調べてみましたら、
差別(さべつ)とは、
特定の集団や属性に属する個人に対して、
その属性を理由にして特別な扱いをする行為である。
それが優遇か冷遇かは立場によって異なるが、
通常は冷遇、つまり正当な理由なく不利益を生じさせる行為に注目する。
森さんの発言があちこちで取り上げられていますが。
「森さんは辞任すべきた!」
という話ではなく。
森さんの発言は女性蔑視と言われていますが、
男女差別からあらゆる差別の概念まで
我々には埋め込まれています。
「埋め込まれている」というのは文字通りです。
私たちは差別の概念を持って生まれてくる訳ではありません。
家族内や社会の中で「埋め込まれて」いくのです。
今朝のニュースで、
あるコメンテーターが言っていたこと。
「差別をなくしてゆくというのは、
個人の内なる闘いだ。
私も持っています。
そして戦っています。」と。
今の世界の流れは
上記の「冷遇」という意味での
人間同士のあらゆる差別的概念を
なくしていきましょう、というものになっています。
そういう「トレンド」なので
(もちろん然るべき流れだと私は思っています)
意識高い系の人たちは
「差別的な言動を絶対しないように」心がけているはずです。
私がそのコメンテーターがよくぞ言ってくれたな、
と思った部分は
「私も闘っています」というところです。
つまり、内では「完全に差別意識がなくなった訳ではない」
ということです。
それをその方は否定せずに言った。
そう。
「埋め込まれた」概念というのは
そうそう簡単に「無くなる」訳がないのです。
トレンドを押さえている
意識高い系の人たちも同じなはずです。
「でも、実はまだある」というのはなかなか言えないこと。
私にもあります。
埋め込まれていますから、「自動的に」その概念が浮上するのです。
ただ、差別的概念を無くしてゆく上での
大きな第一歩として、
その「自動的に浮上してくる差別的概念」に
まず「気づく」ことです。
あれ?
そうなの?
これって「私のもの」?
どこから来たんだ?
立ち止まる。
そして、今日のタイトルにもありますが、
その問いから、それらを「解体」してゆく。
「これは差別だ!いけない!」ではダメなのです。
自分の内にあるものとしっかりと向き合って、
解体していかなければいけないと思うのです。
それらがどこから来たのか。
誰から教わったのか。
本当にそうなのだろうか。
「源」を突き止めなければならない。
そこには確実に歴史があるでしょう。
国の歴史。世界の歴史。家族の歴史。
そして、
概念というのはそもそも
「自分のオリジナルのものではない」
ということを知らなければならない。
もしそういうものがなければ、
自分はここでどういう言動をするだろうか、
どんなことを思うだろうか、思わないだろうか、
という「想像力」も駆使しなければなりません。
埋め込まれたものを
掘って掘って解体してゆく、
という作業は時間がかかります。
でも、
今から私たちはそれを本気でやらなければならないでしょう。
古い、窮屈な概念にさよならしてゆく。
森さんの発言は
そういう意味で「古くていらないものは何か」
というものの一つに焦点を当ててくれたものだと
私は受け取ります。
そこから、
個人個人が「どのように内なる戦いを展開してゆくか」
を考える。そして、やっていく。
個人が社会を作り、
社会が個人を作るならば、
まず個人でできる闘いを。
解体したら、
今度は新しいものを構築できます。
↓プロの歌手として学んできた様々なこと,
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(是非、フォローしてください!まだ数人しかいないの、笑)
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差別(さべつ)とは、
特定の集団や属性に属する個人に対して、
その属性を理由にして特別な扱いをする行為である。
それが優遇か冷遇かは立場によって異なるが、
通常は冷遇、つまり正当な理由なく不利益を生じさせる行為に注目する。
森さんの発言があちこちで取り上げられていますが。
「森さんは辞任すべきた!」
という話ではなく。
森さんの発言は女性蔑視と言われていますが、
男女差別からあらゆる差別の概念まで
我々には埋め込まれています。
「埋め込まれている」というのは文字通りです。
私たちは差別の概念を持って生まれてくる訳ではありません。
家族内や社会の中で「埋め込まれて」いくのです。
今朝のニュースで、
あるコメンテーターが言っていたこと。
「差別をなくしてゆくというのは、
個人の内なる闘いだ。
私も持っています。
そして戦っています。」と。
今の世界の流れは
上記の「冷遇」という意味での
人間同士のあらゆる差別的概念を
なくしていきましょう、というものになっています。
そういう「トレンド」なので
(もちろん然るべき流れだと私は思っています)
意識高い系の人たちは
「差別的な言動を絶対しないように」心がけているはずです。
私がそのコメンテーターがよくぞ言ってくれたな、
と思った部分は
「私も闘っています」というところです。
つまり、内では「完全に差別意識がなくなった訳ではない」
ということです。
それをその方は否定せずに言った。
そう。
「埋め込まれた」概念というのは
そうそう簡単に「無くなる」訳がないのです。
トレンドを押さえている
意識高い系の人たちも同じなはずです。
「でも、実はまだある」というのはなかなか言えないこと。
私にもあります。
埋め込まれていますから、「自動的に」その概念が浮上するのです。
ただ、差別的概念を無くしてゆく上での
大きな第一歩として、
その「自動的に浮上してくる差別的概念」に
まず「気づく」ことです。
あれ?
そうなの?
これって「私のもの」?
どこから来たんだ?
立ち止まる。
そして、今日のタイトルにもありますが、
その問いから、それらを「解体」してゆく。
「これは差別だ!いけない!」ではダメなのです。
自分の内にあるものとしっかりと向き合って、
解体していかなければいけないと思うのです。
それらがどこから来たのか。
誰から教わったのか。
本当にそうなのだろうか。
「源」を突き止めなければならない。
そこには確実に歴史があるでしょう。
国の歴史。世界の歴史。家族の歴史。
そして、
概念というのはそもそも
「自分のオリジナルのものではない」
ということを知らなければならない。
もしそういうものがなければ、
自分はここでどういう言動をするだろうか、
どんなことを思うだろうか、思わないだろうか、
という「想像力」も駆使しなければなりません。
埋め込まれたものを
掘って掘って解体してゆく、
という作業は時間がかかります。
でも、
今から私たちはそれを本気でやらなければならないでしょう。
古い、窮屈な概念にさよならしてゆく。
森さんの発言は
そういう意味で「古くていらないものは何か」
というものの一つに焦点を当ててくれたものだと
私は受け取ります。
そこから、
個人個人が「どのように内なる戦いを展開してゆくか」
を考える。そして、やっていく。
個人が社会を作り、
社会が個人を作るならば、
まず個人でできる闘いを。
解体したら、
今度は新しいものを構築できます。
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