ブログ、今日で三日間連続です。
多分、私の中で色々なシフトが今、
というより、ここ1ヶ月間くらいをかけて起き、
もしかしたらそろそろ「答え」が出てきている、
そのような気がします。
父は2009年の12月に亡くなりましたので、
14年経とうとしています。
父は思えば、
辛い人生を歩んだのだと思います。
最後まで。
父は母を大切にしませんでした。
何よりも父は自分を大切にすることができませんでした。
子供の頃からずっと単身赴任で、
父は土日だけ帰ってきました。
私にとって家族とは
あの頃は、というよりずっと、「母と私と弟」の3人のような感じでした。
父という存在はあったものの、
父がいるような、いないような、
父自身もそのように感じていたかもしれません。
自分の居場所はどこなのか、
自分の存在の価値はどこにあるのか・・・
母は、家のことでは、
いわゆる「お父さんに本来やってほしいこと」も
担わなければならなかったのですが、
正直、決して「頼もしい」という感じではなく、
私はいつもイライラしていました。
頼りになる「お父さん」がいない。
頼りになる「男性」がいない。
父不在の中、
私は母の期待を一身に受け育ちました。
そして、私はそれに応え続けたと思います。
無意識ですが。
10代の頃までよく言われたのは
「あゆちゃんはいつもすごく頑張っている」
という言葉。
あゆちゃん=頑張ってる人
みたいな。
私はそれが好きじゃなかった。
そして頑張りたくもなかった。
なぜかいつも必死でありました。
まあ結果、それが積もりに積もって
30代前半にパニック障害となったのだろうなあ、と
今は思います。
限界が来たのでしょうね。
父の人生の細かなことは割愛するとして、
私は娘として、女性として、
母を大切にしない父を見てきました。
私が大人になってからですが、
父の色々なことが分かってきました。
本来ならショックを受けるようなことも、
あの頃の私には「そうなんだ・・・」、
そんな感じでスルーしていました。
うちにいるわけではなかったので、
なんだか他人事のような感じだったのでしょうか。
・・・の、「つもり」でいたのだと思います。
亡くなった後も、
母は父がやらかしたことの「尻拭い」をやることになりましたが、
彼女の命懸けの働きで、
田中(私の実家)の家を守ることができました。
母は強い人でした。
すっかり大人になった私は、
父の「悲しみや苦しみ」を
理解することができるようになりました。
父として、夫として、
完璧からほど遠いような男性でした。
でも、私は父を嫌いになることはありませんでした。
決して悲しいことばかりではなかったからです。
今だからこそ、父の精一杯の愛を思い出せるのです。
母を大切にしなかった父を、
いいお父さんをしてくれなかった父を、
私は許したのでした。
「許したのでした」・・・
許した「つもり」でここまでやってきたのだ、と
私は今日、気づいたのでした。
私は許してなどいなかったのです。
繰り返す、私の中の感情パターン、
恐怖、悲しみ、怒り、
その源は私の父だったのだ、と
分かったのです。
ここ数日表れていた
とんでもない恐怖、悲しみ、怒り、
それは直接父とは関係ないのですが、
その溢れてきたものは、
私がずっと押さえつけてきたものだったのだと思います。
それを見ないふりをし、
「あんな風にちゃんと愛してくれたではないか」と
許したつもりでいたのでした。
あの時「スルー」したものは、
ちゃんと一度出なければいけなかった。
どうしてお母様を大切にしなかった?!
どうしてもっと助けてくれなかった?!
どうしてもっと強い人でいてくれなかった?!
どうして私たちをちゃんと愛してくれなかった?!
これらは、ただの「感情」です。
真実とは別でありましょう。
でも、私は
大いに怒り、大いに悲しみ、大いに泣き叫ぶ必要があったのです。
それらを涙が枯れるまで叫び、罵り、憎み、恨み、
もう十分にその負の感情を出さなければ、
本当の「許し」など、人間にはできっこないのです。
私は娘として、女性として、
傷ついたんだ、ふざけんな、ふざけんな!と。
私は怒ることを自分に許したのでした。
父に対して怒ることを自分に許したのでした。
もうこの世にはいないけれど、
まだこの世に残ってる人間の私には、
どうしてもやっておかなければいけないのでした。
前に進むために。
もう、傷ついた私にさよならするために。
「私は男性に愛され守ってもらえる価値がない」という間違った考えから、
自分を解放するために。
もう恐れることはない、ということを知るために。
父を本当の意味で許し、
私の心の中の父と和解し、
もう「幻想」に囚われる必要などないということを知らないといけない。
父を本当の意味で許すということは
私にとっては男性を許す、ということでもあるのです。
完璧な人など誰もいなくて、私も含め、
それぞれがその時を精一杯生きている、
そういう慈しみの気持ちを持つということです。
でもそこに行き着くには、
自分の感情に蓋をしないこと。
それがドロドロした負のものであっても、
そうであるなら尚更、ちゃんと認めて、
出してあげないと、
本当の意味での許しなど起きない。。。
これまで幾たびも襲ってきた
その激しい感情の矛先は
「父であったのだ」、
今朝、私は知ったのでした。
迎えにきてもらえない。
捨てられてしまう。
迷子になってしまう。
一人ぼっちになってしまう。
そのような不安は
「いつも何かを恋焦がれる」私に変えていました。
恋焦がれる、ということは
「今はここにはない」ということです。
でも本当は「ある」のです。
その何かが、
安心であれ、安全であれ、愛であれ、
私は十分に「持っている」はずなのです。
「自分は十分ではない」という思い込みは
いつも私を苦しめてきました。
でも、もうよく分かったよ、お父様。
私は死ぬほど悲しかった。
死ぬほど怒っていた。
この想いを受け止めてくれ。
そして綺麗さっぱり天国の水で洗い流してくれ。
そして、今こそ、本物の愛を、
お父様がいる場所から、
お母様、ともすけ、私に
たくさん送ってくれ。
そして、私たちをちゃんと守ってくれ。
本当はどれだけ注ぎたかったであろう、その愛は
死んだってできるんだから、
愛の場所に戻ったんだから、
惜しみなく注いでほしい。
そして、
私はその愛の中で
やっと安心して生きていけるから。
そして、
今度こそちゃんと自分を愛し、
愛を拒まない私になれるから。
ありがとう。
4649!
It gets the darkest before the dawn
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。
私のオフィシャル・ページを
どうぞご訪問くださいませ。
(最近、ちょとだけリニューアルしました。
音楽もここからSoul Musicのスタイルへと絞っていきます)
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それから私の歌も試聴(ミュージカル曲はもうないよ〜)できます!
https://www.ayukosaito.com
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↓私の過去のlLIVE映像などはYoutubeでアップしています
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多分、私の中で色々なシフトが今、
というより、ここ1ヶ月間くらいをかけて起き、
もしかしたらそろそろ「答え」が出てきている、
そのような気がします。
父は2009年の12月に亡くなりましたので、
14年経とうとしています。
父は思えば、
辛い人生を歩んだのだと思います。
最後まで。
父は母を大切にしませんでした。
何よりも父は自分を大切にすることができませんでした。
子供の頃からずっと単身赴任で、
父は土日だけ帰ってきました。
私にとって家族とは
あの頃は、というよりずっと、「母と私と弟」の3人のような感じでした。
父という存在はあったものの、
父がいるような、いないような、
父自身もそのように感じていたかもしれません。
自分の居場所はどこなのか、
自分の存在の価値はどこにあるのか・・・
母は、家のことでは、
いわゆる「お父さんに本来やってほしいこと」も
担わなければならなかったのですが、
正直、決して「頼もしい」という感じではなく、
私はいつもイライラしていました。
頼りになる「お父さん」がいない。
頼りになる「男性」がいない。
父不在の中、
私は母の期待を一身に受け育ちました。
そして、私はそれに応え続けたと思います。
無意識ですが。
10代の頃までよく言われたのは
「あゆちゃんはいつもすごく頑張っている」
という言葉。
あゆちゃん=頑張ってる人
みたいな。
私はそれが好きじゃなかった。
そして頑張りたくもなかった。
なぜかいつも必死でありました。
まあ結果、それが積もりに積もって
30代前半にパニック障害となったのだろうなあ、と
今は思います。
限界が来たのでしょうね。
父の人生の細かなことは割愛するとして、
私は娘として、女性として、
母を大切にしない父を見てきました。
私が大人になってからですが、
父の色々なことが分かってきました。
本来ならショックを受けるようなことも、
あの頃の私には「そうなんだ・・・」、
そんな感じでスルーしていました。
うちにいるわけではなかったので、
なんだか他人事のような感じだったのでしょうか。
・・・の、「つもり」でいたのだと思います。
亡くなった後も、
母は父がやらかしたことの「尻拭い」をやることになりましたが、
彼女の命懸けの働きで、
田中(私の実家)の家を守ることができました。
母は強い人でした。
すっかり大人になった私は、
父の「悲しみや苦しみ」を
理解することができるようになりました。
父として、夫として、
完璧からほど遠いような男性でした。
でも、私は父を嫌いになることはありませんでした。
決して悲しいことばかりではなかったからです。
今だからこそ、父の精一杯の愛を思い出せるのです。
母を大切にしなかった父を、
いいお父さんをしてくれなかった父を、
私は許したのでした。
「許したのでした」・・・
許した「つもり」でここまでやってきたのだ、と
私は今日、気づいたのでした。
私は許してなどいなかったのです。
繰り返す、私の中の感情パターン、
恐怖、悲しみ、怒り、
その源は私の父だったのだ、と
分かったのです。
ここ数日表れていた
とんでもない恐怖、悲しみ、怒り、
それは直接父とは関係ないのですが、
その溢れてきたものは、
私がずっと押さえつけてきたものだったのだと思います。
それを見ないふりをし、
「あんな風にちゃんと愛してくれたではないか」と
許したつもりでいたのでした。
あの時「スルー」したものは、
ちゃんと一度出なければいけなかった。
どうしてお母様を大切にしなかった?!
どうしてもっと助けてくれなかった?!
どうしてもっと強い人でいてくれなかった?!
どうして私たちをちゃんと愛してくれなかった?!
これらは、ただの「感情」です。
真実とは別でありましょう。
でも、私は
大いに怒り、大いに悲しみ、大いに泣き叫ぶ必要があったのです。
それらを涙が枯れるまで叫び、罵り、憎み、恨み、
もう十分にその負の感情を出さなければ、
本当の「許し」など、人間にはできっこないのです。
私は娘として、女性として、
傷ついたんだ、ふざけんな、ふざけんな!と。
私は怒ることを自分に許したのでした。
父に対して怒ることを自分に許したのでした。
もうこの世にはいないけれど、
まだこの世に残ってる人間の私には、
どうしてもやっておかなければいけないのでした。
前に進むために。
もう、傷ついた私にさよならするために。
「私は男性に愛され守ってもらえる価値がない」という間違った考えから、
自分を解放するために。
もう恐れることはない、ということを知るために。
父を本当の意味で許し、
私の心の中の父と和解し、
もう「幻想」に囚われる必要などないということを知らないといけない。
父を本当の意味で許すということは
私にとっては男性を許す、ということでもあるのです。
完璧な人など誰もいなくて、私も含め、
それぞれがその時を精一杯生きている、
そういう慈しみの気持ちを持つということです。
でもそこに行き着くには、
自分の感情に蓋をしないこと。
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そうであるなら尚更、ちゃんと認めて、
出してあげないと、
本当の意味での許しなど起きない。。。
これまで幾たびも襲ってきた
その激しい感情の矛先は
「父であったのだ」、
今朝、私は知ったのでした。
迎えにきてもらえない。
捨てられてしまう。
迷子になってしまう。
一人ぼっちになってしまう。
そのような不安は
「いつも何かを恋焦がれる」私に変えていました。
恋焦がれる、ということは
「今はここにはない」ということです。
でも本当は「ある」のです。
その何かが、
安心であれ、安全であれ、愛であれ、
私は十分に「持っている」はずなのです。
「自分は十分ではない」という思い込みは
いつも私を苦しめてきました。
でも、もうよく分かったよ、お父様。
私は死ぬほど悲しかった。
死ぬほど怒っていた。
この想いを受け止めてくれ。
そして綺麗さっぱり天国の水で洗い流してくれ。
そして、今こそ、本物の愛を、
お父様がいる場所から、
お母様、ともすけ、私に
たくさん送ってくれ。
そして、私たちをちゃんと守ってくれ。
本当はどれだけ注ぎたかったであろう、その愛は
死んだってできるんだから、
愛の場所に戻ったんだから、
惜しみなく注いでほしい。
そして、
私はその愛の中で
やっと安心して生きていけるから。
そして、
今度こそちゃんと自分を愛し、
愛を拒まない私になれるから。
ありがとう。
4649!
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