AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「本当のところ」前編・後編(Facebookより)

2019年01月11日 | 音楽と歌と私と・・・
<前編>

2017年の大晦日に、私はあるレコーディングに呼ばれた。
女性歌手6人が呼ばれ、それは今を時めくアーティストの新曲のコーラスだったのだが、
結局、コーラス自体がお蔵入りとなってしまった。

その楽曲は2018年放送のドラマの主題歌のために書き下ろされたもので、
一年を通して、空前の大ヒット曲となった。
今でも、「ああ、あのコーラスが使われていたら、
どんだけパフォーマンス印税が入ってきていたのだろう(号泣)」と
今でも悔やまれる。(下世話でスンマセン)

その後、私は楽曲をきちんと聞くこともなく
「ああ、あの曲、売れてんなあ。悔しい〜〜。」と思いながら、一年が過ぎ、
このお正月にそのドラマの一挙放送を観て(非常に面白かった)、
やっとその曲の意味が分かった。

あの時の「教会の聖歌隊のような感じのコーラスを入れたい」の意味が良くわかった。
とは言え、その割には女性コーラスにしてはキーが低すぎるし、
「なんでこんな録音の仕方をするのだろう?」など、
「どうしたいのか、何をしたいのか」が結局よくわからなかった、というのも事実だ。

それでも。もし。あの時、(情報解禁ではなかったかもしれないけど)
どんなストーリーのドラマで、
だからこういう曲を書いたのだということを知らせてくれてたなら(本人もいた)、
私たちの歌う時の思いも違ったかもしれない、と思った。

ぶっちゃけ。コーラスのレコーディングというのは、
アーティストのツアーで歌うというのと比べれば、正直「味気ない」ものである。
呼ばれて、現場に行って、譜面を見せられて、言われた通りに歌う。
(簡単に言ってるけどね、コーラスというのは技術がないと決してできないものなので、
誰でもできるわけではないのは確か。)

曲作りからレコーディング、仕上げという長いプロセスの「ほんの一部」に呼ばれて、
背景も知らずに、ただ歌って帰る、そういうものだ。
そこには需要と供給という関係性とビジネスという関係性があるだけだ。
そのような仕事を続けていると、「こなす」ことに慣れる。
もちろん、メンバーによっては「楽しいひととき」になることもある。
でも、「歌手として」と言ったら、私たちは「機械的」であり、
ディレクターやプロデューサーからしたら「顔のない歌手」だ。

だから、コーラスってつまんねーんだよ。

ディレクター側がすでにそういう姿勢でいるが故に、
コーラス側が「心」を持つ個々の人間であるということを忘れている。
機械的に歌われたものは、どんなに「きちんと」歌われていても、
そこに歌う人間の思いや心がなければ、
じゃあ「ヴォーカロイド」でやっても同じでしょ?としか言いようがない。

私は「職人」などにはなりたくない。
いや、職人だって心がある。
だからこそ、素晴らしい作品を創れるのだ。
ディレクター側もコーラス側もいつからか、味気ない現場に慣れ、
「流れ作業」にも慣れ、「こなす」ことにも慣れ、
「感じ良くやって、お金をもらって、また次に呼ばれれば良し」という流れになってしまった。
お互いに会えば「この前、〇〇と仕事した。」とか「〇〇さんがさあ」っていう、
くだらない「内輪の自慢話」で己れを慰め、自己満足に浸っているようだけれど、
私からしたら「え?そこ!?」だ。

なぜ音楽業界の方々、お世話になっている方々に反感を買うような、
今後仕事もらえないかも、なんてことをここに書かずにはいられなかったかというと、
新年のその例のドラマを観て、
やっと「あの時の曲」の内容、アーティストが伝えたかった思い、世界観というのを
今、やっと分かったというのが、とても悲しかったのだ。

あの時、もし私たちに話をしてくれていたとしても、
結局お蔵入りになっていたかもしれない。
コーラスが入ろうが、入らなかろうが、あの曲は間違いなく大ヒットしていただろう。
でも、少なくとも、「あの場にいた私たちは」
人間として「こんな素敵な作品に参加させてもらった」という思いが、
私たちの心を暖かくしてくれただろう。

私はプロの歌手なので、それが仕事である以上、求められたものを必ず達成する。

ただ、ただ、私は仲間に入れてもらいたかったのだ。
心だって、参加したかったのだ。これまで、ずっと。

ドラマを観て、その主題歌を聞いて、そんな思いが溢れてきて、
新年の「長編書き初め」とすることにした。

今年も誰になんと言われようとも(すいません)私ワールド全開で、長編シリーズ続けまーす!
よろしくお願いいたします。
斉藤亜由子


上の投稿は私の「上っ面」です。
本音は・・・別にありました。(ということがわかりました)
「後編」を是非読んでください。

<後編>

「私が本当にやりたいこと」

昨日、ある楽曲のお蔵入りになったコーラスについてのことを書いた。
そして、私が感じていたコーラス現場について語り、批判みたいな形になって、
挙げ句の果てに「だから、コーラスってつまんねーんだよ」とまで書いた。

本日、もう何年も音楽業界でお世話になっている、
私にとっては大切な友人でもある、ある方から、
昨日の投稿について個人的にメッセージをいただいた。
その内容はここには書かない。
けれど、ここで私の本音を語ろうと思う。

コーラスとは、「職人の仕事」なのだ。
コーラスやCMなどで「喰っていく」ということは、
たいっへんなことである、と言っておく。(私はそれでは喰えない)
それで「喰っていく」ということは、毎日、スタジオをハシゴし、
ありとあらゆる現場で歌うということだ。
そして、それだけ「呼ばれる」能力や人間性を持っているということだ。
それで喰っている人たちというのは、ものすごい職人魂と、誇りと、
一つ一つの仕事への責任感というメンタリティーを持っている・・・からこそ、喰っていける。

私には「職人魂」がない。私は、職人ではないのだ。なれないのだ。
アーティストのコーラスの場合は、コーラスの声は「楽器」だ。
他の楽器と同様、リードが歌う楽曲をいかにバックアップし、
いかに素敵なものにするか、というのがミッションだ。
リードボーカルに対して言うならば、裏方である。
でも、「ものすごく大事な」裏方である。
それによって、楽曲の色がガラッと変わってしまうほどの大事な裏方である。

しかし、プリンセスAYUKO(←あ、ここはユーモアね)が、
どんなに大事でも「裏方」で満足するだろうか。

結局、そこなのである。

そのある方から「あゆちゃんの本音をあゆちゃんの言葉で聞きたい」と言われ、
私が辿り着いた、と言うか、ずっとあやふやにしていた本音はこれだった。

「私は職人ではなく、アーティストでいたい」

アーティストっていうと、随分カッコよく聞こえるけれど、
要は私は「歌を通しての表現者」なのだ。
コーラスというのは「自我を表現する」場所ではない。
ミッションが違うのだ、そもそも。

私が心からやりたいことは、歌を、自分の声と魂とで、
メロディーに乗せて、言葉に乗せて、表現することだ。
ただひたすらに表現することだ。自分の心を表現することだ。

先の投稿「前編」で、
「一年を経て、ようやくアーティストの伝えたかったことが分かった、
一年を経て・・・それがとても悲しかった」というのは、
結局のところ、これは、私が何年も自分の中に秘めていた悲しみが、
たまたま「そこ」で反応したのだ。

その悲しみとは、自分が本当にやりたいことをやらずに、
一度は諦め、でも何が悲しいのかわからずに、放っておいたことだ。
先の投稿での、コーラス業界に対しての批判は、私自身への批判だ。

「本当にやりたいことに本気で取り組んでこなかったのはお前だろ」と。
「だから、コーラスはつまんねーんだよ?」
「じゃあ、なんでお前はつまんねーコーラスやってんだよ?」

そこを自分に突きつけずに、上っ面の投稿して、
ちゃんと突きつけてくれたのが、私にメッセージをくれたその人だ。

私は自分が本当にやりたいことを、なんだかんだ理由をつけて、先延ばしにしてきた。
「満足している」と思い込んで。「仕事があるだけでもありがたい」と言い聞かせて。
そして、「私なんかには無理だ」という自己憐憫も含めて。

けれど。結婚・育児で5年間も休業し、
「もう歌わなくてもいいっか」とまで思いながら、
何かに突き動かされるように仕事復帰をして、
「年内にソリストとしてステージに戻らなければ、絶対に後悔する。もう先はない。」
という直観と衝動に襲われた2016年は決して「冗談」なんかではなかったのだ。

今からスーパースターになるとか、ならないとか、
大規模に活動するとか、しないとか、そんなのは今の問題ではなく、
まずは私は「歌手として、私の魂が喜ぶこと」を本気でしなければならないのだ。
それをちゃんとしてこなかったから、私は「外側」の出来事にいちゃもんを付けて
「かわいそうな私」を演出していたのだ。

ということがよく分かった。

私は幸い(これは本当に「幸い」だ)、
夫という存在が私を経済的に保護してくれ、
いつでも子供達を見てくれる元気な母がいる。
この環境が私をただの「甘ちゃん」にさせるか、
「しっかり甘えて、この今の環境を最大限に利用させてもらって、結果を出す」かは私次第だ。

私は歌を歌いたい。魂を爆発させたい。

そして願わくば、一人だけでも喜んでくれる人がいたらいい。
一人の人でもいい、誰かの人生に触れることができたなら、私はそのまま死んでもいい。
歌手として、誰かの心に触れて、歌手として、役に立てるのなら。それこそが本望だ。

私に「本当のところ」を突きつけてくださった、あなたに心から感謝します。

目が覚めました。



AYUKO LIVE 2018 "WHOLE LOTTA LOVE"の音源をアップしました!是非!

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今更の「去年のクリスマス」のお話

2019年01月09日 | やんややんやの日常
車のラジオでDonny Hathawayの「This Christmas」が流れていて、
サンタ任務完了してボーッとしていたけれど、
「今日がクリスマスじゃないか!」と気づいた。

そして、クリスマスというのは、
そもそもイエス・キリスト誕生を厳かに祝う日なのだ。

そして、2018年前に思いを馳せる。

そして、恐竜がいた2億3000万年前に思いを馳せる。

恐竜時代なんかと比べれば、
2018年前なんて、「ほんのちょっと前ではないか!」と。
もはや「昨日まで、イエス様がこの地球の地を歩いていたのだ」と言っても過言ではあるまい。

そんなことを思うと、とても感慨深く、
今こそ「(リアルに)雲の上の人」ではあるけれど、
「彼だって、(これだってリアルに)地球の人だったのだ」と思うと、
なんだか少しイエス様が近くに感じるという図々しい思いもあり。

そうかあ、本当に「居た」んだよなあ。
ああ、後もうちょっとで会えたかもしれないのに〜!
たった2000年の差で〜〜〜〜!

そう思うと。
人生というのは、まばたき一回分くらいだ。

クリスマス当日、波乱万丈の、でもひたすら「愛であった」イエス様の人生を思いつつ、
「自由に、怖れず、楽しんだもの勝ちだ」と、自分のこれからを思う。


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年末のお話〜銀座「空也」

2019年01月05日 | やんややんやの日常
ほんっとーに懐かしいお友達と昨夜、
うん十年ぶりに電話でお話をした。

彼女とは小中高と一緒で、家が近くだったので、
何年も一緒に歩いて学校に通った。

なぜ、そのお友達と電話で話すことになったかというと、
数日前に素敵なクリスマスカードが届き、
「LIVEとっても行きたかったのだけれど、どうしても行けなくて
。贈り物があるので受け取ってね」というメッセージで、
昨日の朝、なんと立派なローストビーフが届いて、
そのお礼でお電話をしたのだ。

彼女は銀座の老舗和菓子店のお嬢さんで、
そこの最中を小さい時から私は当たり前のようにいただいていたのだが
(彼女のお母様が何かと言えば箱でくださった)、
今思えば、とんでもない贅沢で、
でも「あの最中」で育つと、悪いけど、ほかのお店の最中は「違う」のだ。

彼女とはそんな長話はしなかったけれど、
「最近はどうしてるの?」なんて話をして、
懐かしい気持ちに浸った。

何よりも、彼女の声、話す柔らかなリズムやテンポが美しく、
電話が終わった後もその余韻は続き、私はすっかり癒されてしまった。

何と説明したらいいのだろう。

変わらぬ彼女の優しさ、温かさ、おっとりとした上品さ・・・
全てが電話を通して伝わってきて、
それらは決して表面的に取りつくろって表現できるものではなくて、
嘘のない彼女そのもので、短い会話であったけれど、
私はすっかり魅せられてしまった。

人それぞれその人特有のリズムとかカラーとかあるけれど、
多分、思うに、
本当は私たちは全てのリズムやカラーを内に持っていて、
個性として、その人らしいものが普段前面に出ているのではないかと思う。

昨夜、彼女に触れることで、私自身の内にある(でも普段は出てこない)波動が、
彼女のそれと共鳴したのかなとふと思ったりする。
いつもは埋もれているのだけれど、「実は在るのですよ」という領域に彼女が連れて行ってくれたような。
もしやヒーリングというのは、そうやって起こるのかしらと思ったり。

兎にも角にも、
「春の日を浴びてキラキラ光る小川のせせらぎ」のようなあったかい時間だったのだ。

というわけで、年明けには「空也」さんへGO!!!


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その人のTrue Colorが見たくて

2019年01月03日 | 人との関わり(愛とか)
私はきっと、
周りからしたら鬱陶しいほど真面目で、
なんでも深く考えてめんどくさい人かもしれないなぁ…
とたまに思う。
(同時に極端にいい加減なところもあるけど)

これはもう、小さい時からそうで、しょうがないのだ。
私にとって、人間の感情と思考というのがとても興味深く、
「自分を深く探る」ことは私の一番の趣味(ライフワーク)だし、
なんと言っても、私は人が好きなのだ。

表面的な部分より、
その人のTrue colorを見たくて、
そして、それはどんな色でも美しいと信じている。

その人のその色が見てみたくて、だからこそ、
私は自分の本当の色がどんなものかを探りながら、
ではどうすれば、みんなのTrue Colorを発見できるのかしら、
と探っているのかもしれない。

みんなのハートから、
それぞれのTrue Colorがファ〜〜〜〜っと
光線みたいに出たら、
地球は虹色に輝くなあと想像する。

私は、この地球に人間という肉体を持って生まれてこられたことには
本当に感謝していて、
これまたなかなか一筋縄ではいかないけれど、そ
れもまた「人間として生きる妙味」と思えば、
そんなに深刻にならなくても済むような気がしている。

きっと帰る場所(ORIGIN)は別にあるのかもしれないけれど、
そんなことは今の時点ではよくわからないので、
今、自分が居る場所を愛することにする。



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