現在調査中の宝満山下宮礎石群と呼ばれるこの建物
いったいどんな建物なのでしょうか?
少し整理をしておきましょう。
上の図は左側が北を向いていて
竈門神社の駐車場から階段を登った
そのままの方向に図が置かれてます。
建物の復元は礎石の配列から色々な説が出されますが、
この絵柄は太宰府市史考古資料編で採用された案です。
7間×5間の柱間で西側の1間が庇部分に想定され、
本体の部分(身舎)は4間の幅になります。
7間×4間の構造は古代でも国家仏教段階の
やや古式な様子に感じられる柱の並びです。
礎石は重厚で「柱座」と呼ばれる
柱を据える位置に円形の台が彫り出されています。
礎石ではひとつだけ特異なものがあります。
南東角から二つ目の礎石は
岩盤の大石に直接柱を据える穴が彫り込まれています。
そうしてその穴の西側は四角い溝のようなものが切り込まれ
他とは一線を画す構造になっています。
これは建物の復元にとっては大きな情報です。
柱の大きさがはっきりすることと
溝に横木がはめ込まれたと考えられることから
これは「地覆」と呼ばれる柱を根元でつなぐ部材であり、
この建物の中が土間張りであったことが理解されるのです。