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アメリカ社会とリンチ

2014-08-20 22:23:12 | 太平洋情勢乱雑怪奇

アメリカのファーガソンで起きた事件について書いたけど、この事件は事件としては小さいけど、何か現在のアメリカを象徴するような事件だなとも思った。

それは、実のところ「法の支配」の根幹となる話し合ったり討論したったりして、その法の精神を共有する土壌がないのがアメリカだということが明らかになっていること。で、時節柄、そのことが丸見えだっせという事件となるんじゃないか思うのだ。

アメリカにあるのは実際、どちらがルールをうまくつかって勝つか、負けるか、なのよね。なぜそういう法が出来るのか、必要なのか、みんなが守らないとならないのかという理解を共有すべき土壌がない、いや長続きしない。そもそも法というのは適用範囲がある中にしか実効的には存在しえない(だからこそ国際法というのが実は半端にしか機能しないんだと思う)。nationが壊れてるアメリカではね・・・・なの。

と、そういう中だからこそ、相手が強く出たらこっちも強くでないとならないという単純な思考形式が何者にも優先されてしまう。ミズーリの警官発砲事件はそのことを如実に表してると思うわけ。

そういえば、現在は州兵を出したので治安は回復だ、みたいなことを言ってたけど、その前に双方の代理人、代表者による話し合いの場の設定を誰か偉い人が呼びかける(つまりこの偉い人が最初の調停者でダメなら何度でもやっていく)、という機構が心理的にないんだろうね。アメリカの国際政治はバランスオブパワーから遠い、ってのととても似てる気がする。バランスオブパワーって要するに時間をかけた「引き分け」感覚だから。

■ リンチを支えるメンタリティー

どこかの映像を見ていたら、Brown was lynched (ブラウンはリンチされた)というプラカードを挙げている人がいた。テクニカルにはリンチではないだろうけど、でも、ああ、この考えを支持する人は多いだろうなと私は思うのだった。表では言わないけど、薄笑いしながら・・・。

もちろんブラウンという青年を撃った警官はそれはそれなりに彼が承知している限りにおいては法に従ったんじゃないかな、と考えることもできるし私はできればそう信じたい。だから、テクニカルにはリンチではなく、問題は過失割合に還元されるんだろうし、それしかない。

しかし、それで仮に9:1でオマワリさん側が敗訴して、その9のうちの本人と州のどこそこ、連邦のどこそこが悪かったです、となったとしても多分問題は解決しないだろう。

なぜなら、もうすでに、警官擁護の側とブラウン擁護の側に大きな溝が開いているからだし、その溝はもう何べんも通っていて今更そう簡単に埋まりそうもないからだ。完全な不信のあるところでは法はただの勝ち負けの道具にしかならんと思うわけだし、それが故に時間と共に力の強い者が仕切る方向に流れてしまう。

そして、この溝を大きくすることに多大な貢献をしているファクターも重要。それは常にマスコミ。どちらかががーーーーっと騒ぎ出し、反対側がそれに対応してがーーーっと騒ぎだす。主流メディアがその前に何があったのかをまず冷静に見ましょうという導入をしない。

この感じは、ブラウン青年問題のすぐ前に、プーチンを攻めて攻めて天下の大悪人として描き出して大騒ぎしたことと同じだ。クーデーターを起こしたり、国務省という表の役所がそのクーデーターを支援していた、つまり自分の側の過失は一切無視。未だにアメリカの表の報道ではクーデーターの「ク」の字もほぼ出ない。

マレーシア航空機の場合は、撃墜したのは親ロシア派であり、使ったブークはこれこれで、それについての証拠は山のようにある、と米国国務省がわざわざ御宣託を下し、世界中の政府と報道機関を抑え込んで、相手(ロシア)の反論を一切シャットアウトした中で「有罪」宣告をし、その上でさらに「制裁」という刑まで課した。しかし、今もって証拠の提示もなければ調べるつもりもアメリカにはないようだ。

これをリンチと言わずして何をリンチというんだい、という状況。しかもG7はそれに追従する。つまり強いアメリカだからこそリンチもOKと世界の大国さんたちが言っているというのが現在のコンセンサスでもあるわけだ。

こういう制裁のかけ方をリンチであると見抜いたのは誰あろう我が邦の西部先生。他国の記事では見たことがないので先生だけかもしれません。

西部氏。制裁、制裁と言われているけど、あれは別にどこかで、例えば国連で手続きを経てやっている話じゃなくて、アメリカが一方的にやっているだけの話。つまりそれは私的制裁、リンチだ、と。

ウクライナに学ぶべきこと西部邁ゼミナール 2014年5月18日放送

■ リンチが遠ざからないアメリカ社会

そうなんですよ。アメリカって、法の支配がどうしたこうした言ってるけど、国内外における統治モデルが実にリンチ的なんですよ、実際。

一見ちゃんとした裁判に見えても、大金持ちが有力弁護士を雇って勝つという手法でいいようにしちゃえば、それって本質的に全然rule of lawじゃないし、その大金持ちが裁判を動かしているとしたら実質的にはその大金持ちによる相手方へのリンチがまかり通る。

昨日書いたみたいに、当局の側に立ったら、一般人に対して殆ど無制限に「嫌疑」をかけてくることが常態化していて、多くのアメリカ人はこれに麻痺してる。外国人、特に国内法がある程度行き届き当局者とても例外ではないのが当たり前だと思ってる日本とか欧州の人たちだけがこの様子に驚く。

(先進国からの移民者が少なくいわゆる後進国、または戦地にされた場所からの移民者が多いと社会は力任せに対して異常に寛容なグループを内包する。アメリカはこの線をひた走っていることも事態悪化の見えにくい要因だと思う)

また、相手方がなんらかの形でメディアと関係できる立場にあったら、判決そのものよりも面倒くさい中傷に悩まされることも多い。

そもそも、リンチってアメリカが語源だし、もともとこの社会はリンチと非常に縁が深い。wikiによれば、

西部開拓時代フロンティアの地などでの犯罪者に対し、法の裁きを経ず民衆による私的制裁が加えられており、この行為を、アメリカ独立戦争時、暴力的行為を働くことで知られた チャールズ・リンチ英語版大佐、ウィリアム・リンチ英語版判事に因み、「リンチ」と呼称するようになった[1]

アメリカ南北戦争以前において私刑は治安や秩序維持のために行われるものとされ、素行の悪い奴隷や共同体の規範を逸脱するものに対し、民衆の自警組織によって行われるものであった。その後、白人至上主義KKK団が結成され、アフリカ系アメリカ人を対象に私刑を率先して行う役割を持ち、リンチの持つ意味が秩序統制から異人種憎悪の表現へと変化していった[1][2]

犯罪者に対して、と書いてあるけど、多くの場合犯罪者かどうかわからない状態で行われるからこそ問題視され、後世までそうした状況が語り継がれているというべきでしょう。

西部開拓時代というのは、明治維新前後から日清戦争ぐらいまでのことです。

つまり、実につい最近なんです。

そして、私の見るところ、今に至るまでむしろリンチ(私的制裁)を肯定的に捉えている部分がある。理由は連邦政府よりも自分たちの判断が正しいと考えるから。そして連邦政府への不信感もアメリカ社会の底流にずっとある。

と言ったことを考えると、ええその、まず、アメリカの政権様におかれましては、事件が起きたら、証拠を提示する前に「山のような証拠があるのだ」とかいって勝手に誰かを犯人扱いして勝った気になる、というそういう態度を改め、まず法に照らして調査することを自ら国民にしらしめるべきじゃないんですかね。


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