■ 悔しがっても仕方ないが悔しがらないと何もできない
さっき、ニコニコ動画をBGM風に見ていて適当に成り行きで西部邁氏の番組に行き当たった。その中で、ああこれは見たことがないと思ってみたのが、クライン孝子さんとのお話。
2010年頃のもので、クライン孝子さんと西部さん、秋山さんがドイツの話をかなりざっくばらんに話している。その中で、西部氏が、ドイツ人も日本人と似てて、平和とかなんとか綺麗ごと言うよね、と話を向けると、クラインさんは、「表面だけ」と普通に答えていた。
http://www.youtube.com/watch?v=mXggB_oVqLc
私の体験からも、そうだと思う。別に心の底からアメリカが言う平和だの民主主義だのを唱えれば世の中丸く収まるなんて思ってやしない。結局のところ、みんなやっぱり悔しかった。
その口惜しさを表面に出してみたところで仕方がないので、表面的には現在のアメリカ覇権の下でそれに従うが、地道に地力を積み上げることでしっかり復権していった、ということ。
さらにこの中で興味深いのは、ドイツ左派のシュレーダーあたりの話。クラインさんの評価では彼らは、その時代時代でいろいろあったけど愛国者には違いない、そしてそういう人材を使うということの大事さを言っている。
私がこの間書いた通りじゃ~ん、と結構うれしいし、同時に、なぜ日本はこうならなかったのかが訝しくてならない。
どこでどう妙なことになったのかは今のところ私にはよく整理できていないのだが、鍵は、
- 戦略的思考を有する人を確保できなかった
- リバンチストを確保できなかった
- どうしたわけだか、ウィルソン大統領風の世界は平和になります的な言辞を頭から信じた国民が多数いたこと(世界中でずっと戦争が起っていたのに)
かなぁと思う。順番にいえば(1)が最も大事で、この人たちがいれば残りの2つをコントロールしてくれればそれでいい。一般人全体が変わる必要は全然ないし、そんなことを望むのは何もしたくないことと同義だ。(1)はつまりバランス・オブ・パワー外交を理解できるリアリストとも言うのかも。
いずれにしても、日本は危ういところにいるなぁと思うし、しかし妙に平和は平和なので今更リバンチストの登場は無理なんだろうかなぁとも思う。
田母神さんとか西部邁さんが、やたらに原爆とか東京大空襲を語るのは、まず悔しさを復活させようという試みなんだろうと理解している。しかし、(1)がいないとこの口惜しさは南米の反米左翼方向に流れてしまう可能性もあるわけで、なかなか難しい。(1)がいないということは、つまりメディアを日本人が握れていないという意味なのかもしれない。世論をコントロール(悪い意味だけでなく)できないから。まずはそのあたりができるか否かが今後の日本にとっての重大事かなと思ってる。