昨日、私の友人がfacebookの投稿で書いていたこと。
『で、本当に美しいなぁと思う人はそこを突きぬけて、
実のある美しい言葉を使うから、「こりゃ参ったぜ」と、思う。』
という短いものだったのですが、
私は「実のある美しい言葉」だけに反応し、
「素敵ね」というコメントを書いて、
彼女からは「そういう人にはあんまり会わないけどね」という返信。
その後、コメント欄で会話を続けていくうちに分かったのは、
「それによって傷つく人がいる」ということを彼女は言いたかった。
彼女から別の投稿(上記の文章を書くに至った内容)を読んでほしいと言われ、
早速読ませてもらいました。
長い文章だったのですが、彼女は「そういう人」と出会ったのでしょう、
以下のことが私の心に残りました。
『美しい自分に酔いしれるような生き方だけはしたくない。』
『『清廉潔白』の【対義語】みたいな人でありたい。』
そうか。
彼女は皮肉として上記(一番最初に紹介した文章)のことを書いたんだ。
私はその後、色々考えさせられました。
「美しさ」とは何なのか、ということや、
「言葉」って何だろうな、とか。
彼女が皮肉として使った
「美しい人」
「実のある美しい言葉」。
どちらも「自分に酔いしれている」ということでしょう。
そこには自分しかいないから。
自分の「ファンタジーワールド」だから。
空想の世界ですから。
「空っぽ」なのです。
相手のことなんて
微塵もそこにはないのです。
いや、「本当の自分」すらもそこにはいないのです。
だから、
その人が語る「実のある美しい言葉」も
「空っぽ」なのです。
だから彼女は「こりゃ参ったぜ」と思ったのでしょうね。
では、
真の意味で美しい人、
実のある美しい言葉とは何だろう。
私が思う美しい人とは、
どんな生き方であれ、
どんな自分であれ、
それらの隅から隅まで全責任を負う人だと思います。
恥ずかしい自分、
とてもじゃないけど人には語れない自分、
ダークな自分をも「全て自分なのだ」と認め、
それでも尚且つ、自分が信じる「美しさ」を
追求する人。
そして、
その人が放つ言葉は、
「実」があるはずなのです。
「実」と「愛」がそこにある。
ポエティックな美しさがなくても、
その愛が不恰好だとしても、
「嘘がない」という美しさがある、と私は思ってる。
「嘘がない」ということは、
決して、いつも人に対して、
誠実で正直で素直で、という意味ではなく、
その時、その時、
精一杯自分です、ということなのではないか。
その人が放つ言葉が真に「実のある美しい言葉」として、
誰かの心に届くのなら、それは、
実もない、醜い、嘆き苦しんだその人がちゃんとそこにいるからではないか。
彼女の
『『清廉潔白』の【対義語】みたいな人でありたい。』
という言葉に、私はそういうものを感じました。
私の新オフィシャル・ページを
どうぞご訪問くださいませ。
プロフィール、経歴、ライブ情報、
それから私の歌も視聴できます!
https://www.ayukosaito.com
↓日々の「歌ってる動画」をInstagram(IGTVセクション)/ Twitterにアップしています
Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
↓「歌ってる動画」以外にも、日々感じたこと、考えたことをアップしています
Twitter https://twitter.com/AyukoSaito
↓私の過去のlLIVE映像などはYoutubeでアップしています
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
『で、本当に美しいなぁと思う人はそこを突きぬけて、
実のある美しい言葉を使うから、「こりゃ参ったぜ」と、思う。』
という短いものだったのですが、
私は「実のある美しい言葉」だけに反応し、
「素敵ね」というコメントを書いて、
彼女からは「そういう人にはあんまり会わないけどね」という返信。
その後、コメント欄で会話を続けていくうちに分かったのは、
「それによって傷つく人がいる」ということを彼女は言いたかった。
彼女から別の投稿(上記の文章を書くに至った内容)を読んでほしいと言われ、
早速読ませてもらいました。
長い文章だったのですが、彼女は「そういう人」と出会ったのでしょう、
以下のことが私の心に残りました。
『美しい自分に酔いしれるような生き方だけはしたくない。』
『『清廉潔白』の【対義語】みたいな人でありたい。』
そうか。
彼女は皮肉として上記(一番最初に紹介した文章)のことを書いたんだ。
私はその後、色々考えさせられました。
「美しさ」とは何なのか、ということや、
「言葉」って何だろうな、とか。
彼女が皮肉として使った
「美しい人」
「実のある美しい言葉」。
どちらも「自分に酔いしれている」ということでしょう。
そこには自分しかいないから。
自分の「ファンタジーワールド」だから。
空想の世界ですから。
「空っぽ」なのです。
相手のことなんて
微塵もそこにはないのです。
いや、「本当の自分」すらもそこにはいないのです。
だから、
その人が語る「実のある美しい言葉」も
「空っぽ」なのです。
だから彼女は「こりゃ参ったぜ」と思ったのでしょうね。
では、
真の意味で美しい人、
実のある美しい言葉とは何だろう。
私が思う美しい人とは、
どんな生き方であれ、
どんな自分であれ、
それらの隅から隅まで全責任を負う人だと思います。
恥ずかしい自分、
とてもじゃないけど人には語れない自分、
ダークな自分をも「全て自分なのだ」と認め、
それでも尚且つ、自分が信じる「美しさ」を
追求する人。
そして、
その人が放つ言葉は、
「実」があるはずなのです。
「実」と「愛」がそこにある。
ポエティックな美しさがなくても、
その愛が不恰好だとしても、
「嘘がない」という美しさがある、と私は思ってる。
「嘘がない」ということは、
決して、いつも人に対して、
誠実で正直で素直で、という意味ではなく、
その時、その時、
精一杯自分です、ということなのではないか。
その人が放つ言葉が真に「実のある美しい言葉」として、
誰かの心に届くのなら、それは、
実もない、醜い、嘆き苦しんだその人がちゃんとそこにいるからではないか。
彼女の
『『清廉潔白』の【対義語】みたいな人でありたい。』
という言葉に、私はそういうものを感じました。
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