夜中に目が覚めると月の光に照らし出されたニルギリが見えた。まるで、月の光に呼ばれたような印象を受ける。処女峰であるニルギリが月光を浴ぶるという表現はちらりと乙女の入浴シーンを垣間見せて清潔なエロスを感じさせもするが、比重は煌々と照る満月の光を受けてかがやく神々しさの方にあるのだろう。一人月光に照り輝く処女峰を眺めていると、おそらく自分にだけ山が真実の姿を開示してくれたと思えたのでは無かろうか。〈われ〉は、震撼しながら山の「むざね」とむきあっているのである。ちなみに、「むざね」は広辞苑に、「身実」の意で、まさしくその身、正身、正体とある。(鹿取)    

 

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 407

2025-02-19 19:33:15 | 短歌の鑑賞

 2025年度版 渡辺松男研究48(2017年4月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)
     【睫はうごく】P160~
       参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:渡部 慧子     司会と記録:鹿取 未放          

 

407 コスモスのきいろき花粉風にとび突然にくる君の発熱

              (レポート)
 上句は実景でありながら下句のための序の働きをしていよう。しかし「突然にくる君の発熱」とは何だろう。若さによくみられる熱にうかされたような精神状態や物言いをさしているのだろうか。(慧子)


              (当日発言)
★私は本当に熱が出たと読んでいます。発熱が比喩だとするとあまり新鮮じゃないというか 通俗的ですよね。せっかく雪渓や銀河やきらきらした美しい空気感が出ていたのに「熱にうかされたような精神状態」だと美しい空気が濁る気がします。コスモスって普通は花の色のピンクを表に出しますが、花粉の黄色をだしたところが、面白い味わいですね。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 406

2025-02-17 15:44:46 | 短歌の鑑賞

 2025年度版 渡辺松男研究48(2017年4月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)
     【睫はうごく】P160~
       参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:渡部 慧子     司会と記録:鹿取 未放          


406 秋晴れのつづく天気図君と見て嘴つつきあうごとき快

              (レポート)
 「嘴つつきあうごとき快」がなんとも若々しい。口づけを戯れのように繰り返しているのかもしれない。秋晴れのつづく天気図をみながら気分は鳥。(慧子)


              (当日発言)
★「嘴つつきあうごとき快」の表現が面白いですね。なんかじゃれ合っているというか。(T・S)
★そうですね、前の歌(音楽に満つる銀河と君はいうここにコーヒーカップがふたつ)よりも小さいところに入ってきていて、「いいかげんにせい!」という気もするけど。天気図を見ながら次の休日はあの山に登ろうか、とか言っているんでしょうね。でも壮大な歌ばかり続いてもダメだから、ここに小さなものを入れるのもテクニック、連作の妙かもしれませんね。(鹿取)

 

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