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2/3【討論!】さようなら韓国、さようなら戦後体制[桜H26/6/14]

2014-06-18 15:47:40 | 太平洋情勢乱雑怪奇

2/3【討論!】さようなら韓国、さようなら戦後体制[桜H26/6/14]

タイトルが面白くなさそうなので見ないことにしようかと思ったけど、2/3と3/3が滅茶苦茶面白い。

しかし、タイトルは全然あってません。あってたのは1/3ぐらいか。

2/3からは、元公安調査庁の菅沼光弘さんの独演会になっていって、主に南北朝鮮とアメリカの話になっている。

以下はメモ。[一回目のアップ降修正しました]

1/3の30分あたりから。

  • 南朝鮮の朴正煕大統領(現在の人のお父さん)は核疑惑でアメリカに殺された

( wikiにも疑惑として載っていた。へ~。)

  • 漢江の軌跡は3つの要素から成る。日本の資金、看護婦さん等を西ドイツに輸出、ベトナム戦争に兵士を送り見返りに米からお金をもらう

2/3

  • 北朝鮮の金策、日本軍残置謀者説は誤り。関東軍がソ連に降伏した後残置謀者は確かに置いたけど撤収してる。
  • 安重根の記念碑と光復日の話。現在の大統領は中国に対して南朝鮮の正統性を訴えているのじゃないか。
  • 安倍さんがrevisinist(歴史修正主義者)と呼ばれる状況はホロコースト否定派だと言われているも同然なんだから放置できない。反日の韓国、中国がこれをいっしょくたにしようとしているのは危険な動きだ。

3/3はなんでこんな話になっているのかよくわからないが、日本はスパイ対策ができない、今に始まったことじゃなく諜報、謀略が弱い、という話から終戦時の話となる。

  • ドイツは敗戦国だろうが情報機関を設置した。
  • どうも日本は情報機関をついに設置できていない。戦後も松川事件、下山事件等々いろいろあっても調べられていないじゃないか。こういうことを調べるのは警察ではなく情報機関。だってアメリカの情報機関がやったことだから。
  • (水間政憲さん)日本に情報機関を作らせなかった(by US)のには、瀬島隆三氏の問題なども関係するのでは
  • 瀬島隆三氏の、例の長崎の不発原発をソ連大使館にもっていけ、という電報の話となる。(21分あたりから) 文書のコピー登場。
  • なぜこういう行動に及んだかといえば、アメリカが原子爆弾を独占してしまえば日本は一生立ち上がれない、だからソ連に原爆を持たして対立させろという流れがあったらしい。by 水間政憲さん。
  • 不発弾かラジオゾンデかという話ではなく、サイクロトンもあったことだし、完全に把握していたと思うんですよ。(日本軍による原爆開発が進んでいた、それを渡すという話じゃないのか、という示唆だと思う)
  • 陸海軍ともに原爆の研究を行っていた。その理化学研究所にいた朝鮮人の研究者たちが北朝鮮に返り核開発の基となり、その人たちの弟子たちがソ連に行き核開発に行き着いた。
  • (水間さん)いろいろ調べて書こうとしたけど瀬島さんが生きている限りダメだと言われた。
  • 情報機関は、ドイツは対ソ情報がいっぱいあって、ゲーレン機関ができた、でも日本はできなかった。アメリカが日本を信用していなかった、対ソ情報はたいしたものがなかった
  • イギリス等の情報機関の資金はタックスヘイブンで調達。表に出てるお金じゃない

その他にも面白い話がふわふわ飛んでいた。ここまで一貫性のない討論ってどうなの?という気もしたけど、それはそれで面白かった。

■私のメモ

全部が全部本当のお話、とも思わないし、考えようによっては別の解釈もあるのでは、など思うものもあったけど、こういう話を肉声で語る人がいるだけで楽しい。で、こういうことを語る人が少ないからこそ日本人は諜報に向いていないという傾向が維持されるんだと思う。プロットを考えるとこうだああだ、と仮説を立てあって話しを楽しむ文化的背景がないのは今後にとってもいかんと思う。

それはともかく、南朝鮮はともかく、北朝鮮という存在が目の前に迫ってくると、つまるところ1945年からの朝鮮半島における諸々、終戦時のアメリカ、ソ連の様子、朝鮮戦争とは何だったのかといった戦後史において明らかになることが結構たくさんあるはず。

ソ連崩壊でもかなり明らかになった部分があったけど、北朝鮮の方が日本にとっては濃いものがあるのじゃなかろうか。

これは私のなんとなくのカンに過ぎないんだけど、日本のエリートの一部は敗戦後もしばらくかずっとかわからないけど、北朝鮮を重要地点であると認識していたと思う。だってあの位置だもの。日本の陸軍は、最初はなんの気なしに満洲に入っていったわけだけどその地理的重要性を次第に認識するに至ったんだろうと思うのね。だからそこを離されることになった時、知らなかった時よりもより深刻に日本にとっての重大事だと思ったんじゃないのかな、と思う。経済の時代が来てからこれがどうなったのか、その変遷も知りたいものだ。


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