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フィリップ殿下亡くなる

2021-04-10 18:13:00 | 太平洋情勢乱雑怪奇
イギリスのエリザベス女王の夫、フィリップ殿下が亡くなった。99歳だそうだ。

英王室フィリップ殿下への追悼、各界から相次ぐ 99回の鐘の音も

フィリップ殿下といえば、

ビクトリア女王のやしゃごにあたりギリシャの王族として生まれたフィリップ殿下は、1947年に即位前のエリザベス女王と結婚し、チャールズ皇太子をはじめ4人の子どもをもうけました。 

といった具合に、ギリシャの王族であったこと、ビクトリア女王のやしゃご(フィリップから見てビクトリアが高祖母)であったと書かれるのが概ね通例でしょうか。その王族がある意味本家のイギリス王室の世継ぎとなるエリザベスさんと出会って、エリザベスの方が恋に落ちて結婚に至った、と言われている。




しかし、他方でフィリップさんは、ロマノフ朝のニコライ1世のやしゃごでもある。そして、血統でいっても成育環境からいっても、ビクトリア女王との関連よりも、ずっとロマノフ家との関係の方が近い。なぜなら、フィリップの祖母がロマノフ家からギリシャ王家に嫁いだオルガ・コンスタンティノヴナだから。



オルガはニコライ1世の息子の娘で、母方の血統をたどってもロマノフ家が入るロマノフ度が高い人。

このオルガさんの夫は、デンマークのグリュックスブルク家の人でギリシャ王となった人。ギリシャはオスマンから独立した後、ヨーロッパの列強が認める形で君主制となり、最初の1代はバイエルンのウィッテルスバッハ家からだったが、以降はグリュックスブルグ家の人が王様になってた。

最初の人が選ばれた鍵は東ローマ帝国の血統を引いているという点。つまり正教徒であることが示唆され、その後もドイツ人の王様たちもギリシャ入りするにあたっては正教徒となってる。オルガはロマノフ家という正教徒の保護者の家の人であり、かつ、東ローマ皇帝の血筋であるといわれている人なのでギリシャの正統を正教に求める人たちからしたらある種最強のお嫁さんだったというべきでしょう。

こんなこともありましたね、そういえば。ロシアの復活というのは、正教徒にとっては100年ぶりの保護者復活のようなもの、というお話。



プーチン、アトス山訪問


で、ロマノフ家とグリュックスブルグ家のカップルの息子の1人が次代のギリシャ王となり、別の息子アンドレアスがフィリップ殿下のお父さん。殿下はお父さんに似てるね。



お母さんアリスは、ヘッセン大公国のバッテンベルク家の娘。




当時のバッテンベルク家は、ロシア大公妃エリザヴェータ・フョードロヴナ(通称エラ)、ニコライ2世の皇后アレクサンドラ・フョードロヴナを出していて、フィリップのお母さんのアリスにとって、エラはおばさん。

エラは、1905年、夫セルゲイが革命家のイワン・カリャーエフに暗殺され,
その後修道女となり、その後に続く国内の騒乱状態でもいわゆる奉仕にいそしみ、1917年にボルシェビキの過激派に殺害されるが、白軍が遺体を発見してロシアを東へと進み、北京→上海を通じて遺言通りエルサレムに到達し、エルサレムの「マグダラのマリア教会」に埋葬されるという、強烈なエピソードのある人。この教会はロシア皇帝アレクサンドル3世が建てたもの。

そして、フィリップ母のアリスは、その後の動乱を生き、第二次世界大戦でギリシャがドイツ、イギリスに占領される中、まわりが止めるのも聞かずギリシャを離れず(他の貴族はスイスなどに亡命)、粗末なアパートから一般人、孤児に食料を配って歩いたりして、占領軍を困らせ(丁寧に扱いたいが、全然言うことを聞いてくれない)、最終的には正教の修道女となり、フィリップ&エリザベスの結婚式にも修道女の恰好で出たといわれている人。

最晩年にはフィリップ&エリザベスに引き取られ1969年に亡くなるが、遺言で、上述のエラおばさんと同じように「マグダラのマリア教会」に埋葬してくれと言う。しかし、政治事情もあったと思うけど親族が反対してしばらくはイギリスに眠っていたが、1988年にその意思が叶えられた。つまり、フィリップ殿下のお母さんはロシア正教の教会に眠っているし、時期的に考えてもこの移送にフィリップが関与していないわけもないでしょう。


ということで、どう考えてもロマノフの縁者というべき存在なのがフィリップ殿下で、本人も、1967年に、ロシアを訪ねたいかと尋ねられて、

私はとってもロシアに行きたいですよ、あの馬鹿野郎らは私の親族の半分を殺したわけですが



と言っていたことが知られている。

そして、ソ連崩壊後、ニコライ2世らの遺体のDNA鑑定をする際には、フィリップ殿下も縁者として協力したことも有名。

であるから、昨日のフィリップ殿下の死に際しては、現在のロマノフ家を代表する人が、ロシアのTASSのインタビューでDNA協力のことをロマノフ家は忘れませんと述べていた。

通して考えてみれば、フィリップは、20世紀の歴史の中で忘れられていた、あるいは忘却されるよう推奨されていた部分を体現していた人だったということになるんでしょう。


■ オマケ

生まれたところがギリシャで上述のような環境なので、フィリップ王子は正教徒として洗礼を受けた。その後、エリザベスと結婚したのでアングリカンの教会に行きだし、何事もなく通り過ぎたと思われるのだが、英語版のwikiによれば、本人が、2011年に、「アングリカンになったけど、オーソドックスであり続けてる」と言ってる。

During a visit by Hilarion, Metropolitan of Volokolamsk to Buckingham Palace, on 25 May 2011, Prince Philip admitted that he "became Anglican, but remained Orthodox".

その上、これを語ったのはロシア正教会のビショップがバッキンガム宮殿を訪ねた時だそうで、それはつまりフィリップによるある種のちゃんとした告白と読むべきでしょう。

そんなことがあり得るんだ、アングリカン(というか英王室)と驚く。


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2 コメント

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Unknown (川口修治)
2021-04-11 08:17:15
アングリカンのダジャレに座布団一枚。
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ギリシャ移民だったフィリップ殿下! (ローレライ)
2021-04-11 14:16:51
気分はギリシャ移民だったフィリップ殿下、ヨーロッパ王族のファミリー保険が当てにならない生き証人でもあった!
返信する

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