八紘一宇こそ建国以来の大事な考えですと国会議員に紹介されるという予想外の事態が発生していて、ツィッターではこの語が大盛況になっているようだ。でもまぁ、日本国の品位と学力が問われるだけで、他に実害はないでしょう。だって「八紘一宇」の仲間に入れてくれっていう国が見当たらないもの。
とりあえず時ならぬ話題のおかげで面白いものを拾った。『写真週報』という当時の内閣情報局が発行していた雑誌にあったスローガンのページらしい。
二千六百二年の紀元の佳節 肇国以來の國是 八紘一宇は大東亞戰爭によつていよいよ洽く具現されんとす
この時に生を享くるものの榮譽 皇恩の無窮に泣く
という部分の、「肇国以來の國是 八紘一宇」を、三原議員、またはこの人にブリーフィングしてる人は「八紘一宇は建国以来の大事な考え」と現代語訳?したんだろうね。
いやしかし、この時代ってほんとに、なんてか、皇室にとっては受難の時というべきだろうなぁ。
だって、八紘一宇をスローガンに大東亜を築くことが肇国以来の国是って、昭和になるまでのどの天皇も思ったこともないと思うもん。はぁ?みたいな。秀吉の朝鮮への渡海さえ嫌がってらしたのに(このへん;日本を守ることの意味)。
そう、明治維新からの日本の体制というのは、実に実に「不敬」な体制なんですよ。維新以来の指導者層は、誰だっけか久野収氏だったかの表現によれば、「顕教」として一般大衆には陛下を神として敬うべく指導して、従えないものは赤だ非国民だと脅しておきながら、自分たちの方は「密教」として陛下を使う。で、皇室の神話まで作っちゃうってのは、もう極限だわね。
いや、極限は墓を替えさせちゃうってところか。皇室は泉涌寺というお寺さんと昵懇にして長いこと過ごしていたわけだけど、そこを無理やり断ち切らせてるわけで、これって、一つのファミリーの祖先崇拝信仰のスタイルを強制的に変更させたという意味において、蛮行中の蛮行ではなかろうかとかねがね思ってる。
明治維新が革命である証拠だと思う。
で、1930年代からはとりわけ過激で、前にも書いたけど第一次世界大戦以降の日本の軍はボルシェビズム的というか、トロキスト風というか、なんせ革命軍みたいな趣きがある(実際、改革派を任じて軍を乗っ取っちゃったわけだし)。
対蹠的に本家赤軍は、自国領内にナチが侵攻して以来ロシア帝国風制服に替えたりして祖国がテーマになったもんで赤軍風味は大幅減退だったのがなんとも奇妙。なんて時代なんだ!
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