一年近くぶりに会ったお友達がいて。
彼女は私より10歳くらい若いのだけれど。
会わない間に、ある男性と出会いお付き合いして、
つい最近お別れをしたというお話があって。
なぜ別れに至ったかというと、彼からの愛情表現がなく、とても寂しかったということでした。
彼も彼女のことを好きだったのは、きっと間違いなくて、
でもその思いを彼女がキャッチできるようにしてあげられなかったのだろうな、と。
「相手にどのように愛情表現してほしいか」とか、その度合いは、
多分人それぞれ「好み」」があるかと思うのです。
とにかく「ベタベタラブラブ」が好きな人もいるだろうし、
逆にそういうのは苦手で、普通がいい(どんなんだ?)という人もいるでしょう。
彼女の話を聞きながら、自分のことを振り返っていました。
・・・とここで、「自分はかつては愛情表現マックスの男性が好きだった。でも、今は・・・」と書こうと思ったら、
「あれ?そうか?そうなのか?」と疑問が湧き、「ち、違う!!!」という「まさかの真実」発覚。
違う。私は、「愛情表現マックスしてほしい」ではなく・・・
今も、昔も、愛情表現マックス「させてほしい」のだ!!!
なんと!!!最初から、そもそもの視点が違うではないか。
っていうか、真逆ではないか。
私は「まず、私が」好きじゃないとイヤなのだ。
口説き落とされたいんじゃない、私自身が自発的でありたいのだ。
まず愛されたい、じゃなくて、まず愛したいんだ。
そして、私が「相手に求める愛情表現」とは(が、あるとしたら)、
「私の愛情表現マックスを受け止めてくれる」ことだ。
それを抱きしめてくれることだ。
腕を広げていてくれることだ。
私は、その人の「大宇宙」で泳いでいたいのだ。
その人の中の、無数の星々を一つずつ発見して、愛したいのだ。
自分が書くと予想していた内容が、全く反対のものであったということに、
今衝撃を受けつつ、すんごい腑に落ちている。
「愛情表現の仕方」はともかくとして、
私は、男女に限らず、愛の関係の中で、
「愛情をなんらかの形で伝える・伝えていく」ということは大切だと思う。
別に「I love you」という「言葉」をどっぷり浴びせる必要はない。
そのやり方がささやかで、わかりにくくても、
「あなたが好きですよ」という思いを「伝えようとしている」ということが
相手に「伝わったとき」に、相手はとても幸せな気持ちになるのだと思う。
でも、ポイントは「伝わらないと意味がない」ということだ。
伝わってなかったら、相手はあなたの思いをキャッチしていないということだ。
別に「そういうの苦手なら、コミュニケーション術を学べ」ということではない。
その人が好きで、大切なら、知恵を絞って、伝える。
苦手でも「勇気」を出してみる。その価値はある。
なぜなら、その「勇気」は絶対成功するからだ。
たとえそれがどんなに不器用な方法でも。
そして、もう一つ言えることは、
たとえそれがとても小さなことでも、
相手の愛情表現を見逃さないことだ。
「してくれない」ことを寂しく思う前に、「してくれてる」ことを愛しく思う。
「伝える側」と「受け取る側」は、相手を大切に思う、ということでは同じだ。
私のそのお友達のお話に出てくる元彼のことは私は知らない。
彼が彼女に愛情を伝えてあげられなかった理由も知らない
。単なる「相性」ということもある。
「魂のレッスン」という視点から言えば、彼らは終了したのかもしれない。
彼らの間で何かがまだ「残る」のなら、終わらない。
高い視点から見たのなら、愛情表現がどうだなんてのはきっと
「レッスン」の中の「チャプター」のひとつくらいだろう。
たくさんのレッスンが入った「教科書」は、
もっともっと大きなテーマに違いない。
人との関係がどこに進んでいくかなんてわからない。
けれど、大事なのは、「今、大切」なら、今、大切にすることだ。
そして、今、大切にするために、相手に伝えられることをサボタージュしてはいけないのだ。
それが、その人(たち)との未来の方向を、未来への流れを創っていくと思うのだ。
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彼女は私より10歳くらい若いのだけれど。
会わない間に、ある男性と出会いお付き合いして、
つい最近お別れをしたというお話があって。
なぜ別れに至ったかというと、彼からの愛情表現がなく、とても寂しかったということでした。
彼も彼女のことを好きだったのは、きっと間違いなくて、
でもその思いを彼女がキャッチできるようにしてあげられなかったのだろうな、と。
「相手にどのように愛情表現してほしいか」とか、その度合いは、
多分人それぞれ「好み」」があるかと思うのです。
とにかく「ベタベタラブラブ」が好きな人もいるだろうし、
逆にそういうのは苦手で、普通がいい(どんなんだ?)という人もいるでしょう。
彼女の話を聞きながら、自分のことを振り返っていました。
・・・とここで、「自分はかつては愛情表現マックスの男性が好きだった。でも、今は・・・」と書こうと思ったら、
「あれ?そうか?そうなのか?」と疑問が湧き、「ち、違う!!!」という「まさかの真実」発覚。
違う。私は、「愛情表現マックスしてほしい」ではなく・・・
今も、昔も、愛情表現マックス「させてほしい」のだ!!!
なんと!!!最初から、そもそもの視点が違うではないか。
っていうか、真逆ではないか。
私は「まず、私が」好きじゃないとイヤなのだ。
口説き落とされたいんじゃない、私自身が自発的でありたいのだ。
まず愛されたい、じゃなくて、まず愛したいんだ。
そして、私が「相手に求める愛情表現」とは(が、あるとしたら)、
「私の愛情表現マックスを受け止めてくれる」ことだ。
それを抱きしめてくれることだ。
腕を広げていてくれることだ。
私は、その人の「大宇宙」で泳いでいたいのだ。
その人の中の、無数の星々を一つずつ発見して、愛したいのだ。
自分が書くと予想していた内容が、全く反対のものであったということに、
今衝撃を受けつつ、すんごい腑に落ちている。
「愛情表現の仕方」はともかくとして、
私は、男女に限らず、愛の関係の中で、
「愛情をなんらかの形で伝える・伝えていく」ということは大切だと思う。
別に「I love you」という「言葉」をどっぷり浴びせる必要はない。
そのやり方がささやかで、わかりにくくても、
「あなたが好きですよ」という思いを「伝えようとしている」ということが
相手に「伝わったとき」に、相手はとても幸せな気持ちになるのだと思う。
でも、ポイントは「伝わらないと意味がない」ということだ。
伝わってなかったら、相手はあなたの思いをキャッチしていないということだ。
別に「そういうの苦手なら、コミュニケーション術を学べ」ということではない。
その人が好きで、大切なら、知恵を絞って、伝える。
苦手でも「勇気」を出してみる。その価値はある。
なぜなら、その「勇気」は絶対成功するからだ。
たとえそれがどんなに不器用な方法でも。
そして、もう一つ言えることは、
たとえそれがとても小さなことでも、
相手の愛情表現を見逃さないことだ。
「してくれない」ことを寂しく思う前に、「してくれてる」ことを愛しく思う。
「伝える側」と「受け取る側」は、相手を大切に思う、ということでは同じだ。
私のそのお友達のお話に出てくる元彼のことは私は知らない。
彼が彼女に愛情を伝えてあげられなかった理由も知らない
。単なる「相性」ということもある。
「魂のレッスン」という視点から言えば、彼らは終了したのかもしれない。
彼らの間で何かがまだ「残る」のなら、終わらない。
高い視点から見たのなら、愛情表現がどうだなんてのはきっと
「レッスン」の中の「チャプター」のひとつくらいだろう。
たくさんのレッスンが入った「教科書」は、
もっともっと大きなテーマに違いない。
人との関係がどこに進んでいくかなんてわからない。
けれど、大事なのは、「今、大切」なら、今、大切にすることだ。
そして、今、大切にするために、相手に伝えられることをサボタージュしてはいけないのだ。
それが、その人(たち)との未来の方向を、未来への流れを創っていくと思うのだ。
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