現在、宝満山裾にある竈門神社境内で発掘されている
平安時代の大型礎石建物の実測図です。
南北7間(23.5m)×東西5間(18.0m)の規模を図ります。
この図は観世音寺講堂の図です。
中心に江戸時代に再建された講堂が乗ってますが、
外側は奈良時代の礎石列で東西7間(30.008m)
×南北4間(15.365m)の規模を図ります。
この数値から、現状では桁行き方向の長辺は
宝満大堂とも呼ぶべき下宮礎石建物のほうが
やや短いようですが、梁行き方向の短辺は
宝満のものの方が1間分長いようです。
宝満のものは4間の身舎の西側に礼堂的な
やや柱幅のある空間が1間分ついたような
そんな印象のある礎石建物です。
これは江戸時代寛永19年(1642)に再建された
比叡山延暦寺の根本中堂です。信長焼き打ち以前の
古式にのっとって再建されたといわれています。
内庭を巡る回廊を除けば4間の身舎と2間の礼堂の
二つの空間から構成されています。
身舎内は土間貼りで礼堂は板張りの床になっています。
宝満下宮礎石群は構造的や規模から
古代にあった竈門山寺や大山寺、内山寺
などの名称をもつ寺院の中心的な建物と考えられ、
1960年代の発掘調査では11世紀後半の遺物が入る
層の上に構築されたものとされており、
この時代の根本中堂的な機能を持った
重要な建物でないかと想像されます。