圓生百席(8)おみき徳利/お若伊之助 | |
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年末からお正月にかけて、徳利を見る機会が増えた。つまり日本酒を飲む人を見たということなのだが、ふと、徳利って純日本の容器なのだろうかなど考えた。多分そうだと思うが確証はない。経験値的には、北米、ヨーロッパ各国では見たことはないかなぁ・・・というところ。大昔ワインは樽ではなくて壺で運ばれていたそうだけど、そういえば壺と徳利は似てるといえば似てるかも、などとは考えたがそれ以上には全然わからない。ちょっと気にかけておきたい。
それはそれとして、御神酒徳利。ご先祖が徳川家よりいただいた家宝の御神酒徳利を旅籠の通いの番頭の善六さんが良かれと思って水瓶の中に沈めて、うっかりそれを忘れてしまう。旅籠の主人は家宝がなくなったと大騒ぎ。これは正直にご主人に語るべきかと思った善六さんだったが、このおかみさんが占い者の娘だったことから思わぬ展開になっていく。
冷静に考えればそりゃ馬鹿馬鹿しい話なのだが、ようするにわらしべ長者的な話で、誰も不幸にならないという点で後味もいい。登場人物が特にとりたてて善人という感じでないのもすっきりしている。善六さんはちゃっかりしているし、稲荷大明神さんも相当だ。
あえていえば、大阪の鴻池善右衛門不当に出費を強いられたといえば言っていえないことはないけど、なにせ大金持ちなので結果OK。
この話は、六代目三遊亭円生師匠が昭和天皇の前でいわゆる御前口演をされた時の出しものとしても有名。お題の選定は、誰がしたのだろう? 廓話は避けたいだろうし、職人が啖呵を切る話もおめでたくはない。人情話もものによっては悲しすぎる。
googleしたら、圓生さんの熱心なファンの方のサイトを発見。謹んで引用させていただく。
と、前にもどるが夜分電話で、明年皇后陛下の古希の御祝いで、それについて宮中へ出て、
御前口演をということである。
くわしいことは文化庁の方と一度逢って相談したいということなので、暮れの二十四日過ぎでしたが文化庁の榎本さんという係りのお方、宇野先生と三人でお逢いして、種々話をしましたが、何しろ落語家を宮中へ召されてお聞き下さるということは今回が初めてのことではあり、演題もどういうものがよいかと相談したが私は「お神酒徳利」か「茶の湯」というので、筋を申し上げたが、お目出度い噺となると「お神酒徳利」のほうがよろしかろうと言うのだが、榎本氏がともあれ他の者とも相談をしてと言うのでお別れした。
越えて四十八年一月半ばごろに「御神酒徳利」ということに定まったと電話があり・・・・
http://www005.upp.so-net.ne.jp/sukeroku/bangai/gozencoen.htm
とうことらしい。「父、円生」というご子息の本にある話のようだ。
はやり「お目出度い」というのがキーのように見えるし、この文章からは、圓生さんサイドが案を出したということのようだ。ナイスなチョイスだとしみじみ思います。
落語は人を笑わせるもの、という固定観念的に固く持ってる人が少なくないのだけど、そういうもんじゃないだろうと私は思う。