宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

宝満山の寺社史3 中世

2009-02-14 | Weblog
 中世の宝満山内における大宰府側の遺跡の様相は、山裾に広がる旧北谷村、内山村、それに挟まれた南谷、本谷地区において谷および尾根を雛壇状に造成して形成された大小の平坦面で12世紀頃を起源とし、13世紀後半から14世紀をピークとする整地、掘立柱建物、柵、石垣、石段、スロープ、庭園などが有機的につながりながら展開する様相が明らかとなっている。
 内山地区の宝満山遺跡第12次調査では護摩炉と考えられる木札(乳木か)を焼成した石組みが検出され(『遺跡だより22』1993太宰府市教育委員会)、南谷地区の4次調査では白鳳期に位置づけられる小金銅仏が出土している(『宝満山遺跡群』1989太宰府市教育委員会)。記録ではこの周辺から独鈷が出土したとされ、これら雛壇状の造成面上に形成された生活空間が前述の寺院にかかわる坊跡と推定される。近世地誌には「有智山、南谷、北谷、三所の僧舎すへて三百七十坊有しとかや」(『筑前国続風土記』貝原益軒著 江戸元禄年間編纂)と記載される。

宝満12次の石組み炉(護摩炉?)

参考;HP太宰府市文化ふれあい館 遺跡だより22号
http://dazaifu.mma.co.jp/fureai/iseki_dayori/22/