プーチンのロシアの話を追いかけながら、私がずっと考えたいたのはなぜ日本は「復権」できなかったのかということ。いや、このぐらいでいいじゃん、ロシアのGDPより大きいしと思う人はそれはそれ。私はそうは考えていないからこそ考える。
ロシアがやっていることは、1991年にソビエトが崩壊した後の混乱から立ち上がる試みで、であればこそアメリカがあれほどに腹を立てている。そして、だからこそその復権がどこまで広がるのかに欧米は戦々恐々になっている。
で、なんとかしてまた混乱と貧困に落とし込み、その上でロシアの資源を、まぁその民主化→民営化→大資本家が取っちゃう、というパターンでゲットしたいという遠い試みを開始しようということなんだと思う。
その意味で、プーチンの悪魔化はそのために「諸国民」を結集しようというサイン。だからどれが正しいとか、本当はどうなのかとかいうのは結局どうでもいい。
で、この間23年。プーチンが登場した頃のロシアは、欧米の書き方では「民主化へ進み」だが実態は資本主義経済なんて知らないような人たちが混乱へと突き落とされ、外から来たお金持ちさんたちに国家の富を持っていかれるという事態が進行し、人々は自信を失っていた。
一説によればこのプーチンの浮上を決定的にしたのは1999年のユーゴ紛争であり、なかんずくセルビアの空爆だったという。ロシアは常に自分たちと同じ側にいると思っているセルビアへの空爆に当然反対していたがなんら聞き入れらず、空爆の決定も事前に知らされなかった。その間、ロシアのナショナリストたちはセルビアに行こうと兵に応募する者が多数あったという。そのことをロシアの首脳部というかエリートさんたちは深刻に受け止め、そこからプーチンを看板にしたロシア復活への取り組みが始まったということらしい。
(On March 24, 1999, the U.S. bombed Kosovo. Putin has been planning his payback ever since)。
さて、復権まで23年とはずいぶん短いような気もする。しかしそういえば、ドイツのWWW 1から1939年までは約20年。ふと思うに、このぐらいの年数というのは結構望ましい期間なのかもしれない。というのは、一番悔しい前線に立っていた人たちがまだ生きているから。悔しい思いをした青年が20年たてば壮年期となり社会を担うようになる。例えば25歳の青年将校の20年後は45歳、40代でもまだ60代という具合。
日本の敗戦から20年後といえば1965年。当時日本はオリンピックをやっていた。どうも「復権」は経済で、というのが日本の総意だったのだろうか? 三島由紀夫が自決をはかるのは占領期をすぎてだいたい20年と考えるとこのあたりが限界だったのかもしれない。三島氏の声がまるで響かなかったとは私は思っていないのだが、社会全体としてはその声はなんだか時代遅れのものとして大きく無視されていったと総括していいかと思う。
第二次世界大戦後のドイツはどうだろう。ドイツは冷戦時代は分断国家として西はひたすら経済的充実に走っていたようにも思う。しかし、今考えてみるとそれだけではなかったのだろう。徴兵制を敷いていたのだし、ブラント首相の東方外交も今考えるといろんな示唆があったとも思う。
そして、東西ドイツが統一し、最初こそ苦労したものの結果的に現在はドイツ第四帝国時代と言われるようなことになっている。ヒトラーも最後には跳ね返されたウクライナ占領も間近かという状況。これもまた、だいたい20年で強くなった。
ドイツもロシアも共に、結局のところ負けたくはないのだ。不当に扱われることを拒否し、それぞれに苦闘して「復権」をはかった。
これはつまり、リバンチスト的心情が絶やされることがなかったということだろう。偶然でも場当たりでもない。
revanchistというのは、失地回復主義者とか、報復主義者とかいろんな訳語があるみたいだけど、要するに仕返しするぞ、取り返すぞという気持ちを持った人のことを言う。プーチンはその最新の代表例。
最近日本では「保守派」という人が増えたけど、このまま保守してどうするんだろう?保守では足らないのではないのか、と私は思ってる。(ある意味、現状満足派が多いという意味でもあるんでしょう)