米国ではトランプの弾劾騒動が、下院が弾劾手続きを正式に設置するという案を可決したことで佳境に入っているはずなのだが、かなりもちゃもちゃしている。
弾劾手続きは下院が設置するけど審議するのは大統領の場合は最高裁長官と上院なので、下院がわーっと言ったからといって何かが決まるというものではない。そこで現在暗闘中といった感じではなかろうか。
なぜなら、案件が他のことならともかくウクライナ問題となると、上院にガッツがあれば、よーしだったらどうしてこんなことになったのか全部構造を明らかにすべきだ、となる可能性だって残るわけですよ。
つまり、オバマの2014年のウクライナのクーデターそのものが問われる可能性だって(わずかだと思うが)残されている。ウクライナ問題は、国務省の補佐官だったヌーランドが、米国は5000億円も使ってるんだからもう戻れない~みたいなことを関係者の会議みたいなところで話してる動画が出回ってるし、アメリカの駐ウクライナ大使が直接の関係者だった。
すなわち、本当に開ける気があるなら、外国に対する国家的侵略行為として描くことも十分な案件。
ああ、面白い(笑)。
で、トランプの政策にはいろいろ問題はあるし、人間的に出来の良い人とも思わないけど、だけど、国家的な犯罪機構となりおおせている米国務省とか一部情報機関、一部軍組織の動きを止めるにはこういう人でなければできないってのも本当なんだろうとも思う。
■ ネオリベ@日本
さてしかし、今日twitterを開けたら、日本のトレンドに「直間比率の是正」なる単語が出てきた。
なにか懐かしい言葉だと思ってちょっと開けていったら、
emil
というもの。1分ぐらいの動画。
オリジナルはここ。6分ぐらいの動画のうちの2分40秒あたりからが消費税の話。
消費税廃止めざし、まずは5%に
90年代の日本に記憶がある年齢の人はみんな覚えてるでしょう。日本の税制構造は諸外国と比べてどうしたこうした、だから直間比率を見直す必要があるのですという議論をやってた。舛添もいたし、久米宏もいた。
で、結果こうなりました、と。法人税が減った分消費税がカバーしました。で、下の図はまだ8%の時代。でも8%に上げるところでこうなることが見えていたので、もはや「直間比率の是正」では説得力がないので、財政再建論を言ってみた、という流れだと思うな。
で、結局これは
自分で蒔いた種「ネオリベ」を超えられるのか
だと思うわけですよ。
この30年間、実は一貫して「ネオリベ」が野放しだった。
新自由主義というと、小泉が~とかいうけど、小泉は最終形であって、その前から既に新自由主義万歳論者が多数いた。ただ日本でそう認識されないのは、それらの人々は「改革派」とかなんとか呼ばれていたから。
しかし、単に全くのネオリベ導入の人々だった。その大将が小沢一郎。だからこそ西部邁がこんな本を書いたりするわけね。
小沢一郎は背広を着たゴロツキである。 | |
西部 邁 | |
飛鳥新社 |
この本が出た時、民主党政権が中国に大挙して出かけていったりしていたところだったので、そっちの方で小沢をこきおろしたくてこの手の本を好感した人もいただろうけど、西部さんの反小沢は、もっとずっと社会的でそして経済的。
要するに氏はネオリベというのをnationを破壊するものとして捉えているので、すました顔してそれを導入する小沢とその取り巻きが許せない。
西部さんのEU批判も同様。人間はモノではないから、人・金・モノの行き来の自由万歳などという発想は間違ってる、上手くいかない、と最初っからずっと言っていた。
結果的に、このおじいさんの本業である経済学者としての目の付け所はあってた。
問題は、本業でないところで憲法改正万歳派に与したりするから話がぐじゃぐじゃになる。たいした知見もないことを言うべきじゃなかった。
消費税もそうだし、大規模小売店舗法の廃止も巨大なインパクトを社会に与えたと思う。どこにいっても似たような「ショッピングモール」だけが繁盛し、地元商店街がさびれたこの様子は、私が育った日本じゃない。
もちろん、小選挙区制がもたらしたものは政治の機能不全だけだったというのも見逃せない。
さらにいえば、「普通の国」になるという騒ぎもあった。ナイヤガラの滝の柵がないみたいな話の行き着く先に自己責任論はある。
どれもこれもまとめてみれば、「公共性」の否定思想だったなと改めて思う。で、それは誰がやったのかって、そりゃ自民党の時代の産物ではあるけど、誰が押したのかっていうと当時の「野党」であり、主流マスメディア。
■ 壊し屋の思想を超えられるのか
そこから幾星霜。安倍が出てきてよく見せて変更点を解説したらまず大半の人は賛成はしないであろう代物の憲法を出してきて、それ以上にほとんどクーデタマーまがいの政権になっているため、それを止めようとする人たちの懸念が表に出た。
そこでネオリベ一派も安倍改憲には反対なので、今のところ安倍シンパ以外「みんな同じ」になってる。
しかし、果たしてこの、リベラル路線を放置していいものなのか。ここのへんを整理しておかないとならない。といっても整理できない。だって元「民主党」の人たちがばらけちゃって、しかもこれはもともと綱領もない集団で、かつ、機関紙もない。つまり、なんだかさっぱりわからない集団だった。一体全体、本気だったのはどれなの?って、誰もわからない。
アナーキーな集団だった、ほんと。
政治思想史を専門にされている片山杜秀先生が、民主党とその応援団(山口二郎など)がやっていたものの考え方を、次にどうなるかは全然考えてない「壊し屋の思想」とおっしゃていたことがあったけど、実にまったく、その通りだったなと思う。
考・安保法制 第4回 片山杜秀×鈴木邦夫【後半】
https://www.youtube.com/watch?v=RA-fXQrG208
■ 壊そうとして壊すとこうなる
でね。どうしても欧州側に興味を持つ私としては、これってつまりウクライナ、バルト三国あたりで起きてたこととよく似てる話なんだろうなって思うわけです。
バルト三国もウクライナもロシア帝国時代もソ連時代に全体から見たら最も整ってたところなわけですよ。ウクライナはモスクワのあるロシアよりも平均的にお金のまわりの良い、旧ソ連で一番恵まれた、発展可能性のある場所だった。ソ連が重工業地帯にしていたし、ソ連の科学技術の高度なものの多くはウクライナに工場を持っていた。また、ウクライナからロシア南部には世界有数の肥沃な土地が広がっているため歴史を通して、普通にやってりゃ食える場所といっていいでしょう。
が、今はあれなわけですよ。バルト三国も人口が3割りぐらい減ってる国さえある始末。将来が見えない。
どうしてこうなったのか。
それは、1990年時点で持ってるものを全部否定して、捨てたからではなかろうか。そうしようとしてそう騒いだら、実際そうなったということ。
過去からのものを引き受けて、将来に向けて保全するような政策の代わりに、新しい時代になったのだ、といったふわっとした話にみんな熱狂した。新しい時代になっても人は水を飲むし、種をまくし、寒けりゃ暖房したいのだが、異常までの反ロシア、異常なまでのソ連憎悪の行き着いた先は、公共の否定、民営化こそ素晴らしいという政策。この結果がオリガルヒの跋扈だったとして何がおかしいだろうといったところ。
■ ネオリベをどう超えたものか
でも、いやしかし、ネオリベで痛んだ社会をこの先どうまとめていくのかというのはなかなか難しい。
先行してるのはオリガルヒに国を乗っ取られた体験を持つロシアなんでしょう。現在の体制はネオリベを否定するのではなくて止揚しているような感じだと思う。単に否定すると権威主義一本に戻っちゃうから。
(世界中の左派がプーチンはネオリベだと否定的に見てきたし、ロシア中銀総裁なんかトロイの木馬扱いされてきたが、ちゃんと動かしてる。その一方でソ連時代によかった部分、みんながまだ支持しているようなものは積極的に評価してる。)
で、他国はともかく、日本の場合はさらに難しいのは、気が付けば、社会の根っこには大日本帝国万歳主義者がこんなにいたんだという事情が見えたから。これと折り合いを付けないと言論をもって方向性を出す、ガイドラインを作るっていう作業ができないと思う。
大変なことです、ほんと。
いずれにしても消費税と法人税のバーター問題はもっと周知されるべき。これを通して、国家・国民(nation)という恰好をどう保全するのか、あるいはさらに破壊するのかの方向性が定まるようにも思う。