皆さん、ごきげんよう!
さて、昨日のブログでは、ブログ名を改名したそのいきさつのお話をして、
で、Soul=魂はわかるけれど、
魂って結局なんなのかしらあ、わかんな〜い!
それがSoul Quest(魂の探求)なんてシメまして。
強引に出発進行!!!いたしました。
わかんな〜い、んだけれど、
私がどう捉えているか
お話してみます。(できんのかな)
皆さん、「私」ってなんでしょう?
これを哲学的に「私とは」とやり始めると、
頭がショートするので、
ここは単純に、
自己紹介する時やプロフィールや履歴書などの内容が
いわゆる「私」のように、思います。
「私」は」いついつどこぞで生まれ
身長はこれで、(体重は内緒で)
家族構成はこうで、
どこぞの学校行って、
今はどこぞで仕事していて、
性格はぁ・
もちろん、
そこに趣味とか、特技とか、
色々入っていきます。
これまで生きてきた中でのエピソードなんかも。
自分の肉体から始まって、
通ってきた道の中で身につけたもの。
それが「私」。
もし魂というのがあるのだとしたら、
「私のコア」の部分をさしているような気がする・・・
なんか、心の奥の奥の方の・・・?
というのは、多分、多くの方が
な〜んとなく思うところではないか、と。
そして、私もそのように「感じます」。
なんせ見えないし、肉体のような物質でもなさそうなので、
「感じる」しかないようなモノです。
皆さんもきっと同じように魂の在り処を「感じる」のだと思います。
いわゆる「私」が肉体から始まって、
外の世界の経験、そこで身につけてきたものだとしたら、
「私」は「魂」の上に着込んでいる「服」だと思うのです。
じゃあ、Soul Questって何よ?
服を着込みすぎて
「元の姿」がわかんなくなっちゃったから、
服を一枚一枚脱いでいって、
「元の姿」を見つけましょう!!!という冒険。
だって、それこそが「真の私」だから。
「真の私」ってどんなんだろう?
嘘のない私。なぜ嘘つく必要あるの?
最もパワフルな私、だって重い服着てないから。
最も自由な私、そこには固定概念がないから。
しかし、だったら魂のまま浮遊してればいいし、
何を好んでわざわざこの世(重い物質の世界)に生きて、
着てきた服をも一回脱ぐ、っていう
面倒なことをしなきゃならないんだ!
分かりません。。。う。
いや、スピ本読めばいっぱい書いてあります。
「読んで分かる」というのと「本当に分かる」は違うのです。
だから、私にも分かりません。
だけど、
現に私が「ここ」にいるのは確かなのです。
そして、どうもコアな私がいると感じるのも確かなのです。
私が苦しい時、迷っている時、不安な時、
どうも、コアな私と「ズレてる」感じがするのです。
自分が満たされている時、納得している時、幸せと感じる時、
喜んでる時、愛している時、
どうも、コアな私と「繋がっている」感じがするのです。
そして、それは「うむ。これで良し。」という確信があるのです。
コアな私と「ズレてる」と感じるのか、
コアな私と「繋がっている」と感じるのか、
それが、Soul Questのナビゲーションとなります。
生きてる理由?
それは「魂=コアな私」にしか分かりません。
そして、「私」がそれを知りたいなら、
「魂」と「繋がる」しかない。
繋がる、には、これまで着込んできて、
「もういらない服」を脱いでいくしかないのです。
繋がることを邪魔してしまう服を。
蝶々がサナギを脱ぎ捨て、
新しい自由な姿に変身するように。。。
さあ、どうする?
それは「私」しだいです。
*このブログのカテゴリー「プロフィール」からも行けますが、
ご興味のある方は、ここから!も↓
歌手AYUKO SAITOのプロフィール
さて、昨日のブログでは、ブログ名を改名したそのいきさつのお話をして、
で、Soul=魂はわかるけれど、
魂って結局なんなのかしらあ、わかんな〜い!
それがSoul Quest(魂の探求)なんてシメまして。
強引に出発進行!!!いたしました。
わかんな〜い、んだけれど、
私がどう捉えているか
お話してみます。(できんのかな)
皆さん、「私」ってなんでしょう?
これを哲学的に「私とは」とやり始めると、
頭がショートするので、
ここは単純に、
自己紹介する時やプロフィールや履歴書などの内容が
いわゆる「私」のように、思います。
「私」は」いついつどこぞで生まれ
身長はこれで、(体重は内緒で)
家族構成はこうで、
どこぞの学校行って、
今はどこぞで仕事していて、
性格はぁ・
もちろん、
そこに趣味とか、特技とか、
色々入っていきます。
これまで生きてきた中でのエピソードなんかも。
自分の肉体から始まって、
通ってきた道の中で身につけたもの。
それが「私」。
もし魂というのがあるのだとしたら、
「私のコア」の部分をさしているような気がする・・・
なんか、心の奥の奥の方の・・・?
というのは、多分、多くの方が
な〜んとなく思うところではないか、と。
そして、私もそのように「感じます」。
なんせ見えないし、肉体のような物質でもなさそうなので、
「感じる」しかないようなモノです。
皆さんもきっと同じように魂の在り処を「感じる」のだと思います。
いわゆる「私」が肉体から始まって、
外の世界の経験、そこで身につけてきたものだとしたら、
「私」は「魂」の上に着込んでいる「服」だと思うのです。
じゃあ、Soul Questって何よ?
服を着込みすぎて
「元の姿」がわかんなくなっちゃったから、
服を一枚一枚脱いでいって、
「元の姿」を見つけましょう!!!という冒険。
だって、それこそが「真の私」だから。
「真の私」ってどんなんだろう?
嘘のない私。なぜ嘘つく必要あるの?
最もパワフルな私、だって重い服着てないから。
最も自由な私、そこには固定概念がないから。
しかし、だったら魂のまま浮遊してればいいし、
何を好んでわざわざこの世(重い物質の世界)に生きて、
着てきた服をも一回脱ぐ、っていう
面倒なことをしなきゃならないんだ!
分かりません。。。う。
いや、スピ本読めばいっぱい書いてあります。
「読んで分かる」というのと「本当に分かる」は違うのです。
だから、私にも分かりません。
だけど、
現に私が「ここ」にいるのは確かなのです。
そして、どうもコアな私がいると感じるのも確かなのです。
私が苦しい時、迷っている時、不安な時、
どうも、コアな私と「ズレてる」感じがするのです。
自分が満たされている時、納得している時、幸せと感じる時、
喜んでる時、愛している時、
どうも、コアな私と「繋がっている」感じがするのです。
そして、それは「うむ。これで良し。」という確信があるのです。
コアな私と「ズレてる」と感じるのか、
コアな私と「繋がっている」と感じるのか、
それが、Soul Questのナビゲーションとなります。
生きてる理由?
それは「魂=コアな私」にしか分かりません。
そして、「私」がそれを知りたいなら、
「魂」と「繋がる」しかない。
繋がる、には、これまで着込んできて、
「もういらない服」を脱いでいくしかないのです。
繋がることを邪魔してしまう服を。
蝶々がサナギを脱ぎ捨て、
新しい自由な姿に変身するように。。。
さあ、どうする?
それは「私」しだいです。
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