AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「浮気」の動機は愛なのか

2018年10月30日 | 人との関わり(愛とか)

超長編。お時間のある時にでも。。。

私の知り合い(直接の友達ではない)の男性で、
既婚者なんだけど外で女性と遊びまくっている人がいる。
「遊びまくってる」ので、「本気」ではないのだろう。
ここで「既婚者なのに!」というくだらないことは言わない。
私個人としては、「既婚者」だから外の人を好きになったり、関係を持ってはいけない、
という結婚の「法律上」の問題でもって社会が作ったペラッペラの道徳など興味ない。
と同時に、「現在のパートナー」の存在を無視していいとも思っていない。(必ず関わっているから。)

どの行動も、「本当のところは、自分は何を意図しているのか」というところだと思う。
その行動によって、自分は何を感じたいのか、何を体験したいのか、というところだと思う。
で、さらにスピると、自分の意識の更に上、もしくは深いところの、
「この行動で魂は何を体験したがっているのか。何を学びたいのか。」というところになる。
その部分は、表面的な目的、例えば、「誰かとsexして、気持ちいい夜を過ごしたい」とは全然違う。


これは道徳上の問題ではなくて、「自分との対話をどこまでできているのか」ということだと思う。
対話ができていると、魂の目的と、その行動の動機・意図が一致しているか否かが分かる。
そもそも、その動機にどんな形でもいい、「愛」はあるのか。
あんまり「愛」という言葉を連発すると陳腐になるので嫌なのだけれど、
どんな行動であれ、その行動の動機に「愛」があるかないかで、そこから生まれ出るものが大きく違う。
というより、動機に愛がなければ、新しく生まれ出るものなど「ない」。

(ここでもまた「魂」という言葉を連発すると胡散臭く聞こえるので嫌なのだけど、
他の言葉がないからしょうがない。)
その体験に「魂の喜び」があるのか。それとも、
「そっちじゃねーよ、気づけ、ボケ!」という「魂の悲痛の叫び」があるのか。
どちらにしても、どの体験に無駄などなく、「
キラキラ喜び体験」が待ってるか、
「痛いけど気づきと学び」が待っているかだ。

先に言った遊びまくってる知り合いの男性については、
本当のところは知らないけれど、私の推測になってしまうけど、
あくまでも「例え」として、私が考えるところを言う。

そもそも、なぜこんなことを書こうと思ったのかというと、
今朝、なぜか私の大好きな映画「The Moonstruck」のことを思い出したからだ。
80年代後半の作品かな。
シェールとニコラス・ケイジ主演のニューヨークのイタリア人街を舞台にした、
家族や恋愛の話で、キャストの素晴らしさもさることながら、脚本が秀逸で、
まあ「私好み」なのだ。
いろいろなエピソードが盛り込まれている作品なんだけど、
そのうちのひとつに「シェールの父親が浮気をしていて、
お母さんがそれを直感する(最終的には大丈夫なんだけどね)」で、
「なぜ男は浮気をするのか」というのを真剣に考える。
そこで、たまたま家にやって来たシェールの婚約者に、
その質問をガチで尋ねる。
最初、婚約者は適当な返事をするのだが、
お母さんは納得せず、「違う!」と言って、もう一度聞く。
すると、彼は「・・・死ぬのが怖いから?」とボソって言う。
そしてお母さんは「YES!!!!」とその通りと言わんばかりに納得する。

お母さんは夫の浮気の動機の「本当のところ」を見抜いたのだ。

「死ぬのが怖いから(死を恐れているから)、男は浮気をする」というのも、
そこにまた深淵なものがありそうだが、割愛する。

ここで例の知り合いの男性の話に戻るが、
彼の動機は突き詰めれば「死ぬのが怖いから」かもしれないけれど、
少なくとも「ただの女好き」ではないと思ってる。
(個人的には「ただの女好き」という人はいないと思ってるけどね)
酷な言い方だけれど、彼の本当の動機というのは、
「自分の男としての自信の欠如を、不特定多数の女を使って埋めたい」なのだろうな、と。
全く気づいていないか、気づいてるけど認めないのどちらかだろう。
「男としての自信」と言っても色々あるだろうけど、
相手が「女」ということは、人間としてというよりは、男として、の部分だと思ってる。

しかし、これは私自身にも、みなさんにも言えることだが、
「自分が欠けている(と思っている)部分」というのは、
決して「外側のもので埋める」ことはできない。
彼が何百人という女性と関係を持ったところで、変わらない。
一瞬のトキメキだとか、スリルという、空虚なものだけだ。
彼が「本当の動機」に気づいたり認めない限り、延々と続く。
これは「愛」が動機ではなく、「自分への愛の欠如」が動機だ。
でも、そもそも「自分が欠けている」というのは、自分が作ったイリュージョンだ。


しつこいけど「魂」は喜びを体験したい。愛を体験したい。
彼がたくさんの女性と(sexじゃなくて)makeloveをして
「至上の喜びと愛」を共に体験をしているなら、こんな投稿などお呼びではない。
「失礼しました!」ってなもんだ。
引き続き「世界平和」に貢献してください!と応援する。


でももしも「至上の喜びと愛の体験」ではなかったとしたら、
魂としては非常に不満であるはずだ。
「どげんかせんと!」と鼻息荒く落ち着かないであろう。
「気づけ、ボケ!」という痛い体験が通常、待ち構えている。
「浮気しているからバチが当たる」という低レベルの視点ではなく、
私はこれを「魂の救出活動」と呼んでいる。

だんだんと、「女」とかじゃなくて、
「そもそもお前が向き合うべきところはここだろ!」のエリアで歪みが出てくる。
家族?奥さん?仕事?両親?過去の出来事?
早めに気づいた方が、痛みが少ない。
でも、気づくまで諦めないのが宇宙である!!!
宇宙の愛とは容赦ない。

今回は映画を思い出して、彼のことを思い出して、
たまたま「浮気」にスポットを当ててしまったけれど、
自分の行動の動機・本当のところを知る、知っているということは、
自分の目の前に「選択肢」があり、100%の決定権があるということを知ることだ。
「教えてもらった」道徳やルールを超えたところで、
自分の愛の中から選択するのならば、
自分の幸せ、及び、関わる人たちの幸せに繋がるのだと思う。


「自分だけの幸せ」というのは存在しない。
自分だけの幸せを追求する時というのは、
それは「幸せ」というのと、「自分の欠如を埋める」というのを取り違えてる時だ。
そして、誰も幸せにならない。


満月のように満ちている自分・・・
だったら、私たちは何を選択するだろう?






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