今年は特に原爆について書かずに一連の日付が過ぎてしまったのだが、私としては去年調べて書いたことの今日的意味を考え、考え歩む日々になるのだろうなといった感想を持っている。
原爆を投下された広島で自然発生的に行われていた記念の集会が、朝鮮半島で戦争が起きると中止に追い込まれた。
朝鮮戦争がはじまったのは1950年6月。その年の8月には、平和式典が中止に追い込まれる。
その理由が、下に引用するように、原水爆禁止の呼びかけなどが世界的にあった、その状況を鑑みて、広島の式典は、「反占領軍的または非日的と認められる集会、集団行進、あるいは集団示威運動」と広島県警により認定されたため。
広島、原爆、朝鮮戦争
それに先立つ1950年3月にはストックホルム・アピールがあって、全世界で2億7000万人以上の人が、原爆をこれ以上使うな、使ったらお前は人類の敵だ、などというアピールに署名する出来事が発生。
署名は273,470,566人(時には5億人までとも言われる)
ソ連は1億1500万以上を集め、これはソ連の成人人口に匹敵
署名者には、フランス人1400万人、イタリア人1700万人、英国人100万人、アメリカ人200万人、日本人300万人がいた
つまり、
いやしかし、つらつら思うに、ソ連とフランス共産党が音頭取ってわーわー騒がなかったら、朝鮮半島にも原爆が落ちていた可能性は高いわなという感じは否定できない。
一方日本では、朝鮮戦争をきっかけに「新日本軍」建設が構想されていた模様。
幻の「新日本軍」計画 旧軍幹部、首相に提案 [共同通信]
【ワシントン20日共同】旧日本軍幹部が太平洋戦争後の1950年前後、「新日本軍」に相当する軍組織の設立を独自に計画していたことが20日、機密指定を解除された米公文書で判明した。構想は連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下で進み、河辺虎四郎元陸軍中将(故人、以下同)らが立案。最高司令官には宇垣一成元大将(元陸相)を想定しており、当時の吉田茂首相にも提案していた。
で、このへんの話は、思うに、日本の戦後史としてはあんまりメジャーに取り上げられていないんじゃなかろうか。メインストリームから外れた史実みたいにして、しかしながら、語った人は多かったみたいな話だと思う。
個人的には、去年読んだ様々な記事の中で、もっとも心に残ったものの1つは、上の「広島、原爆、朝鮮戦争」で書いた、広島在住のジャーナリスト哲野イサク氏のサイトにあった、元広島市長の平岡敬氏に対するロングインタビュー。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/hiraoka/1/1.html
今後は、朝鮮半島の事態が変化する際には、ここらへんを盛り込んで戦後史は書かれるべきだろうと思う。
いずれにしても、どこからどう見ても現在の日本の占領継続態勢とは、朝鮮で戦争がある可能性を見込んだ、準・戦闘準備態勢みたいなものだから。
朝鮮の解放と朝鮮戦争レジーム
次。原爆に対する日本人の向き合い方も操作されていたわな、というお話。
ということで、アメさん(または西側連合軍)としては、原爆は「仕方がない」に収斂される受け取り方で、すなわち、政治問題化しない言い方でしか認めない、というガイドラインを持っていたとみえる。
ついでにいえば、昭和天皇も、終戦時の国民への呼びかけ時点から、基本的には仕方がない路線を取っている。
別の言い方をすれば、原爆の投下を問題視したり、平和運動的に捉えることが、危険思想視されていく。
長崎でも、有名な永井博士が、「神の摂理」の方向で原爆を捉えていることから、占領軍的にはOKみたいな感じだったと言われている。このへんが、祈りの長崎とかいう、妙なスローガンと共にすっかり定着してる感じですね。
長崎の日と解けないタブー@ガラパゴスランド
結果として、ストレートな考え方を阻害され、ある種の抑圧体制の中に人々は押し込まれ、今だにその後遺症は解けませんといったところではないのかと思う。
昔の広島、あるいは広島、長崎の人たちは、人であれば当然に持つであろう怒りの矛先を奪われ、こんな兵器を使うべきではない、これは間違いである、といった考えすら平和思想として危険視されるという、ほとんど人道的な迫害だろ、これ、といった時代を過ごさねばならなかった。
しかし、人々は、上に睨まれないようにしつつ、危険な道に逸れないようにしつつも、それでも、多分ずっと、どうやっても日本人の多数は核兵器の使用に心から反発していたように思う。
率直にいって、広島より長崎の方が精神的には操作されているくさいと思う。それは多分、佐世保があるからでもあるんじゃないの? 日本会議発祥メンバーが長崎だというのもこれがらみなんじゃないの、と思ってる。
あと、これは日本だけの問題じゃなくて、そもそも、クリスチャンシオニストの下々はバチカンを不倶戴天の敵扱いだというのも問題を複雑にしている気がする。
下々とあえて書くのは、一般人レベルではそうなのだが、上の方は、「西側の利益」みたいなのがかかると手を結んじゃうから。
ここでも、「巨大資本は団結するが、労働者は団結しない」とか、「Socialism for the rich, Capitalism for the poor(金持ちには社会主義、貧乏人には資本主義)」みたいな構図が見える。
ちなみに、「金持ちには社会主義、貧乏人には資本主義」というのは、巨大銀行、巨大資本は最終的には国家が金刷ってまで助けるが、貧乏人には、世の中資本主義なんだから負けたら死ねとやっちゃうこの仕組みを皮肉った表現。主にアメリカ人が、主にリーマンショック以降しばしば言ってる。
■ ということで
ということで、去年と同じく、
日本人の精神の健全性を復活させるためには、是非とも朝鮮戦争は終結させるべきだとますます強固にそう思う今日この頃。
と思う。
日本って、ガラパゴスランドだとしばしば言ってるけど、どうしてそういう仮想空間ができるのかというと、それは他方では、抑圧体制だからなんだろうと思う。ものの考え方、見かたに制御がかかってる。これを終わらせるためには、東アジア情勢についてもっと平たい、あるいはぶっちゃけたモノの見かたをするようにしないとなんないでしょ、と思うわけです。
そして、さはさりながら、朝鮮半島の出来事を見ていると、いやほんと、ほんとーに解決させたくない勢力がいるんだなと思うしかない。なんせ70年かけて体制作っちゃってるわけだから根が深い、深い。
地政学イベントについての有名著作家のウィリアム・イングダールが元中国大使だったジェィムズ・R・リリーに会った時の話も非常に興味深い。
要するに、アメリカのディープステート近くでは、北朝鮮がなかったら第七艦隊存続のために北朝鮮問題を作らなならんかったわな、あはは、といった認識だったと。
スイスと北朝鮮と極東ハンドラー上級者
日本のリベラル勢が総じて情けないのは、ネオコンを叩く時にはイングダールなんかを持って来たりするが、彼の総合的な視点を包み隠さず述べるような人はまぁいない。イングダールがすべて正しいっていってんじゃないですよ。でも、この人に限らず、こういう見方もあるんだなと誰かが普通に紹介できる環境は必要。