宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

宝満山の発掘調査史1

2009-02-15 | Weblog
ついでなので宝満山での遺跡の調査の流れについておさらいです。

宝満山の遺跡としての調査は昭和35(1960)年に太宰府天満宮が母体となって実施した宝満山綜合文化調査において、小田富士雄氏を中心とした遺跡調査部門のメンバーによる山頂上宮周辺、東院谷地区での法城窟、下宮地区での礎石群のトレンチ調査が嚆矢となった。
 その成果は昭和57(1982)年に太宰府天満宮の関連団体である太宰府顕彰会から『宝満山の地宝』として刊行された。
 その後、昭和50年代前半から太宰府天満宮文化研究所が主体となって継続的におこなった山中の遺物分布の悉皆調査があり、成果は昭和58(1983)年に調査主体者であった小西信二氏が監修し太宰府顕彰会が『宝満山及び竈門神社周辺の遺跡分布調査報告書』として公開した。
 この中に山頂の古代祭祀の舞台となった上宮周辺と最澄発願の六所宝塔の推定地である本谷礎石群、下宮礎石群の1/50の詳細図が収容されている。
 これら調査成果のエッセンスは太宰府市刊行の『太宰府市史考古資料編』で再構成され、未公開であった小西氏回収の辛野遺跡の古代の祭祀遺物などが図入りで公表されている。

※久山町の中世山岳寺院首羅山(白山)遺跡について
TNCテレビ西日本さんが18時台のニュースで続編を流されるそうです。
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