宝満山下宮礎石の建物2 2009-02-26 | Weblog 地覆の床であったことはわかりましたが、 残念ながら水平にならされた筈の 土間の地面は残っていないようです。 礎石は普通その頭が見えている程度で 床から出ているものですが、 調査では礎石が高さの半分が見える深さまで 江戸時代の遺物が入った灰色の層で覆われていて 建物が廃絶した後に床が削られてしたったようです。 しかし、その下には黄色の山から削り出してきた土が 建物の内部に敷かれていた様子が上の写真のように見られます。 これが基壇と呼ばれる建物基礎の整地にあたる部分と思われます。