去る11月18日、
私は我が母校(中学・高校)にて
コンサートをやらせていただきました。
私とmy buddyピアニストの二本柳くんとのデュオです。
このお話は今年の4月とか5月にいただきました。
当時の私は昨年末の「突如、全部白紙事件(事件じゃないけど、笑)」から
まだまだ「砂漠地帯」を歩いている頃で、
正直なところ、そのお話をいただいた時は、
喜びというより、「ああ、困ったなあ」という気持ちでした。
歌?何を歌えばいいの?と、
まるで他人事のような感覚と言いますか、
全くビジョンが持てなかったのです。
どうしよう、と悩みましたが、
「せっかく頂いたお話だし、半年後であれば、
きっと自分もなんとかなっているだろう。」と、
「ええい!入れてしまえ!」と半ば勢い、半分不安と共に
お引き受けしたのでした。
不思議なもので。
何かをそうやって『設定』してしまうと、
そしてもしそれが魂の望みからの選択であると、
その『設定』に向けて完璧なタイミングで
物事が動き出すのでした。
今、振り返ってみるとね。
夏にはようやく砂漠の中にオアシスを見つけることができました。
もちろん不思議な(完璧な)タイミングで導かれてです。
それは友人との会話であったり、そこからの私の選んだ行動であったり。
思えば、そのオアシスというのは
砂漠地帯から、次の新しいビジョンへの「ポータル」であり、
そこに飛び込むことによって、次の世界(次元)へとワープできるようになっていた・・・
そんな感じでした。
(宇宙系の人の表現、笑)
ワープして、次のビジョンがどんどんクリアに見えてくる。
実は初夏の(まだ砂漠にいた)時点で、
一度セットリストを作ったのです。
それは「これまで通りのいつもの感じ。いつもの選曲。」。
ですがオアシスに飛び込んだ後の私は
それは全部やめた。
これじゃない!
もうこういうんじゃない!
キャリア20年以上で初めて
1曲以外は全部オリジナルでやろうと決めました。
そもそも私は元々「曲を書く」ということに興味がなく、
まあ、「逃げて」きたわけですが、
実は30代前後の時に結構書いていた時期があったのです。
ほんの1~2曲、思い切ってLIVEでやったこともあったのですが、
「オリジナルでやっていこう」とは思えなかった。
「逃げている」という意識もなかったのですが、
結果そういうことであったのでしょう。
しかしポータルに突っ込み、新たな次元へとワープした私は、
自分がやりたい音楽を、歌いたい歌をこれから自分で作る、
という以外に道はない、ということを知り、認め、
そして、自分には曲を作ってゆく知識も技術も才能も全部揃っている、
と信じることにしたのです。
そして秋に向かう頃、ようやく私は11月のコンサートのビジョンが
見えるようになったのでした。
そこから新しい曲もできました。
自分を許せば「できんじゃん、自分」、そういう体験でした。
結果、セットリストはかつて書いた曲、最新曲のオリジナルと
カバー1曲となりました、
カバーとオリジナルの比率が逆になった!!!
(これ私の音楽史においてはミラクル。
こんなことが起きる日が来るとは思っていませんでした。)
今回の母校でのコンサートは、
母の会主催、生徒たちではなく、お母様方が観覧するためのもので、
「お母様方」と言っても、つまりは私の世代の女性たちで、
かつての同級生、先輩、後輩もわんさかいらしてくださり、
先生方もいらっしゃってくださり、
コンサート兼、一大同窓会、ですな、もはや。
頂いた時間は40分〜50分でしたので、
全6曲。アンド、AYUKOお馴染みの「トーク」。
(そして案の定、今回も喋りすぎて時間がかなりオーバーするという失態。)
モニタースピーカー(これは演者が自分の音を聞くためのスピーカーで
通常、ステージ上の各演者の前におかれます。そこからマイクやアンプなどを通した
自分の音や他の楽器の音を聞きます。今はイヤーモニターと言って
直接耳にイヤホンを差し込み、ワイヤレスでそこから音を聞く、というのが主流に
なってきているようです。因みにお客さんには大抵ステージ左右に設置された
スピーカから音が届けられます。それを業界では「外音(そとおと)と言います」)
・・・
ということで、そのモニタースピーカーがないという厳しい環境ではありましたが、
「外音」を聞いてしまうと「時差」が出たり、音が外れたりするので、
私はできるだけピアノのそばにいて、
お互いの音、声を直接聞くようにしながらやりました。
今回のオリジナル曲のいくつかは
実のところピアノ伴奏だけでは難しいものでした。
(バンドありきで作っていました)
どうしてもビート感(ドラム)が必要なものがあったり、
ピアノだけ、というのには適さない曲がありました。
それでも私はやってみたかった。
砂漠→オアシス→ワープ→新しい次元
私にとってこれはスタートの合図のようなコンサートであり
しかも母校。10代の日々を共に笑ったり泣いたりした友達や、
ずっと見守ってくださった先生方が、
今も同じ温かさで見守ってくれている。
じゃあ、思い切って、新しいことをやらせてもらおう、と。
完璧な環境でなくても、
バンドが揃っていなくても。
My buddy二本柳君のピアノなら、
一緒に「声とピアノ」バージョンとしての形が多分なんとか作れる。
そして無我夢中のままコンサートは終わり、
(やはり喋り過ぎたかと反省し、笑)
その後は、花束を頂いたり、たくさんのお友達と30年ぶりの再会をしたり、
先生方にご挨拶したりと、やんややんやの大騒ぎでございました。
そう。
今回のは何かの集大成でも到達・完了ではなく、
私にとっては「スタート」。
『ここからアタシは』(ドラマ「今日から俺は」的な)
なのでした。
ここから(今考えると気が遠くなりますが)
私の本当の集大成、到達、完了へと向かうという、
まだ玄関口に立ったところです。
それが母校であったということは、
私にとってどれだけの恵みであったことでしょう。
かつてたくさん愛された場所、
「ね?あなたは愛されたんだよ。
今も愛されているんだよ。」という場所。
宇宙はきっと、
新次元でのスタートにおいて、
私はもう一度それをしっかりと感じる必要があったから、
それを企画してくれたのではないかと思ったのです。
新しい旅には絶対に「愛」が必要です。
もしも「アタシはダメだ。」とか、
「やっぱアタシには無理だ。」となった時に、
アンパンマンが頭をかじらせてくれるみたいに、
その「愛」をいつでも思い出せるように、
愛がいっぱいあるところで、
スタートを切らせてくれた。。。
さて、今回のブログは前編・後編に分けることにしました。
後編では、私のブログに度々登場する、
今回もいらしてくださった恩師N先生の、
またもやすごいシンクロニステイックなお言葉で
「!!!」となったお話です。
タイトル「自分のスタイルを貫いてゆくということは・・・」
の意味は後編で!
我が学舎の大講堂にて。
このブログのTwitter版
短い言葉で「あ!」と思ったことを投稿しています。
↓
https://twitter.com/ayuko_saito
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。
私のオフィシャル・ページを
どうぞご訪問くださいませ。
(最近、ちょとだけリニューアルしました。
音楽もここからSoul Musicのスタイルへと絞っていきます)
プロフィール(なのでラストも少し変わりました)、経歴、ライブ情報、
それから私の歌も試聴(ミュージカル曲はもうないよ〜)できます!
https://www.ayukosaito.com
Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
Twitter https://twitter.com/AyukoSaito
↓私の過去のlLIVE映像などはYoutubeでアップしています
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
私は我が母校(中学・高校)にて
コンサートをやらせていただきました。
私とmy buddyピアニストの二本柳くんとのデュオです。
このお話は今年の4月とか5月にいただきました。
当時の私は昨年末の「突如、全部白紙事件(事件じゃないけど、笑)」から
まだまだ「砂漠地帯」を歩いている頃で、
正直なところ、そのお話をいただいた時は、
喜びというより、「ああ、困ったなあ」という気持ちでした。
歌?何を歌えばいいの?と、
まるで他人事のような感覚と言いますか、
全くビジョンが持てなかったのです。
どうしよう、と悩みましたが、
「せっかく頂いたお話だし、半年後であれば、
きっと自分もなんとかなっているだろう。」と、
「ええい!入れてしまえ!」と半ば勢い、半分不安と共に
お引き受けしたのでした。
不思議なもので。
何かをそうやって『設定』してしまうと、
そしてもしそれが魂の望みからの選択であると、
その『設定』に向けて完璧なタイミングで
物事が動き出すのでした。
今、振り返ってみるとね。
夏にはようやく砂漠の中にオアシスを見つけることができました。
もちろん不思議な(完璧な)タイミングで導かれてです。
それは友人との会話であったり、そこからの私の選んだ行動であったり。
思えば、そのオアシスというのは
砂漠地帯から、次の新しいビジョンへの「ポータル」であり、
そこに飛び込むことによって、次の世界(次元)へとワープできるようになっていた・・・
そんな感じでした。
(宇宙系の人の表現、笑)
ワープして、次のビジョンがどんどんクリアに見えてくる。
実は初夏の(まだ砂漠にいた)時点で、
一度セットリストを作ったのです。
それは「これまで通りのいつもの感じ。いつもの選曲。」。
ですがオアシスに飛び込んだ後の私は
それは全部やめた。
これじゃない!
もうこういうんじゃない!
キャリア20年以上で初めて
1曲以外は全部オリジナルでやろうと決めました。
そもそも私は元々「曲を書く」ということに興味がなく、
まあ、「逃げて」きたわけですが、
実は30代前後の時に結構書いていた時期があったのです。
ほんの1~2曲、思い切ってLIVEでやったこともあったのですが、
「オリジナルでやっていこう」とは思えなかった。
「逃げている」という意識もなかったのですが、
結果そういうことであったのでしょう。
しかしポータルに突っ込み、新たな次元へとワープした私は、
自分がやりたい音楽を、歌いたい歌をこれから自分で作る、
という以外に道はない、ということを知り、認め、
そして、自分には曲を作ってゆく知識も技術も才能も全部揃っている、
と信じることにしたのです。
そして秋に向かう頃、ようやく私は11月のコンサートのビジョンが
見えるようになったのでした。
そこから新しい曲もできました。
自分を許せば「できんじゃん、自分」、そういう体験でした。
結果、セットリストはかつて書いた曲、最新曲のオリジナルと
カバー1曲となりました、
カバーとオリジナルの比率が逆になった!!!
(これ私の音楽史においてはミラクル。
こんなことが起きる日が来るとは思っていませんでした。)
今回の母校でのコンサートは、
母の会主催、生徒たちではなく、お母様方が観覧するためのもので、
「お母様方」と言っても、つまりは私の世代の女性たちで、
かつての同級生、先輩、後輩もわんさかいらしてくださり、
先生方もいらっしゃってくださり、
コンサート兼、一大同窓会、ですな、もはや。
頂いた時間は40分〜50分でしたので、
全6曲。アンド、AYUKOお馴染みの「トーク」。
(そして案の定、今回も喋りすぎて時間がかなりオーバーするという失態。)
モニタースピーカー(これは演者が自分の音を聞くためのスピーカーで
通常、ステージ上の各演者の前におかれます。そこからマイクやアンプなどを通した
自分の音や他の楽器の音を聞きます。今はイヤーモニターと言って
直接耳にイヤホンを差し込み、ワイヤレスでそこから音を聞く、というのが主流に
なってきているようです。因みにお客さんには大抵ステージ左右に設置された
スピーカから音が届けられます。それを業界では「外音(そとおと)と言います」)
・・・
ということで、そのモニタースピーカーがないという厳しい環境ではありましたが、
「外音」を聞いてしまうと「時差」が出たり、音が外れたりするので、
私はできるだけピアノのそばにいて、
お互いの音、声を直接聞くようにしながらやりました。
今回のオリジナル曲のいくつかは
実のところピアノ伴奏だけでは難しいものでした。
(バンドありきで作っていました)
どうしてもビート感(ドラム)が必要なものがあったり、
ピアノだけ、というのには適さない曲がありました。
それでも私はやってみたかった。
砂漠→オアシス→ワープ→新しい次元
私にとってこれはスタートの合図のようなコンサートであり
しかも母校。10代の日々を共に笑ったり泣いたりした友達や、
ずっと見守ってくださった先生方が、
今も同じ温かさで見守ってくれている。
じゃあ、思い切って、新しいことをやらせてもらおう、と。
完璧な環境でなくても、
バンドが揃っていなくても。
My buddy二本柳君のピアノなら、
一緒に「声とピアノ」バージョンとしての形が多分なんとか作れる。
そして無我夢中のままコンサートは終わり、
(やはり喋り過ぎたかと反省し、笑)
その後は、花束を頂いたり、たくさんのお友達と30年ぶりの再会をしたり、
先生方にご挨拶したりと、やんややんやの大騒ぎでございました。
そう。
今回のは何かの集大成でも到達・完了ではなく、
私にとっては「スタート」。
『ここからアタシは』(ドラマ「今日から俺は」的な)
なのでした。
ここから(今考えると気が遠くなりますが)
私の本当の集大成、到達、完了へと向かうという、
まだ玄関口に立ったところです。
それが母校であったということは、
私にとってどれだけの恵みであったことでしょう。
かつてたくさん愛された場所、
「ね?あなたは愛されたんだよ。
今も愛されているんだよ。」という場所。
宇宙はきっと、
新次元でのスタートにおいて、
私はもう一度それをしっかりと感じる必要があったから、
それを企画してくれたのではないかと思ったのです。
新しい旅には絶対に「愛」が必要です。
もしも「アタシはダメだ。」とか、
「やっぱアタシには無理だ。」となった時に、
アンパンマンが頭をかじらせてくれるみたいに、
その「愛」をいつでも思い出せるように、
愛がいっぱいあるところで、
スタートを切らせてくれた。。。
さて、今回のブログは前編・後編に分けることにしました。
後編では、私のブログに度々登場する、
今回もいらしてくださった恩師N先生の、
またもやすごいシンクロニステイックなお言葉で
「!!!」となったお話です。
タイトル「自分のスタイルを貫いてゆくということは・・・」
の意味は後編で!
我が学舎の大講堂にて。
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